マリアージュ  カプリッチオ

第13話 はじまり はじまり



「どうか、貴女に妻になっていただきたい」

 人生の転機というのは、基本予想外の所からやってくるものだ。




「初めまして、アルシェ・ウィット・リーザリース・ハル・イブリス姫」

 アルシェ・ウィット・リーザリース・ハル・イブリス。

 少し大仰なその名前が、中庭に置かれたテープルで小さなお茶会を開いていた少女の名前である。

 薄い金の髪が振り向いた拍子にクルクルと揺れる。その頬は砂糖菓子のように肌理細かい。

 その瞳の色は、庭に咲く赤いバラに似ていた。その綺麗な瞳は今はきょとんと見開かれ、長い睫を施した瞼をぱちくり動かす。

 イブリス国第一王女は、仲の良い者達と開いたささやかなお茶会に突如乱入した男を見上げた。

「貴女にお会いできるのを、とても楽しみにしておりました」

 妙に目のぱっちりとした男だった。派手な金の髪が太陽の光を受けてむやみにキラキラしている。顔は良い。甘い顔立ちだ。そしてそれを自分でよく知り尽くしているようだ。きざな素振りで胸に手を当てて白い歯をきらっと見せる。

「あぁ、お噂通りお美しい方ですね」

 そう言って自然な動作でアルシェの手を取ろうと指を伸ばした。その指がアルシェに触れる直前止まる。

「はい、とりあえずそこまでで」

 低い声がそれを遮る。

「どちら様か分かりませんが、姫様に触れないでくださいます?」

 少女の向いに腰掛けて一緒にお茶を飲んでいた青年、ゲイル・ラングウィッシュは剣を引き抜いて、男の喉元に突きつけていた。口調と裏腹に剣は剣呑な光を弾いている。

「……何者だ。この方を姫と知っての所行だな。どうやってここまで入り込んだ」

 冷たく目を眇めて男を睨み付ける。アルシェの侍女、シャリィ・カーナが少女を己の身で隠すように少女をひっぱり前に立つ。

「ちょっとシャリィ」

「静かにしてください」

 その行為に文句を言おうとしたアルシェは、シャリィの真剣な声音に何も言えなくなる。

「あ、えと……」

 謎の青年が戸惑ったように口ごもる。アルシェの身を狙ったにしてはあまりに鈍くさい行動に、ゲイルも眉をしかめた。

「……本当にどちら様でしょう?」

「そこまでだ、ゲイル」

 膠着してきた空気を破ったのは、涼しげな青年の声だった。

「リッター」

 アルシェは見慣れた青年の姿に、大きく溜息をついた。

「リッター殿。少々困っているのだが」

 青年は剣の切っ先をちらちら見ながらリッターに助けを求めた。

「ゲイル。その方は怪しい者じゃない。その剣を降ろせ」

「…………」

 視線をリッターに投げる。もう一度深く頷いたのを見て、ゲイルは無言で剣を腰に戻し、地面に片膝を付き無礼を詫びる。シャリィもそれに倣った。

「リッター。そちらの方は?」

 溜息をついて首をさすっていた青年は、アルシェの声に反応して、再び笑顔を浮かべた。

「改めまして初めまして。私の名前はラーゼル・ラダ・ランドールと申します。アルシェ様、貴女にお目通りが叶ったこと、大変光栄に思います」

 にこやかな笑顔は先ほどの一幕などなかったかのようだ。

「初めまして、アルシェ・ウィット・リーザリース・ハル・イブリスよ」

「失礼いたしました、ラーゼル様。そこの者は、我が国軍の遊撃隊の隊長をしているゲイル・ラングウィッシュと申します。ただ今姫の護衛の任についております故、ご無礼の程お許し下さい」

 リッターが許しを請い、それに合わせてゲイルも小さく頭を下げた。

「気になさらないでください。突然現れた私が失礼だったのです」

 爽やかに笑われて、アルシェは毒気を抜かれる。

「ランドールって言ったわね。もしかして、あのランドール家の方なのかしら」

「あぁ、存じてくださったとは身に余る光栄でございます。えぇ、その通り。今日は隣国ナイダルンスよりはるばる貴女に会うためにやって参りました」

 ナイダルンスは半島にせり出したイブリス国から山脈を越えた所にある大国だ。ランドール家は、その中でも有力な貴族として名が高い。

 ゲイルは俯いたまま眉をしかめた。一貴族とはいえ大国の有力な貴族だ。そんな来客があるというのに事前に何の連絡もなかった。それはアルシェも同じ事を思ったようだった。

「大した出迎えも出来ずごめんなさい。そんな予定なかったものだから……」

 言いつつ視線でリッターを窺う。リッターは苦虫を噛みつぶしたような顔をしている。

「唐突な訪問をお許し下さい。貴女に会いたいという気持ちに逆らえきれず、会いに来てしまいました」

「……そうですか。事前に言っていただければ、もてなしの準備をしましたものを」

 アルシェは引きつった笑みを浮かべて事前のアポイントもなくやって来た貴族の息子を見た。それでもそれなりに取り繕えた姫君をゲイルは心中で褒め称える。

「ええと、それで一体どんな用件でいらしたの?」

 多少の知識はあるとはいえ、相手の意図が見えず、動揺が言葉ににじみ出てしまう。

「おや、それは先ほどお伝えしたはずです」

 なんなんだろう、このきらきらは。歯が白い。

 アルシェはうつろな笑みを浮かべる。

「貴女にお会いしたかった」

「……はぁ」

「つれない方だ。私の思いを受け取っては下さらないのですか」

「は?」

 いい加減表情も取り繕えなくなって、眉根に皺を寄せた。

「今日は、貴女に求婚しに来たのです」

 空気が凍り付く。

 それをわかってるのかわかってないのか、ラーゼルは白い歯を輝かせる。



「どうか、貴女に妻になっていただきたい」




 ゲイルとシャリィは、リッターの眉間の皺の意味をようやく悟ったのだった。






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