第11話 彼女の秘密
賢王に恵まれたおかげで、このイブリス王国の治安はよく、他国との争いも近年見られない。とても平和な国である。王国軍の弱体化は、その恩恵の弊害にあたると言われている。実戦経験のない軍隊は、いざ戦場に立ったときどれだけ使えるか怪しいがある。一人一人の腕は悪くない。全体としての練度もそれなりの水準に達していると思う。けれど、どこかに緩みがあるように感じられる。どうせ戦争に行くことはない。その意識が根底にあるから、なんとなく詰めが甘いような、居心地の悪さを感じてしまう。
他国の傭兵部隊に在籍し、命のやりとりをして金を得ていたゲイルにとっては、ここはなんだが妙にむず痒く歯がゆい思いを抱えてしまう。
「隊長、失礼します」
「入れ」
自室の窓から正規部隊の訓練を見ていたゲイルは、ノックの音に視線を室内に戻した。
「報告書をお持ちしました」
「ご苦労様」
手渡された紙をぺらぺらめくりつつ、説明を求める。
「どうだったよ、お隣さんは」
「だいぶぴりぴりしてましたね。兵隊たちが殺気立ってましたよ、どっちも」
「あそこでドンパチされると、こっちの今考えてる輸出ルートにもろ被るから止めて欲しいんだけどなぁ」
芳しくない報告にゲイルは眉をしかめた。リッターから頼まれている安全な輸出ルートが中々確定しない。
「ナイダルンスは、なんでこう国内で喧嘩ばっかしてるかねぇ。迷惑なこと極まりないなぁ」
「歴史ある大国は大変ですね」
「気軽に言ってくれるな。どこかいいルート見つけてきたのかよ」
「一応有力商人の動きは見てきたんですが、どこも私兵集団を持ってるみたいでした。やっぱりある程度の規模の護衛団は作らないと無理だと思います」
「そりゃ作りはするけどさ。正規軍、兵貸してくれるかねぇ。うち人数少ないんだから、あんまり護衛団に持って行かれると痛いんだけど」
「その辺りは上手く交渉してくださいよ、隊長」
「……随分軽く言うね、お前も」
「信頼してますから」
けろっという部下をにらみつける。傭兵団から連れてきた部下で、有能だから引き抜いたのだが、つきあいが長い分やりにくいところもある。
「この情報、あちらさんは知ってるのか?」
窓の外の正規軍を指して言う。
「いえ、多分まだ状況を把握してないのではないでしょうか。そんな動きはありませんでしたから」
「んじゃ、あちらさんにも流してやるか。貸し一で」
「また嫌われますよ?」
「しょうがないだろ。使える武器少ないんだから」
報告書を机の上に投げて、大きく伸びをする。
「とにかくご苦労様。長期の仕事で疲れただろ。呼び出しくるまで休暇取っていいぞ」
「また、えらく曖昧な期間ですね。ゆっくり休めないですよ、それ」
「だっていつ人手必要になるかわかんないんだもん」
「そんな言い方しても可愛くありません」
「いやだ、つれない」
おちょくるような言い方に、男は憮然とした後、にやっと笑った。
「そうそう、隊長。ちょっと聞きたいことあるんですけど」
「ん?」
「隊長、シャリィに何したんですか。避けられてるそうじゃないですか」
「…………」
得意げな部下の顔が本当に腹立たしくて、とりあえずけりを入れてみた。
「ちょっと風変わりな侍女入れたから、一応裏取っておいてくれ」
あの男は自分のことをなんだと思っているのか。ゲイルは時折リッターの自分に対する扱いに理不尽なものを感じざるをえない。本当にアルシェを大事に思っているなら、そもそも怪しいところのある侍女なんか雇い入れるなと言いたい。かといって雇い主の命令を無視できるわけもなく、色々不名誉な噂を立てられながらも健気にお仕事を全うしているわけだった。
「……まぁ、確かにあれはやり過ぎだったかもしれないが……」
あまりに颯爽と自分から逃げ去ろうとするから、つい向きになって本気で追いかけ脅しをかけてしまった。職務の一環とはいえ、スカートを剣で突き刺し逃げられないようにしようとしたのはちょっと過剰だったかもしれない。
間近で見る少女の顔は本当に年相応のあどけなさで、自分がただの悪い奴になったような錯覚を受け、どうに棄てたと思った罪悪感がひょっこり顔を出した。眠ってればいいものを。
あの日以来、彼女はこちらに対する警戒心を更に強化した。こちらを不自然に避けることが無くなった代わりに、徹底した無表情でこちらから話しかけるのを拒絶する。正直あの娘にそういう態度を取られるのは、避けられるより辛い。
「……どうするかなぁ」
頭の後ろで手を組んで空を見上げてしまう。正直、お隣の国の紛争より、こっちの方が大問題だった。
「ねぇ、シャリィ」
「はい、なんでしょう?」
シャリィの私室で、書類を読んでいる主を邪魔しないように持ってくるよう指示をされた本を机に重ねていたアルシェは、呼びかけられて振り返った。
「あんまり、人の事に口出ししたくないんだけど、ちょっと気になるから聞いてもいいかしら」
「はぁ。何をでしょう?」
書類を持ち、足を組み、カップの縁に唇を当てたまま、アルシェはさりげない口調で爆弾を落とした。
「ゲイルに浮気されて怒ってるってホント?」
「……………………は」
落とされた爆弾が大きすぎて、とりあえず動けなくなった。
「……え、あの?」
短い台詞の中、突っ込むところは一カ所なのだけれど、その前にもしかして聞き間違いだったのじゃないかとか、そういう大前提から疑っていたら、気の短いアルシェから再び尋ねられた。
「ゲイルに浮気されて怒ってるってホントなの?」
「いや、あの、です、ね? 姫様?」
どうしよう。本当に言葉が出なくなる瞬間ってあるんだと実感する。どうしよう。何を言おう。
「ええと、何から話せばいいのでしょうか……」
「浮気されたの?」
「されてません」
「じゃ、何されたの」
「え、ええと、剣でちょっと……」
「倒錯的ね」
「違います! 暴力的だったんです!」
ここは否定して置かなければ、自分と相手の名誉を著しく汚す気がして熱弁した。
「っていうか、違いますからね! 別に私隊長さんとおつきあいしてるわけでもないですし!!」
「……つきあってもない子に、何してるのかしら。ゲイルは。ちょっと注意しておかないと……」
「いえ、ですから……!!」
綺麗な眉を可愛らしくしかめた主人に、悲痛な叫びを上げる。
「そんな話が持ち上がってるんですか! どこで!? 誰が!?」
「そうねぇ。割とみんな。あちこちで」
「いやあぁぁぁぁぁ。どういう事ですか! なんでそんな事態に……!」
頭を抱えてしゃがみ込む。
「だって、ここの所あなたたち、追いかけっこすらしなくなっちゃったじゃない? シャリィが完全無視って感じで。だからゲイル何か致命的な何かやっちゃって本気で怒らせたのかなって」
「別に何もないですよ!」
「そうなの? でも押し黙ってる貴女って、妙に迫力があって怖いわ。やっぱ何かしたんでしょ。っていうか剣って何?」
「何でもありません!」
面白がる主人をぶしつけに怒鳴りつけて、シャリィは部屋を出た。からかわれた怒りにまかせてドスドスと足音を立てて廊下を歩いたが、不意に足を止め、大きくため息を吐いた。
そんな噂になっているとは思わなかった。道理で最近やたら視線を感じると思った。何か変なことをしてしまったか尋ねようと思ってもにやにや笑うだけで何も教えてくれない。皆して遊んでいたのだと思うと腹が立つけれど、やっぱり自分たちの間にある不自然な空気に気づかれていたのだと思うと恥ずかしくもある。
「……困ったな」
周りに見られていると思うと、今までみたいな無視を貫き通すのもなんか悪い気がする。ゲイルにされたことは怖かったが、ゲイル自身を嫌っている訳じゃない。悪評が立ってしまうのは申し訳ない。でも、今更対応を変えてるのはなんか気恥ずかしい気がした。
答えが見つからない問いを悶々と考えていたせいで、周りの気配に気づかず、廊下の隅に立っていた人影に気づかぬまま、その正面まで歩み寄ってしまった。
「……ぶつかるぞ、シャリィ」
「え? え!」
そこに立っていたのは、遊撃隊の隊長ゲイル・ラングウィッシュだった。反射的に逃げだそうとして、例の噂を思い出す。ここで変に逃げたら、妙な噂に信憑性を与えることになってしまうかもしれない。
対応に困って、シャリィは小さく一礼してゆっくり歩き出す。自分の足音に、ゲイルの軍靴の足音が重なる。その音はいっこうに小さくなっていこうとはせず同じ大きさでついてきた。
「……あの」
「ん?」
「……何かご用事でしょうか」
「今更な質問ですね、シャリィさん」
「……そうでしたね」
ゲイルが自分に用事なんて、もう一つしかない。
――お前は一体何者だ。
ゲイルは優しいだけの人じゃない。
珍しくシャリィがぼうっとしていたから簡単に接触ができた。逃げ出さずにいてくれたので、久しぶりに共だって歩くことができそうだった。自分より少し前を歩く少女の肩は相変わらず細くて、つかめばすぐにでも折ってしまえそうなのに、その掴むことにすら苦労したりする。
「……久しぶりだよな、こんな風にゆっくり歩くの」
「そうですね」
返事はあるものの、言葉少なで堅苦しい。
「……いい天気だな」
「そうですね」
「ちょっと寒いな」
「そうですね」
ゲイルは大きくため息をついた。
「……あのねぇ、シャリィさん。もうちょっと友好的な態度取ってくれてもいいと思うんだけど」
「……だって……」
機嫌悪そうに言うと、シャリィもふて腐れたように呟いた。居心地が悪い思いをしているのはお互い様らしい。もう一度細く息を吐き出して、肩の力を抜いた。
「どこ行くの?」
「……図書室です」
「何しに?」
「姫様の先生から頼まれていた書物を揃えに。姫様がお勉強に必要なそうなので」
「ふぅん。じゃ、付き合うよ」
「え?」
「だって難しいだろ。本」
「……なんでそれを」
シャリィはむすっとして答えた。シャリィがあまり字が得意でないことにはうすうす気がついていた。日常生活に支障はないようだが、専門用語となるとちょっときついようだ。
「手伝うよ」
「……ありがとうございます」
とりあえず隣にいる権利を手に入れたことでちょっと余裕が出来て、ゲイルは悠々と歩いた。シャリィの肩が若干こわばっていることには気づいていたけれど。
「……なぁ、シャリィ」
「はい?」
「シャリィって、足速いよな」
「え? まぁ……」
なんとなく聞いてみたかったことを何気なく話してみた。
「昔から?」
「えぇ、まぁ。走るの昔から好きだったんです。走るっていうか、身体動かすこと全般好きかな」
「それっぽいなぁ。追いかけっことか得意だろう」
「えぇ。昔から負け知らずでしたよ」
当時を思い出したのか、クスッと笑ってシャリィは言った。
「運動神経いいよな、お前」
単純に思っていたことを言うと、シャリィは嬉しそうに微笑んだ。
「本当はね。もうちょっと走り込みとか出来たらなって思ってるんですけど。ここの仕事に就いてから、なんだか身体なまり気味で」
「やればいいじゃないか」
「だって変じゃないですか。侍女が走り込みしてる城って」
「あ~。まぁな」
脳内で想像してみる。お仕着せの制服を着ながら走り込んでいる侍女。確かにおかしい風景ではあるのだが。
「……ほぼ毎日見ている景色だなぁ、それ」
想像と違うのは、現実では後ろ姿しか見ていないと言うところだ。
「私得意なの、身体動かすことぐらいですから」
「そんなこと、まぁ、多分無いんじゃない、かなぁ」
「……私の目を見て言って欲しいなぁ、それ」
白々しく空を見上げながら言うゲイルをシャリィは不服そうにに見上げた。口をとがらせた表情は久々に見る無防備なそれで、ついついシャリィの頭をくしゃくしゃっとなでた。
「ちょっと隊長さん……!」
「ははっ。わりぃ、わりぃ。なんか久しぶりだからさ、こういうのも」
「……だって……」
不意に少女の表情が暗くなる。わざわざ自分からその話題を振ってしまったことを後悔する。
「……私はここから出て行くべきでしょうか」
「……急にどうした……?」
「私の身元は、前の職場の方が証明しているはずです。それでも、隊長さんは納得していないわけですよね?」
「……まぁ、ね」
「嘘を嘘と認めるのは簡単だけど、真実を真実と認めてもらうのって難しいじゃないですか。私に出来る証明って、結局前の職場の人の紹介だけなのに、それを信じてもらえなかったらもう手がないんです」
「…………とりあえず、さ」
ゲイルは、言葉を選びながらゆっくりと言う。
「勘違いしないで欲しいんだが、俺はお前のこと嫌いじゃないんだ」
「……はい」
「むしろ好ましいと思っているよ。素直だし、姫様とも上手くやってるしな。けど……」
好悪の感情だけで進めるわけに行かない立場にある。
「けど、お前俺にうそついてるだろ?」
「……私は……」
「前働いていた商家とか、そういうのはどうでもいいんだよ。どこに所属してたとか、そいういうのはさ。そういうんじゃなくて、もっと大切なことを俺たちに話してないだろ? もっと、本質的な何かをさ」
「…………」
シャリィは俯いて、ぎゅっと固く拳を握り込んだ。
「わからないんだよ。普通に」
陰る横顔を見下ろしながら言う。
「シャリィみたいなどこにでもいそうな女の子がさ。商家でどういう仕事をすれば、そういう体捌き身につけることが出来る?」
シャリィは答えず、足を速めようとしたからその腕を掴んで引き留めた。
「どうすればそこまで人の気配に敏感になれる?」
こんな時、思い知る。
職業軍人が本気でその細い腕を掴んでいるというのに表情を消してしまったシャリィからは感情が漏れてこない。
「……どこで鍛えた?」
せめて、怯えてくれればいいのに。
腕を掴むゲイルの手のひらは、大きく温かい。痛くなく、けれど決して逃がさないような絶妙の力遣いを感じると、いっそ大切にされているような錯覚すら覚える。
「そんなに私が何者か気になります?」
「…………」
「……そんなに、私信用できないかな」
ちょっとだけ残念だった。身勝手にもほどがある言い分も口に出してみたらこっちが正論になってくれたりしないかななんて打算を込めて。
「隊長さん?」
名前を呼んでも返事はなく、ちょっとだけ手首を掴む腕に力が入って痛かった。
「……言えない?」
「……言いたくない」
「どうしても?」
その問いかけは優しくすら感じて、素直にうなずくことが出来た。
「教えろよ」
頑是無い子供に言い聞かすような口ぶりに、けれど首を振る。
「確証をくれよ。お前が敵だったら、斬るのは、俺だ」
その時が来たら躊躇いなく切り捨てるんだろうに、ちょっとだけ辛そうに眉をしかめるから誤解したくなる。
「……因果な商売ですね」
「所詮俺は傭兵だ。騎士じゃない」
違う国から、戦うことを求められて呼ばれた人。生まれた国すら知らない。
そうやって誰かに必要とされるってどんな気持ちなのだろう。誰かを殺めることを求められる気持ちとは。
嬉しいのだろうか。虚しいのだろうか。尋ねても答えてはもらえないだろうっていう、静かな確信があった。
「ねぇ、隊長さん知ってます?」
「ん?」
「なんか私、隊長さんに浮気されて怒ってるって事になってるらしいですよ?」
悪戯めかしていうと、ゲイルも苦笑を浮かべた。
「俺が聞いたのは、新米の侍女を執拗に口説いてるって話だったな」
こんなところを見られたら、また妙な噂が立ってしまうだろう。現実はそんな色気のあるようなものではないというのに。
「俺が追いかけ回してばっかじゃん。どういう事だよ」
「そのまんま事実じゃないですか。私だいぶ追い回されましたよ」
「追い回したって答えちゃもらえないのにな」
皮肉を言われても笑って流す。スルーかよっとゲイルが小さく愚痴った。
掴まれた腕の温もりが可笑しい。この手がもし自分の首に掛かったらこんな小娘の命など簡単に奪えてしまうのに。奪ってしまった方が後顧の憂いがなくなるというのに。
「……ねぇ、隊長さん」
こんな人に信じてもらえたらどれだけ嬉しいだろう。こんな人に、ここにいていいよって言ってもらえたら。……いて欲しいと願ってもらえたら。
「私、これだけは約束します」
けれど、それは無理だ。それはこの人の立場が許さず、許すような人柄ではない。
「知っていてください」
だから、ただ告げる。
「私は、絶対に姫様を傷つけません」
「……それを、信じろと?」
「信じてくれます?」
ちょっとからかうように尋ねると、その気持ちが伝わったのかゲイルは苦笑して首を振った。予想通りの返答になんとなく安心する。
「信じてなんて言いません。ただ、私がそう約束したことだけは知っててください。それだけでいいから」
「……俺は、お前の素性を問いただし続けるぞ」
「じゃ、私はかわし続けます」
口角をあげる。上手に笑えている気がする。
「現状維持、か」
ゲイルは肩をすくめて苦笑いする。
「隊長さんが信じてくれれば、それですべてが収まるのにな」
笑いながら、冗談に本音を紛れ込ませたけれど、ゲイルは取り合わず、くしゃっと紅茶色の髪をかき乱すだけだった。
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