第10話 そして、シャリィは途方にくれる
「シャリィ」
「え? はい」
「姫様の代わりにゲイルの部屋に行ってシーツ略奪してきてくれないか」
「え? 私がですか?」
「うん、多分シャリィならできるよ」
「えぇ!? え、ちょっと、そんな、困ります……!!」
「頼んだよ」
「ちょ、無理ですよ、リッター様ぁ……!!」
いや、無理ですってば。
そして、シャリィは途方にくれる。
未来の旦那様に担がれて去っていった少女の旦那様の命令は、やはり一応絶対で、シャリィは命令を果たすべくとぼとぼと歩き出す。とりあえず部屋がわからないのでそこら辺を歩いていた顔見知りの兵士に尋ねる。
「あの、すいません」
「ん? あぁ、シャリィか」
その兵士も侍女たちの強襲を受けたのだろう、妙に疲れた顔をしていた。
「あの、隊長さんの部屋を知りたいんですけど……」
「何? シャリィが今日は隊長殿の部屋担当なの?」
「あー、ええと、別に担当ってわけじゃ……」
社会の不条理、理不尽な上司の命令でボロの男の園に迷い込んだシャリィは廊下のあちこちに落ちている不穏なものから目を逸らしつつ言った。
「っていうか、隊長さんの部屋、この宿舎の中にあるんですか?」
「あぁ。最上階の一番日当たりのいい部屋だよ。」
「……偉いんだかそうでないんだか……」
この宿舎じゃたかがしれてるであろう部屋を想像して、かの遊撃隊のこの国での地位ってなんなんだろうとふと遠い目をする。
「でも、隊長自分の部屋に人を入れるの嫌いだからなぁ」
「あ、そうなんですか?」
聞き返しつつどこかで納得していた。王女様じきじきのご訪問も断っているわけだし、自分とその他の線引きが強いタイプだよななどと考える。
「じゃ、無理かな」
このまま諦めて帰ってしまうのもそれはそれで一つの手段だ。だが、その兵士はさらっと続けた。
「だけど、シャリィなら大丈夫じゃないか?」
「……それは一体何の根拠があって……」
「あははは」
何が楽しいんだ。多少立腹しつつ、シャリィは階段を上がっていったのだった。
「ここか」
それらしき部屋にたどり着く。扉をノックしてみるが、反応はない。
「あのー、隊長さーん?」
「……シャリィか?」
恐る恐る呼んでみたら、奥のほうからぼそっとした返事が返ってきた。扉の中で誰かが動く気配がして、きしんだ音を立てて扉が開かれる。その隙間から、ゲイルの顔が覗いた。
「……どうしたんだ? こんなところに」
「え? えっと、シーツを取りに来たんですけど、……眠たそうですね」
「さっき寝たばっかりでな……」
瞼が半分落ちている。本当に眠そうでちょっと気の毒になる。
「……大丈夫ですか? なんか疲れてますけど」
「ちょっと仕事が立て込んでてね。まぁ、いいや。とりあえず入れよ」
「え?」
「……え?って? シーツを取りに来たんだろ?」
「え、あ、はい。そうなんですけど……」
ゲイルは戸惑うシャリィを見て小さく笑いながら、「散らかってるぞ」と呟きつつ先に入っていった。その背中を見ながら思う。
この人の線はどこにあるんだろう。
男の部屋は殺風景で、数少ない私有物は床に散らばっていた。使い込まれた剣の手入れ道具やら、服やら、血のついた包帯やら。
開けてある窓には薄汚れたカーテンがたなびき、そこから城下町が見て取れた。
ゲイルは部屋に招いておきながらかったるそうにベッドに腰掛けた。
「あー、すまん。そこらに茶器あるから適当に……」
「いいですよ。それより大丈夫なんですか? なんか本当に辛そうですけど」
「あー、まぁ、少し寝れば元通りだよ。で、なんだっけ? あ、シーツか」
ベッドから立ち上がってシーツを乱雑に引っ剥がす。その下から敗れて綿が吹き出たマットレスが現れた。
「……隊長さん、隊長さんなんでしょ? もうちょっといい部屋もらえないんですか?」
「いい部屋貰ったって、どうせろくにいないんだから意味ないよ。これぐらいの方が気楽でいい」
そう言って、ひょいっとシーツを投げてよこした。シャリィはため息一つついて受け取った後、再びシーツを引きなおした。
「シャリィ?」
「この上で寝たら服綿だらけになっちゃいますよ」
「いいよ、そしたらどこかで昼寝してくるから」
「駄目ですよ。そんなんじゃ体の疲れが取れないじゃないですか」
「だって、これ取って来いって命令されたんだろ?」
「どうせ、今までだって渡してないんでしょ?」
「そりゃまぁ、そうだけどさ」
再びベッドの上に腰掛けてゲイルはシャリィを見上げた。
「シャリィはシーツ洗いに参加するの初めてか」
「えぇ」
「驚いただろ。一国の姫が何やってるんだって」
「一国の姫様に逆らってる隊長さんにも驚きましたけど」
「だって、あの人俺が疲れてるときにばっかくるんだもん」
草臥れた様で首を回す隊長を見下ろして、きっといつも疲れてるんだろうな、この人と思う。
「あー、疲れた」
そう言って大きく手足を広げてベッドに大の字で寝転がる。この図体にこのベッドは小さいのか足の先がちょっと飛び出ていた。
眉間に刻まれた皺が深くて、思わず指先で触れた。
「……シャリィ?」
「そんな顔して寝てたら、疲れ取れませんよ」
ゲイルはふっと笑って口元を緩めた。
「治った?」
「癖になっちゃってますよ」
寝転んでいるゲイルの眉の辺りを、上から覗き込んで両手で伸ばした。なんだか一生懸命に伸ばしていて、つい笑ってしまう。
「ちょっと笑わないでくださいよ」
「だって、お前何やってるんだよ」
肩を震わせる。くすぐったい。
「よし、とれた。で、ゲイルさん」
「ん?」
「救急箱ありますか?」
「え?」
「足首。痛むんじゃないですか?」
「……なんで?」
目を逸らしながらゲイルは答えた。
「足、ちょっと引きずってたみたいですけど」
「気のせいじゃ……」
「ないですよね?」
容赦ない少女の言葉にゲイルはため息をついた。
「……御見それしました」
ゲイルは部屋の隅を指差した。
「あー、ちょっと腫れてますね」
青年はベッドの上に上半身を起こして座り、投げ出した足をシャリィに見せた。右の足首が僅かに腫れている。少女ははいたまないようにそっとそこに触れた。
「駄目ですよ、ほうっておいたら。捻挫はくせになりますよ?」
「腫れてると思わなかったんだ。ちょっと痛むなと思っただけで」
あまり上手でない言い訳をしようと試んではみたものの少女はあまり聞いてなくて、足首に冷たい薬を塗りつけた。自分の足首の辺りで器用に踊る細い指がくすぐったい。
「……慣れてるな」
「……いえいえ、そんなことは」
ゲイルが何気なく言うと、少女は強張った声で返答した。そこそこ琴線に触れてしまう話題だったらしい。そのまま追求していくのも面白いが、今日は手当てをしてくれているのでやめておく。
「……悪いな」
「体は大事にしなきゃだめです。いざっていう時が、貴方には沢山あるんだから」
その横顔は真剣だった。
「…………」
「わかりましたか?」
「……変な奴だな。お前」
「え?」
「……何者なの?」
シャリィの横顔がかげる。
「……そんなに」
口の端に笑みが浮かんだ。
「そんなに私が何者か気になります?」
「…………」
「……そんなに、私信用できないかな」
笑っていたけど泣き出しそうで、だけど自分だって譲れなくって、どうしようもなくなってゲイルはシャリィの肩を抱き寄せた。
「隊長さん?」
上手く自分の力がセーブできなくて、痛いだろうと思うのだけれど手の中に封じ込めた柔らかさを手放す気にはなれなかった。
「……言えない?」
「…………言いたくない」
「どうしても?」
小さく少女は頷いた。
紅茶色の髪が頬に当たる。太陽の匂いがして愛しい。
「……教えろよ……」
確証が欲しい。
「……だって、お前が敵だったら斬るの俺なんだ」
「……そんな仕事、止めちゃえばいいんですよ」
「お前はそうやって止めたのか?」
「言わないって言ってるじゃないですか」
「引っかかれよ」
「そんなちゃちなの誘導尋問にもなりませんよ」
苦しげに笑う。
「……やめましょうよ、もう」
その声が悲しそうで、笑っていても悲しそうで本当にかわいそうになった。
シャリィがこの話題を毛嫌いしているのは知っている。
苦しくて辛くなるのも知っている。
ただ、わかって欲しい。
お前が敵で無いという確証がないと、なんだかどこにも進めないんだ。
吐き出した息の熱さが、なんだか思春期のころを思わせて笑えて来た。そんな年でもあるまいに。
「……なぁ、シャリィ」
「はい」
少女は肩を抱きしめる自分の腕にそっと手を添えていた。離れがたい何かをこの少女も感じていてくれればいいなと思う。
「なんか馬鹿みたいだな、俺たち」
「……私もですか?」
「一緒に馬鹿やろうぜ」
「納得いかないなぁ」
そういってシャリィはこつんとゲイルの胸に頭を預けた。
「疲れた。ちょっと寝る。お前も寝てけよ」
「年頃の娘に何言うんですか」
「気にすんなよ。で、少ししたら起こして」
「そっちが目的ですか。っていうか放して下さいよ」
「やだ」
そういってゲイルは少女を抱きこんだままごろりと寝台に寝転んだ。
少女がシーツと小さく呟いたのはわかったが、とりあえず無視した。
少なくともこうしている間、少女は裏切れないから。
ゲイルは静かに瞼を閉じた。
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