第12話 眩暈
最近のリッターは意地が悪い。アルシェは出された課題の山を目の前にしながらそう思う。以前なら講義してくれたことを自分で調べてレポートに報告する授業が増えた。話を聞いてればなんとかレポートを作れていた時と違い、本の選定から自分でやらなければならない。誰かに頼んで本を持ってきてもらう場合もあるが、自分で足を運ばないと二度手間になることも増えた。
「あ~、駄目だわ。この本じゃわかんない」
どうにか片付けられないかとあがいてみたものの、やはりこの本じゃ無理なようだ。本を探しに行くのは面倒だなと天を仰ぐが、駄々をこねても現実は変わらない。
「……しょうがない。図書室に行きましょうか……。シャリィ、ちょっと手伝ってくれる?」
何時もの癖で、自分付きの侍女の名前を呼ぶ。正直この侍女がついてきたところで、課題解決の助けにはこれっぽっちもならないのだが、なんとなく一緒にいるとストレスが溜まりにくい気がする。肩肘をはる必要性を全く感じないからだろう。ちょっと間の抜けた侍女がついてきてくれるのが自然になっていた。
ところが、その侍女の返事が返ってこない。
「シャリィ?」
そばで待機していたはずのシャリィはぼうっと空中を見て、返事をしない。
「……シャリィ?」
訝しんで声をかけるが返事はない。どうかしたかと、声をかけようとした時シャリィはぼそっと呟いた。
「地震……?」
「は?」
大地の揺れなど起きてはいない。
急に何を言い出すのだとシャリィに問おうとしたとき、シャリィの身体がぐらりと傾いだ。
「ちょ、シャリィ?」
次の瞬間、シャリィは膝から崩れるように地面に伏し落ちた。
「シャ、シャリィ? シャリィ……! だ、誰か、誰か来て……!!」
「……シャリィが倒れた?」
宰相の執務室に書類を届けにいったらそこにはいつも通り、この国の姫君、アルシェがいて、だけどその顔にはいつになく生気に欠けていて、気になってそのわけを聞こうとしたらその前にアルシェが勝手に答えた。
「どうして?」
「熱が高かったみたい。お医者様のお話じゃ、疲労から来るものだから寝れば治るって言ってたけど……」
不安げに瞳を曇らせる少女に困ったように笑いながら教育係のリッターが書類をめくっている。
「おかげでこの姫の引き取り手がいないんだ。相手がいないと逃げる気も起きないみたいでね」
「うるさいわよ、リッター」
「はいはい」
顔も上げずに書類を見ながらくすくす笑うリッターの頭を腹立たしそうにアルシェが叩いた。
「ゲイル。書類は?」
「あ、はい。こちらに」
渡された書類を手早く確認してからぽんっと机に放った。
「これで急いで仕上げなきゃいけない書類は終わりだったよな」
「えぇ」
「じゃ、この後彼女の見舞いに行ってくれないか?」
「え?」
「原因疲労ってことだけどさ」
リッターはそこでふと苦笑した。
「心理的なストレス随分かけた覚えがあるからね」
「……あぁ」
ゲイルも苦笑した。どうにも胡散臭い彼女前歴を掴むために結構大っぴらに追い掛け回した記憶はあまり遠い昔のものではない。
「わかりました。それではお言葉に甘えて」
「早くよくなるよう伝えてくれ」
「はっ」
「元気になるまででてきちゃ駄目よっていっといてね」
「はい」
ゲイルは踵を返し、部屋を出て行った。
シャリィが城に住み込んで働いていると初めて知った。主に女性の使用人が住み込んでいるその一角は微妙に居心地が悪かった。
部屋の扉をノックすると、帰って来た返事はシャリィのものではなかった。
「失礼。ここはシャリィ嬢の部屋で……?」
「えぇ、そうですよ」
扉を開けるとそこにいたのは年嵩の侍女で、手際よく寝台に横たわる少女の額に濡れた布を当てていた。
「隊長、さん……?」
名を呟くのと同時に咳き込んで肩が揺れた。
「おい、大丈夫か?」
「えぇ、大丈夫です」
「全然大丈夫じゃないですよ」
少女の世話にきたのであろうその侍女は額の布をピシッと叩いてしかった。
「とにかく今日はゆっくり休むんですよ。明日には熱も引くでしょうから栄養のあるものいっぱいとって体を休ませてあげなさい?」
「はい……」
目を開けているのが辛いのか瞳を閉じたまま素直に頷いた。それではと小さく礼をして侍女は出て行き、ゲイルはなんだか気まずい沈黙の中に取り残された。
「あー、シャリィ、熱がでたんだって?」
寝ている本人はそんな空気を感じる余裕もないだろうが、その空気を何とかしようと髪をかきあげながら言った。
「はい」
「辛いのか?」
「いえ、それほどでも……」
「あんまり信用できないな、お前の言葉は」
先ほどの侍女の表情を思い出してゲイルは苦笑した。
「大丈夫か?」
二人きりの気安さで、ゲイルはシャリィの寝台の端に腰を下ろし、少女の顔を覗き込んだ。
「わざわざありがとうございます。ごめんなさい、心配かけて」
「慣れない環境で疲れが溜まったんだろ。とにかくゆっくり休むことだな」
言うと、口元まで布団を覆った顔をこくんと頷かせた。どこか子どもじみた動作につい微笑む。
「ったく、体調悪いって気がつかなかったのか?」
「……ちょっと体がいたいなとは思ったんですけど……」
「自分の体力を過信しすぎたな」
「風邪なんてここ最近全然ひかなかったから……」
「まったく……」
言って、額の布を取り除け、額に掌を当てた。
「……結構熱いな。ふらふらしただろ」
「……ちょっと。大丈夫だと思ったんですけど……」
言った途端、少女が咳き込んだ。喉から搾り出されるようなそれは聞いてて痛々しい。
「…………」
頬を紅潮させ、目を開けているのでさえ辛そうにぐだっと力を抜いている。薄く開かれた唇でされる呼吸は、荒い。
「……隊長さん?」
寝台に座ったまま腰をひねり、シャリィの顔の横に手を置いた。自分の影がシャリィの上に落ちる。
「あの……?」
抵抗する力の無いシャリィの、細い首筋にもう片方の手を当てた。
「……いやさ、今ならお前逃げられないなと思ってさ」
「こんな時まで……?」
シャリィは薄く笑った。
「……手、冷たくて気持ちいい……」
「余裕だね、お嬢さん」
悪戯に手に力をすこし込めてみるが、表情は変化しない。親指で頸動脈を探り当てる。
「心拍数上がらないのが、また腹立つね。本気じゃないと思ってるだろ」
弛緩しっぱなしの身体が憎たらしく、ゲイルは面倒になって手を放し、元の体形に戻った。
「まぁ、今日は病人だしな」
これぐらいで勘弁してやると呟いて、乱れている前髪を直してやった。
「何か欲しいものでもあるか?」
「欲しいもの?」
「なんでもいいぞ」
「なんでも……?」
少女は熱で潤んだ瞳でしばしぼうっと考えた後再び言った。
「なんでもいいんですか?」
「あぁ、俺に用意できるものならな」
髪を梳きながらゆっくりと返事を待つ。
「…………恋人」
「……………………あ?」
聞き間違えたのかと思わず聞き返す。
「恋人が欲しいです」
「…………………………ええと」
優秀であちこちから引き抜きの声が掛かったはずの頭脳が見事に凍りついた。
「いい人紹介してくださいよ」
「俺じゃないのかよ」
動揺のあまり随分微妙な突込みだったが、シャリィは相変わらず熱に浮かされた息遣いで横たわっている。
「……お前、熱でどうかしたか?」
本気で心配になってもう一度布を取って熱を確かめた。
「恋人って言うか恋人じゃなくてもいいんですけど、恋人欲しいです」
「何を言ってるんだお前は」
「……家族、欲しいなって」
「……シャリィ……?」
少女はゆっくりと瞬きをした。焦点定まらぬ瞳で天井を眺めながら言う。
「両親とちょっと折り合いが悪くて……。親戚もいないし。今日倒れて、姫様がお医者さんの手配とかしてくれたしさっきの先輩の侍女が助けてくれましたけど、なんか、なんか上手く言えないんですけど……」
少女の瞳が熱以外のもので潤む。
「ここでの住み込みの仕事じゃなかったら、誰にも助けてもらえないで一人で寝ていたのかもしれないって思ったら、なんか妙に心細くって……」
すごい、怖くなっちゃって。
こらえきれない何かをこらえるために瞳を閉じたら、そのせいで涙が一筋粒を結んだ。
「そしたら、誰か、私を一番に考えてくれる人がいたらいいなぁって。仕事と私を同じぐらい大事にしてくれる人がいたらいいなぁって」
口元に夢見るような微笑が浮かぶ。
「そんな人がいたら、いいなって……」
「…………シャリィ」
「……ごめんなさい、馬鹿なこと言って。何言ってるんだろ、私」
少女は天井を見ていた視線を自分の腕で遮った。
「ごめんなさい。駄目だな私」
腕の下から見える唇が焦ったように動く。
「なんか、体の節々痛いし、頭ずっきずきするし、気持ち悪いし。もー、何やってるんだか。駄目ですね、人間やっぱこんな状態だとろくなこと言いやしない」
自分の失態をなかったことにしようと、中途半端に戻ってしまった理性で取り繕う少女がどこか痛々しい。
「ごめんなさい。ほんと忘れてください」
「……まぁ、な」
ゲイルは大きく息を吐き出してからシャリィの髪をゆっくりと撫でた。
「こういうときは誰でも心細くなるさ」
「……すいません」
「なぁに謝ってるんだよ。お前らしくもない」
ゲイルは肩を震わせながらシャリィの髪をぐちゃぐちゃにかき混ぜた。
「まずはゆっくり寝るんだな。姫様が言ってたぞ。元気にならないと出てきちゃ駄目だって」
その様子を想像したのか、口元に笑みが戻った。
「……リッターも謝ってた。いじめたみたいで悪かったって」
「そんな……、もったいない」
「何なの、その扱いの違い。リッターにばっかへこへこしやがって」
「だってリッター様は私を雇ってくださった恩人ですもの」
「いや、お前を探らせてるのもそのリッター様なんだけど……」
扱いの違いが腑に落ちずふて腐れるが、シャリィは楽しげにクスクス笑っていた。
「……ほんと、この国、優しい人がいっぱいで……」
「ん?」
「……私、この国好きです」
夢見るようにシャリィは呟く。
「…………」
「……この国に、いれたらいいなぁ……」
目を閉じた少女の睫に、それが光った。
「……さ、もう寝るんだ」
「隊長さん……」
「眠れるまでここにいるよ」
「本当に?」
「あぁ……」
濡れた睫をぬぐってやりながら穏やかに言った。
「おやすみ」
「……はい」
頬に手を当てると、それに安心したように微かにそこに顔を寄せながらゆっくりと眠りに落ちていった。
穏やかな寝息。
「……一番に考えてくれる人、か……」
緩やかに上下する胸元を見下ろしながらいた。
「よぉ、リッター。ちょっと呑まないか?」
ノックをしたから礼儀は果たしたと、ゲイルは返事も聞かずに扉を開け、長椅子に腰掛けた。
「……仕事終わってないんだが」
「あぁ、そうか。じゃ、仕事してていいよ。俺呑んでるから」
「お気遣いいただきありがとうございますだな」
「なんだよ、拗ねるなよ」
「お前のせいだよな。間違いなく」
リッターは結局仕事の手を休めるつもりはないようなので、ゲイルは自分が持ち込んだグラスに酒を注ぎちびちび呑み始めた。
「……シャリィの様子はどうだった?」
「ちょっと熱があったみたいだな。休めば大丈夫だそうだ」
「そうか。それなら良かった」
聞きたいことを聞き終えれば用無しとばかりに、リッターは再び仕事に戻る。ゲイルも再び一人で飲み始める。飲み干してはまだグラスに注ぎ足す。いい音が響いて、リッターは無視しがたくなり、ため息をついて本を閉じた。
「……で? 何をそんなにへこんでるんだ、ゲイル隊長」
「シャリィに恋人紹介してくれって言われた」
「………………それは、また、ええと…………。……まぁ、呑め」
ぼそりと言うとあからさまにリッターは硬直した後、ギクシャクと酌をした。
「でも、うん。ゲイルはいい男だと思うよ」
「いや、そんな慰めてくださらなくて結構なんですが」
普通に慰められてしまった。
「……家族が欲しいんだとさ」
「え?」
「シャリィ。家族が欲しいんだって。自分を第一に考えてくれる人が」
「……ふぅん」
紅茶を飲んでいたカップに酒を注いで、リッターは呟いた。
「……起きたときに、傍にすらいないからな、俺」
「だったら今いってやればいいじゃないか」
「懐かれても困るだろ。素性怪しいんだから」
「まぁ、放置しておいても大丈夫だと思うんだけどな」
「あのねぇ、リッター君。君が探れって命じたんだけど。身元怪しい奴雇っておいて身元証明押しつけて自分は慕われてるって、ちょっとそれどうなのよ」
「絡むなよ、ゲイル。悪かったって」
「絶対思ってないだろ」
どさっと背もたれに寄りかかって、天井を見上げる。力を持たぬ王女を盛り立てるために何度もここに籠もって会議をした。二人の時もあったし、リッターの父親や自分の部下を引き込んだ事もあった。一筋縄ではいかない王女に振り回されて、気がつけば引き返せない場所まで来てしまっている。
使い捨てにされるのをよしとしていた人生を送ってきた。使い勝手のいい駒でいることに誇りを持っていた。身代わりのきくものであればよかった。
「……どこで間違えたかな」
掛け替えのない存在なんてものになるのはごめんだった。そんなのは重くて面倒くさい。
「何がだ?」
「いや、俺の人生どこでこうなっちまったかなってさ。面倒くさいのはごめんだったのによ」
捨てられないものがどうにも増えてしまった。あのおてんば姫様を今更放り出せないし、自分たちしか知らない機密事項もたくさんあるし、女一人切り捨てられなくなってしまったし。
「……確実にお前に目をつけられた時だよな」
「人生の転機になれたのなら光栄だな」
「お前の言葉は一々軽い」
自分より年下の男に適当に扱われてよりへこむ。行儀悪く膝を立てて長椅子に乗せる。
「ほんと、誰かどうにかしてくれよ……」
切実な響きに、リッターは笑うだけだった。
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