第8話 彼が来た日
「あのね、リッター」
「なんでしょう」
「物語に出てくるお姫様って、なんかとりあえずきらきら光っててね」
「はぁ」
「苦難に満ちた人生を送ってても最終的には愛する人と結ばれるの」
「へぇ」
「しかも絶対美男で金持ちなのよ」
「なるほど」
「で、一度苦難を乗り越えると、あとはめでたしめでたしでずっと幸せになるの」
「ほほぉ。で、何が言いたい」
「自分がお姫様って言うの、なんかもうものすごい恥ずかしいのよね」
「急になんだ」
「一国の姫様が国内視察に出るっていうのに、こんな身軽気軽な出立でいいのかしらって自問していたのよ」
風もなく晴れ渡った青空の下、かっぽかっぽと暢気な足音を立てる馬に乗ったアルシェは苦虫を噛みつぶしたような顔でリッターに答えた。
「何を今更。いつもの事でしょう」
「こういう時って馬車とか用立てるべきじゃないの? しかも誰も馬引いてくれないし」
「いいじゃないですか、馬乗るの好きでしょう?」
「にしたって、同行者少なすぎない?」
同行しているのはリッターと侍女のシャリィにゲイルを筆頭とした護衛数人。身軽すぎる。移動しやすいようにと、普段にもまして簡易な服装に身を包んだ自分は、どう見ても一国の姫とは思えなかった。
「前馬車に放り込んでおいたら、外が見たいと駄々を捏ねたのは貴女でしょう?」
「要求ってのは常に移り変わっていくものなのよ。いつまでも同じと思ってたら痛い目見るわよ」
それは怖い。
こっちを見もせずにさらっというリッターが憎らしい。
「あぁあ、何時になったら白馬の王子様がやってきて、この極悪お目付役からさらいだしてくれるのかしら」
「この前来ていたようですよ。姫様はシャリィの目を逃れて街中に遊びに行っていたから会えなかったみたいですね」
当てつけがましく溜息をつけても、皮肉が倍になって帰ってくる。
「……リッター」
「なんでしょう」
「……なんでもありません」
「でしょうね」
言いたいことは山のようにあるが、何を言っても口で勝てたことがない。
「……ホント、素敵な王子様現れてくれないかしら」
「素敵な王子様は素敵なお姫様に取られてしまうので、予約がいっぱいなようですよ」
「照れて出てこないのね、きっと」
「はっはっは。幸せな人だなぁ」
二人の間にぴりぴりとしたものが流れ始める。間に挟まれる形になったシャリィは冷や汗を流す。
「あ、あの、隊長さん……!!」
「ん~? なんだ?」
先頭を進んでいたゲイルの元へと馬を進め、シャリィはこそこそと話しかける。
「なんか、姫様とリッター様の間が不穏な感じなんですけど……!!」
「何時ものことだろ。ほっとけよ」
ゲイルはそう切り捨てる。
「え、いや、でもだって……」
「いいんだって。じゃれて遊んでるんだから。それより、お前乗馬上手いなぁ……」
「え? いや、えっと……」
綺麗な姿勢で馬を歩ませる姿をまじまじと見て、ゲイルはしみじみ言う。
「どこで習ったんだ、それ」
「い、いえ、ですから、ええと……!」
あからさまに動揺して、どう言い訳しようという表情になる。
「なぁ、シャリィ。本当にお前昔何を……」
「違います!」
「……何がだよ」
会話が成り立っていない。
「違うんです」
「だから、何が」
「私は以前の国では大きな商家に勤めていてですね! そこで紹介状書いてもらった訳で、リッター様もそれ見て私の採用決めてくれたわけだから身元はしっかりしてるんです……!!」
「その予め考えておいて、言う練習もしておきましたって言い方はどうよ」
言うとぎくっと固まった。本当に練習していたのかもしれない。それを考えると哀れになって、つつかないでやることにした。
「その商家で馬も扱ってたのか?」
「いえ、ちが、え?あ、そう! 実はそうなんです……!!」
「……奇跡的に嘘がヘタだな、お前」
「そ、そういう隊長さんこそ、実はよその国出身だそうじゃないですか!」
話を逸らす糸口を見つけたのか、勢い込んでシャリィは言う。
「実はって、別に隠してねぇし」
「だって教えてくれなかったじゃないですか」
「聞かれてもないのに言いふらしてるのも変だろう?」
「それは、そうですけど……」
そんな会話をしている間にも、リッターとアルシェの間は険悪になっている。
「大体、リッターは生意気なのよ! 誰が主かわかってるの?」
「物覚えが悪ければ忘れられるんでしょうけどね。残念ながら優秀なので……」
「あんたねぇ……!!」
見目麗しいアルシェの顔が怒りにゆがむ。シャリィは慌てて口を挟んだ。
「え、ええと、そ、そろそろお腹すきませんか?」
「そうかぁ? まだ城出たばかりだろ? 朝飯食ってないのか、シャリィ」
話を変えようとしたのに、脇から腰を折られる。
「それとも疲れたのか?」
「え、えぇ、そうなんです! ちょっと休憩したいななんて……」
「あはは。なんてな。お前がそうそう疲れるわけ無いか」
「どういう意味ですか……!!」
ゲイルにかみつくが、意に介した様子がない。
「私わかったわ、リッター。貴方を甘やかしてたら際限なく調子に乗るんだって。厳しくしてあげるのが優しさだって!」
「はっはっは。姫様は面白いなぁ」
空気がぴりぴりしている。このままここにいるのは生命の危険すら感じて、シャリィは手綱を引いて馬を駆けさせた。
「私、どこかお昼食べるのに飯場所探してきます! ゆっくり来てくださいね」
背筋を伸ばして颯爽と駆けだしていく。
「……いやぁ、ほんと、なんていうかな。あの子」
手でひさしを作って、ゲイルは言うともなく言う。
「出自を疑われてるとは思えない、清々しいほど見事な乗馬だなぁ……」
農耕馬として使うのではなく、乗るための馬を持つのはある程度生活に余裕があり教養深い人間に限られる。そうでなければ、乗馬の技術を純粋に必要とされる職種であるか、だ。
「本当になぁ。疑うのが馬鹿らしくなるよなぁ」
リッターもつられたようにシャリィの後ろ姿を見送って言う。
「あれ、全部演技だったらどうしような」
「いやぁ、そしたら姫様諦めて討たれてください」
「あの、でも、シャリィはいい子なのよ……?」
何が「でも」で、語尾が疑問系でいいのかで、そもそもそれはフォローなのか。色々思ったが、アルシェがすごく真剣だったのでそうだなと言ってあげた。
とりあえず昼食の場所は働き者の侍女が設定してくれるというので、お姫様の教育係と護衛のトップはかっぽかっぽと馬を並べてのんびりおしゃべりしていた。
「おい、リッター」
「ん?」
「お前か? シャリィに俺の昔の話したの」
「え? あぁ、そうだけど」
「余計なこと言うなよ」
「不機嫌だな。珍しい。恥ずかしがってるのか?」
「……うるせぇ」
リッターの面白がっている口調にいらっとして、ついつい拗ねたような声が出てしまう。それが余計に相手を喜ばせるとわかっていてもだ。
「懐かしいな」
くくっとのどの奥の方で笑うのが癪に障る。
「会った頃は、もうちょい可愛い奴だったのによ」
皮肉げに言ってやると、ふっと不敵に笑う。可愛くねぇなと自分も吹き出す。
俺は、ただの駒でいい。
そう思っていた時期のことだった。
険しい崖を背に建てられた、その建物は、どこか雑然としている。そこに住む者たちは粗野な者が多く、建物を綺麗に管理しようとかいう思考がないのが問題だなと、ゲイル・ラングウィッシュは常々思っていた。
「どうかしましたか? 大隊長殿」
「いや、別に」
馬に乗って砦へと帰投する最中、ぼんやりしたことを訝しんだのか、副長がそう声をかけてきた。この副長をつけられたのはつい最近だが、それなりに気の回る男なので重宝している。
(だが、少し気が回りすぎだな)
勝手なことだとは思うが、気がついても放っておくべきこともある。気がつきすぎる。長生きできるタイプじゃない。
「大隊長殿?」
「いや、なんでもない。……随分騒がしいな、砦」
「先遣隊をやりました。戦勝の報を聞いて賑わっているのでしょう」
「大げさだねぇ。ただの盗賊退治だってのに」
「大隊長がでるのは久々ですからね。派手な戦功を期待しているのでしょう」
「ご期待に添えるような戦功を上げた覚えはねぇなぁ。連れてった奴だって新兵ばっかだし」
「その新兵ばかりを引き連れての大勝だからこそでしょう」
生国を子供の頃に飛び出して、いくつかの国を放浪した後、この傭兵団に身を寄せてもう何年になるだろう。総隊長と知り合ったことからここへと入隊することになり、なんだかんだやっているうちに順調に出世してしまって今や大隊を率いることになってしまった。
人生どう転ぶかわからない。
門の辺りに人がたくさん集まっていて、それに手を振り替えしたりしている自分など想像したこと無かった。
「おかえりなさい、隊長!」
「よくご無事で……!!」
運に恵まれ、最短で大隊長まで上り詰めた。おかげで、まだ若い傭兵から羨望の目で見られるのにも慣れたものだ。そんな眼差しに舞い上がる気にもなれず、淡々と尋ねる。
「あぁ。総隊長はどこにいる?」
戦の後はいつも気怠い。ゲイルは重い身体を無視して、総隊長に報告に向かうべく後のことはすべて副長に押しつけて隊を離れた。
「大隊長! ゲイル大隊長……!!」
「んあ~?」
夕方から始まった宴は夜遅くまで続いた。次の日はどうせ休みだからと深酒した身に、扉を容赦なく叩く音がきつかった。
「なんだよ、まだ朝じゃねぇか」
太陽はすでに高いところまで登っているが、降り始めるまでは、朝判定だ。痛む頭を押さえながら不機嫌に呟いて扉を開ける。
「どうした」
「お休みのところ申し訳ありません。大隊長どのにお客様です」
「客……?」
誰だ。まったく心当たりがない。眠気を払いきれなくて大きくあくびをし、めをぎゅっと閉じる。
「べつに今どこにもツケとかないしな。女か?」
「いえ、まだ若い男です。なんか品の良さそうな、ぼっちゃんっぽい奴で……」
「ぼっちゃん……?」
よりいっそう心当たりがない。
「まぁ、いい。すぐ行く。食堂にでも通しといてくれ」
「はい」
がしがしと髪をかきむしる。窓から差し込む光が嫌がらせのように強い。すっきりしない頭を誤魔化すために寝台の横に置いておいた酒の瓶を手に取り迎え酒で口腔を湿らす。酒と煙の匂いが染みついたシャツを脱ぎ捨てた。代わりに何を着ようか少し考えたが、誰かが洗い鏝を当ててくれた上着を肩に羽織った。身分の高い来客なら何の約束もなく来ることもないだろう。そもそも偉い人が総隊長を通さず自分に会いに来ることなど無い。
通りすがり、昨日の宴の後遺症に負けず働いている尊敬すべき部下たちに適当に素っ気ない挨拶を送って、食堂の扉を開ける。そして一目でここに客人を案内したことが間違いだと認識した。まだ昨日の残骸の残る食堂は混沌としている。床にぶち巻かれた酒瓶、何が起こったか想像したくない脱ぎ散らかされた服、粗雑に食べ荒らされた食べ物がのる食器の数々。どこか適当に会議室に移動するべきかと考えながら、その客人とやらを探す。
「……あんただな、客人ってのは」
その相手は、こんな場末の酒場みたいな場所にあっても品の良さを崩さず、けれど不思議と周りの風景となじんでいた。
取り立てて秀でた容姿というわけではない。無難なところでまとまった際だった特徴のない顔立ち、癖のない髪、ひどく人に説明しづらい没個性的な容姿だ。
「ゲイル・ラングイッシュ殿ですか」
「あぁ、そうだ。あんたは?」
「リッター・イム・ザインと申します。イブリス王国から参りました」
すっと立って手を差し出される。反射的にその手を握っていた。一般人の手だった。鍛えたような堅さは見受けられない。身のこなしはごくごく一般的な青年らしいもので、命を狙いに来たというわけではなさそうだ。
「イブリスって言うと、東の小国か。コーム山脈の向こうの国だったか」
脳裏に地図を思い浮かべる。特に取り立てた名産品もなければ産業もない、地味な小国だ。治安はよかったはずだし、傭兵団が本拠地を置いている国との間に別の国を一つ挟んでいて特に交流もなく、自分には全く縁のない国であった。そこの国の者が何をしに来たのか、ますますわからなくなった。あの近辺できな臭い噂などあっただろうか。
「それで? 何のようだ?」
「折り入ってお願いしたい事があり伺いました」
「お願い、ね。仕事の依頼か? だったら総隊長を通してもらわないとな。個人で仕事を受けるなって規則で……」
「存じています。調べさせていただきました」
わかった上での来訪。
「……あんまり、いい予感はしねぇなぁ」
思ったまま率直に言うと、その青年小さく表情を崩して苦笑した。その時取り澄ました青年の顔に、年相応のそれを覗かせ、つられて笑ってしまった。
「ここじゃなんだし、外に出るか」
多分この青年はどこにいても同じようなたたずまいで当たり前のような顔をしてそこにいるのだろうなと思った。たとえそこが各国の賓客が集まるような社交の場でも、路地裏の不良のたまり場でも。きっと普通にそこにいて、必要なことを話し、必要なければただそこにあり、そこの空気に自然と馴染んでいるのだろう。
ごつい外見の猛者揃いの傭兵団の中を平然とした顔つきで歩いているのを見てそう思った。
「イブリスから一人旅ねぇ。よく無事にここまでこれたな」
「どういう意味でしょう?」
「おまえさんみたいな優男が、よく一人で旅なんてできたなってことだよ」
「あぁ、よく言われますが、まぁ適当に煙に巻くのは得意なんですよ」
「なるほど。それっぽいな」
飄々と言う様がおかしくて小さく笑った。
「さて、ここなら人目を気にせず話ができる」
練兵所の脇を抜けて、小高い丘に出る。傭兵隊の詰め所が一面に見渡せる所が気に入っていて、よくここで仕事をさぼっていた。
「で? 仕事の以来ってのは?」
食堂からくすねてきた酒瓶とグラスを取り出し、リッターに注いでやりながら聞いた。
「イブリス王国についてはどれほどのことをご存じですか?」
「あぁ、申し訳ないが詳しくは知らねぇな。そこがらみの仕事は受けたことが無くってね」
とりあえず知っていることを述べる。
東の小国であること。穏やかな国であった気がする。だからこそ自分の人生に関わりがない。
「何か有名な産業とかあったっけ?」
「いえ、今のところは特に。がんばっている最中です」
「悪い。本当に知らないわ」
「イブリスで今後、王位継承争いが起きる恐れがあります」
「……へぇ」
「国王の一人娘であったアルシェ王女に弟が出来ました。彼女とは母違いの弟です。王位継承権は王女にありますが、王子の母親は国内の力ある貴族の娘です。王位を狙ってくるでしょう」
「ふぅん」
「彼女の母親は他国から嫁いできた方なのですが、彼女を生んだときに亡くなりました。それ以降母国からの支援は得られない状態です」
「その口ぶりからすると、あんたは王女側の人間のようだな」
「えぇ。私は彼女の教育係をしております」
「へぇ」
自分より年が下であろう青年を見る。この若さでその役職に就くからには学識の高い若者なのだろう。国王からの信頼が高いのか、権力欲が強いのか。それは今与えられている情報からは判断できなかった。
「で? その教育係が俺に何の用だ?」
「本日伺ったのは、貴方を我が国に引き抜きたいと思ったからです」
「……随分ストレートに言うのな」
「回りくどい方がお好きでしたか?」
ならやり直しますがと言う。それを要求したら本当にやり直してくれそうだった。
「いや、ありがたいよ。でもなんで俺?」
「以前、仕事でリバイン公国にいらしたことがあるでしょう?」
「リバイン……。あぁ、あったな、確かに。確か窃盗団が多発して、それの護衛についたな」
「私はその時国立学院に在籍していたんですよ。この傭兵団に護衛をいらした商家は私の友人の実家でね。あまり傭兵団などとは関わったことがなかったものですから興味があって、色々話を聞かせてもらっていたのですよ」
「へぇ。物好きなことだな」
リバイン公国は学術都市だ。色々貴重な文献やら資料などがあって、それらを交易品として取り扱うこともおい。それらを狙った窃盗が多発し、護衛を依頼された。たまたま運良くその窃盗団の本拠地の情報が手に入り、色々な条件がいい方に重なったので、その本拠地に攻め込み、窃盗団全体を摘発することが出来た。
「その手際の良さに感銘を受けました。その商家の主催で祝勝会が開かれたでしょう? 実はそれに私も出席させていただいていたんですよ。あわよくば貴方と話してみたくて」
「……話したっけ? すまん記憶にない」
「いいえ、遠目で見ただけです。団員の方とは何人かはなしをさせていただきましたが」
「ふぅん」
さりげなく言われて突っ込みはぐったが、リバイン公国の国立学院は狭き門、難関中の難関だ。そこの学生だったというからにはやはり相当頭脳明晰なのであろう。何を探られたのか、今更の話だがこそばゆくなる。
「国立学院の学生様にしがない傭兵風情が興味を持たれるとは光栄だね」
「そうですね。傭兵団そのものには今も大して興味はありません」
「…………?」
「興味があるのは貴方です」
「…………」
静かに断言する、その声。揺らぎなく、誠実だった。
「……なんで俺なんだ?」
「傭兵団の方に貴方の話をたくさん聞きました。貴方をあがめる人は多かった。指示はいつも的を得ていて、効率的に物事を進める。その気性はさっぱりしていて後腐れがない。混戦の中においてもいつも冷静で、貴方について行けば生き残れる。尊敬されるに足る能力を持った方だと」
「うちの傭兵団は優秀だ。そんな奴は掃いて捨てるほどとは言わないが結構いるよ」
「えぇ、そうでしょうね」
「俺より義侠心のある奴もいるよ。不遇のお姫様を助けてやろうと考えるんじゃないかな。なんなら紹介するけど」
「貴方は、つまらなそうだったんですよ」
「……は?」
リッターの顔を見る。特徴のない顔つき、けれどその瞳に宿る光は強い。
「戦功を上げて浮かれる者たちの中で、あなたは笑っていたけれど、とてもつまらなそうだった。それが貴方を選んだ理由です」
「…………」
出世ならしたかった。色々渡り歩いてわかったことは結構バカが世界を回しているということだ。能力がないならおとなしくしていればいいものを、仕切る力はないくせに権力だけは欲しがる輩はたくさんいた。戦いの中に生きていく道を見つけたつもりだが、無能な上司に殺されるのはごめんだった。
けれど出世をして嬉しいと思ったことはない。どれだけ大きな戦功を上げても心はいつもどこか奇妙に醒めていて、沸き立つ仲間と同調できない自分がいた。
俺は、ずっと駒でいい。
代替えの利くものでいい。唯一のものでなくていい。物語の主役とか柄ではない。それでよかったはずなのに。
「……なんで、つまらなそうが選ぶ理由になるんだ?」
「なんででしょうね。この世に飽いているように見えたからかもしれません。アルシェに会わせてみたくなりました」
アルシェ。自分の主君を呼び捨てにして、リッターは笑った。
「正直私もはめられた口なんです。父にイブリスに呼び戻されて、学院には勝手に退学届けを出されて、帰る場所はないから姫様を盛り立てろってね。……アルシェは王女です。自分が戦場に立つことはない。そう言う理由で、彼女には親衛隊を作ることが許されませんでした」
「中々無茶な理屈だな。王位継承権を持つ者の護衛も立派な仕事だと思うが」
「彼女の立場の弱さがわかるでしょう? 彼女の護衛は普通の王国軍に任されています。だからなんとかそこに自由に動かせる部隊を食い込ませたいんです」
リッターは景色を見下ろしながら訥々と言った。静かな口調に、強い意志がつまっている。
「決して楽な仕事では無いでしょう。彼女の手札はあまりに少ない。汚れ仕事も多分やってもらうことになります。確かな力量の方を迎え入れたい」
「事情はわかったが、最初の質問に答えてないな。なんでつまらなそうが理由になる?」
言うと、くしゃっと顔を崩し、悪戯小僧みたい顔をして笑った。
「言っただろ? 俺もはめられたって。どうせなら、不本意な人間巻き添えにしたいじゃないか」
しばらく時間をくれと答えたものの、寝て起きたら答えは腹の底に溜まっていて、早朝から総隊長のところに退団を申し出ていた。
「まぁ、いつかそう言うと思ってたよ」
総隊長からのありがたい餞別の言葉をいただき、ついでにそれだけじゃ餞別が足りないと何人かの使える部下をもらってイブリスへと向かった。そこで出会った新しい主君の性格に、リッターの言葉の意味を深く理解する。
「……お前、本当に道連れにする仲間が欲しかったんだな」
「最初から言ってただろ。俺は嘘をついてない」
リッターは雇い主になったとたん、あの丁寧な物腰をどこかに捨ててしまった。
「仕事の中に、逃げた姫様を見つける事なんて聞いてなかったんだけど?」
「汚れ仕事もやってもらうって言っておいただろう?」
「汚れか? これ、汚れか?」
「細かいこと気にするなよ、運命共同体だろ?」
「しばらくの間与えられた仕事ってのが、姫様の捜索だなんて言えねぇよ」
「だいぶ楽になったな、お前が来てから」
この国に来てからのこき使われ具合を思い起こして、しみじみと呟く。
ただの駒でいい。ただ戦い、戦いの中で消えることが出来ればいいと。なのに、年若い教育係と来たら使い捨てなど許してくれない。
「……ほんと、いいように使ってくれるよな、お前」
ぼそっと言うでもなく呟くと、にやっとリッターは笑って宣った。
「飽きなくていいだろ?」
出会ったときはもうちょっと可愛かったのになぁ。
ゲイルは心の中で呟いた。
「いやぁ、見事な場所を見つけてくるよなぁ」
湖を背に、風上の湖岸。見渡しはよくて姿を隠す場所はない。きわめて奇襲を受けにくい場所だった。
「ゲイル、面倒だから何時ものやりとり止めてちょうだいね」
「何時ものとは?」
「お前は何者だって言う、あれよ」
「ちぇ、禁じられちゃったよ、リッター」
「姫様の命令だ。諦めるんだな」
「気にならないのか? リッターは」
「すごい気になる」
「姫様から聞いてくれれば素直にはくと思うんですけど」
「男二人にいじめられてかわいそうだから聞いてあげない」
「姫様……!」
ここのところとんとご無沙汰だった労りに巡り会えてシャリィはうるうると瞳を潤ませる。
「ねぇ、シャリィ。喉が渇いたわ。お茶を入れてちょうだい」
「はい……!」
「なんですか、姫様。俺らがいじめっ子みたいじゃないですか」
「俺らというな、お前だけだ、ゲイル」
「うわ、見捨てやがったよ、こいつ」
ぼそぼそと言い合っている二人を捨て置いて、アルシェはシャリィに馬から下りる手伝いをしてもらいシャリィが用意しておいた敷布に腰を下ろした。
「どうぞ、姫様」
働き始めた頃よりずっとまともになった手付きでお茶を入れてアルシェに差し出した。
「ありがと。貴女も一緒に飲みなさいよ」
「え! いえ、そんなわけには!」
慌てたように首を振ると、紅茶と同じ色をした髪がさらりと揺れる。癖の無いその髪をアルシェは密かに羨んでいた。善良を固めてできたような侍女は少々ドジな所はあるが、いつもニコニコしていて一緒にいて気持ちがいい。
身分の差を弁えて、他の兵士の世話をしようとしていたシャリィに更に言う。
「あいつらなら自分で適当に休むぞ。お言葉に甘えておけよ、シャリィ」
ゲイルの言葉に周りを見ると各々水筒を取り出して休憩を取っている。
「ね? だから貴女も座りなさい」
重ねて言われてシャリィもその言葉をありがたく受けることにして、敷布の上に上がり込み、ぽすっと座る。
「…………」
シャリィは座り込んだまま、暫し身動ぎしない。気づいたアルシェが声をかける。
「? どうしたの、シャリィ。貴女もお茶飲みなさいよ。淹れてあげましょうか?」
まだ遠慮しているのかと思ったアルシェが茶具に手を伸ばしたのを見て、慌ててシャリィがそれを取り上げる。
「ち、違います! そんなもったいない!」
茶具を胸の前に抱きしめるように抱え込んで首を大きく振る。
「ただ、その、なんていうかですね。こう……」
表情の選択に暫し悩み、顔をしかめたり悩んだり色々したあげく、微笑を選択してシャリィは言った。
「こんな風に、お姫様と同じところに座ってゆっくりする事になるなんて、全然予想してなかったなって思って……」
「…………」
思わず、といった風情でアルシェとリッターは視線を合わせていた。リッターがふふんと鼻で笑い、それを見たアルシェが悔しげに眉をしかめる。
「……何よ」
「いえ、別に」
「何が言いたいのよ」
「ですから、別に。侍女が休憩を取らないのが居心地が悪いという心優しい姫様が主で感涙にむせび泣きそうだと思っただけですよ」
言い返す言葉が思い浮かばずきぃっとにらみつけてるのを見て、平和だなぁとゲイルは思った。
睨み付けるアルシェの視線など何処吹く風で、リッターは普通の声で言う。
「この調子でいけば、日が落ちるまでにカルナ領主の館に着きますね」
「あぁ、道行きは順調だな」
ゲイルが地図を確認しながら答える。
「これなら夕飯には温かいものが食べれますよ、姫様」
「ちょっと、リッター。私が食い意地はってるみたいな言い方しないでよ」
「あっはっは。いやだなぁ、そんなこと」
「あ~、もう。ホント嫌いだわ、私」
「おやおや振られてしまったよ、ゲイル。どうしようか」
「知るかよ。痴話げんかに巻き込むなよ」
「ホント嫌い。ホント嫌い」
「それは困りましたねぇ。嫁の貰い手いなくなりますよ」
「あんたがいなくたって婿の一人や二人……!!」
「あっはっは。姫様は面白いなぁ」
「心の底から腹立つ奴ね……!!!」
握り拳を振るわせる。ぶるぶると身体が震えてる。どうせかなわないのだから喧嘩なんか売らなければいいのにとゲイルは他人事のように思った。
「あ~、もう!! ほんっといや、こんな生活!! こんなこき使われる姫なんて聞いたこと無いわよ」
ばんばんと地面を叩いて叫ぶ姿は駄々をこねる子供のようだ。なまじ美しい見てくれをしているだけに、ギャップが激しい。
「やだなぁ、こき使うだなんて。ただ、私は姫様に外の世界を知っていただこうと」
「安く国民からの好感度あげたいだけでしょ!」
「いやぁ、ばれてましたか」
「そのためにゲイルみたいの雇って遊撃隊つくったんじゃない」
正規の部隊を使いたければもっとしっかりとした視察計画が必要になる。侍女が適当に先に行って休憩の場所を決めるだなんて適当さなどもってのほかだ。それではアルシェの身は確実に守れるだろうが、あまりに動きが鈍重になる。
「前に言ったじゃない。この国の取り柄なんて治安の良さぐらいだわ。国力の低さは洒落にならないもの。民の心が離れて内乱でも起こられたら、外国からどうつけ込まれたら困るもの」
「えぇ、だから姫様には絶えず機嫌を取っておいていただかないと」
「……姫様方、もうちょっと外聞気にした言い方してくれませんかね」
身も蓋もない表現に、ゲイルが眉をしかめる。
「偉そうに言わないでよ、ゲイル。私知ってるんだからね」
「は? 何を?」
口を挟んできたゲイルに、ここぞとばかりに攻め入る。
「あんた、ここに引き抜かれたからって調子に乗ってるんじゃない?」
「は?」
「他の隊員よりいい給料もらってるじゃない!」
「え!」
「そうなんすか、隊長!!」
近くにいたゲイルの部下達が目の色を変える。
「落ちつけ、お前ら。……シャリィもそんな目で見るな。そもそもお前とは職種は違う」
余計なことを言うんじゃなかったと後悔しながら、気色ばむ周りを窘める。
「大体隊長職なんだから、他より給料高くて当たり前でしょう」
「よく言うわよ、他の隊員より結構高いわよ」
「そうなんですか!!」
「隊長ひどいっすよ!! 教えてくれないなんて!!」
「……姫様、こちらこそ言っておきたいんですが、もうちょっと平に近かった前の職場の方が給料高かったですから」
「え……」
こめかみを揉みながら、痛烈な反撃に出る。アルシェは言葉を失う。
「あ、そう、なんだ……」
「えぇ、忙しさは今の方が全然酷いんですけどね。どういうことでしょうね」
「え、ええと、そうね……。やっぱ視察って大切よね……」
「そうでしょう。そうですとも」
なんだか知らないうちに都合の良い展開になってくれたリッターはしたり顔で頷く。
「ただでさえ財政難なんですから、一々視察に出る度になるべく予算使いたくないんです。運良く馬術に長けた侍女も手に入ったわけですし」
「シャリィも、そういう目当てで取り立てたの?」
「いえ、彼女は本当に偶然です。いなきゃ文句言われても馬車に放り込んでいましたよ。流石に斥候までお願いできる侍女が見つかるとは思っていませんでした」
「う」
風向きがやな方向に向いてきたシャリィが顔をしかめる。ゲイルの視線が痛い。
「や、やだな。私適当に景色のいい場所探しただけですよ」
「いやぁ、見晴らしが良くて、護衛しやすいなぁ。な?」
白々しい口調でゲイルが部下達に同意を求める。隊長と侍女のいざこざをよく知っている部下達は苦笑しつつ頷いた。
「さ、そろそろ出発しないと予定通りに行きませんよ!」
「まだ大丈夫だろ。いいからもうちょいくつろごうぜ」
「そんな訳にはいきません。さ、みなさんも出立の準備をしてくださいね」
ぱんぱんと手を叩いて、遊撃隊の隊員を急き立てた。どちらの顔を立ててやるかと、隊員たちは楽しげに笑っている。
「ほら、姫様も! 行きますよ!」
茶具を手早く片付け、敷布を畳もうと急がせる。
「まったくも~」
落ち着きのない年上二人を見て、呆れた振りしてやっぱり笑う。
「……ま、でもこういうのも悪くないでしょう」
リッターが言うともなく呟く。優しい声音で言われると少し困る。アルシェは唇をとがらせた。
「……あんた、それでフォローしたつもりなの?」
「俺の所に嫁いでくれば、このメンバーももれなくついてきますよ」
「私が主人なの。あんたと結婚しなくったって、このメンバーは私のものなの!」
本当に図々しい。
立場を自覚していない男の膝を思い切りつねってやったら、痛い痛いと笑われた。
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