第4話 木陰



 もしもし、風邪を引きますよ。




 その日はとてもよい日だった。空は澄んでとても美しかったし、日差しは柔らかく国を照らしている。風は穏やかに頬をくすぐって行くし、姫様は今日は逃げ出さずにお勉強してくださる。あぁ、なんてよい日なのかしら。

 シャリィは上機嫌で中庭へと向かっていた。この前、中庭の奥の方の木立に美味しそうに果実の成った木を見つけたからだ。よい子のお姫様にご褒美を上げよう。シャリィはそれはもう上機嫌で歩いていたのだ。

 その男に会うまでは。

「……げ」

 果実の成った木の木陰にその男、王国軍遊撃部隊隊長、ゲイルが寝そべっていた。ここのところ、ゲイルに追い回されてばかりだったシャリィは、条件反射で逃げ出そうとしたが、その男が眠りについていることに気づき足を止める。

 色素の薄い瞳は今は瞼の奥にあり、見る事は叶わない。穏やかに上下する胸の上では少し厚めの本が開いたまま置かれていた。休憩時間本を読みに来て、そのまま眠ってしまったのだろう。確かにここは静かで昼寝にはもってこいだ。

「参ったな」

 木に直接登って果実をとるつもりだったシャリィは木を見上げた。このまま木に登ったら流石にこの人を起こしてしまうだろう。とても気持ちよさそうに眠っているのでそれは可哀想だなと思う。

 なにより。

「……久しぶりだな。この人の顔、こんなにゆっくり見るの」

 優しそうな顔をして意地悪なこの人は、ここの所人の顔を見るとお前は何者なんだと問い詰めてくる。最近はなんだか自分をからかって楽しんでいる節も見える。困った隊長だ。

 なんとなく、離れがたくてシャリィはその傍らにぺたんと座った。ゆっくり息を吸い込むと新鮮な緑の香りが胸を満たす。

「……気持ちいいな、ここ」

 瞼を閉じて吸い込んだ空気をゆっくり吐いていくと、自分の心もゆっくり和いでいくのがわかる。

 自然と笑みが浮かんでくる。

「そういえば、隊長さんと初めて会ったのもここだったな」

 ふと、出会った頃を思い出した。




「……ここ、どこ?」

 以前いた国にいられなくなり放浪の旅をした先、運良く城で侍女を募集していることを知った。早速応募し何度かの試験を受け、なんとか面接試験までこぎつけることができた。王宮での面接試験は、ちょっとまぁ、変なことを言ってしまったようで面接官に大爆笑され、もう駄目だなと思ったが、ふたを開ければ姫様付きの侍女へと成ることになった。その面接官がこの国の若き宰相閣下である事はその時に知ることになる。

 で、お仕着せの服を頂いて早速働き出した1日目、シャリィはいきなり道に迷った。

 この国の王宮は決して大きくはないが、緑はとても多く、それを王侯貴族も国民たちも誇っていた。城のちょうど真ん中にはちょっとした森があり、その四方を回廊で囲み、場所によって違う色彩を見せるようになっていた。そこから花を取ってきてと言われて出かけてきたのはいいが、森の中で方向感覚が狂い、自分がどの方向から来たのかさっぱりわからなくなってしまったのだ。

「参ったな」

 侍女という職について少し気が抜けていたのかもしれない。何の目印もつけてこなかったことが悔やまれた。

 とはいえ、小さい城だ。少しうろちょろすれば知ったところに出るだろうと両手に花を抱えたまま歩き出そうとした時、何かに蹴躓いた。

「いって」

「あ、ごめんなさい。こんなところに寝てるなんて思わなくて」

 蹴ってしまったのは茂みの向こう側で眠っていた人の足だったらしい。全く気配を感じず思い切り蹴飛ばしてしまった。

「大丈夫ですか?」

「あぁ、大丈夫だよ。こちらこそ驚かせたようですまなかったね。よっと」

 男は小さく反動をつけて軽く立ち上がった。頭は自分のそれより高いところにあり、シャリィはその人を見上げた。よく鍛えられた体、優しげだがどこか鋭い瞳。戦う人なのだなと何となく思った。

「あの……」

「ん?」

「失礼ですけど、どちらの方ですか?」

「え? 俺はこの国の軍の……」

 服を見てわからないかなと裾を引っ張る男にシャリィは問いを重ねた。

「でも少し形が違うみたい……」

 言うと、男は少し嬉しそうに顔を綻ばせた。

「よく気づいたなぁ。俺は遊撃部隊の人間だから、正規の服とはちょっと違うんだ」

「遊撃部隊?」

「最近出来たんだよ。アルシェ様の直属にあたる部隊で、ま、はぐれもんの集まりだな」

「へぇ」

「君は?」

「え?」

「初めて見る顔だけど」

 言われてシャリィは慌てて膝を曲げて礼をした。

「初めまして。今日からアルシェ様付きで働くことになりましたシャリィと申します。どうぞお見知りおきを」

「あぁ。君が噂の」

「……噂?」

「リッターを大爆笑させたって言う、例の」

「そ、それは……!!」

 どこまで噂が広がっているのだろう。首まで真っ赤になりながら男を睨みつけた。

「で? その君がどうしてこんなところに? 姫様の部屋は反対側だぜ?」

「あ、そうなんですか? 私道に迷っちゃって……」

 まだにやにや笑っている男をにらみながらも、シャリィは道を知る人に会えてほっとした。

「なるほどな。新入りはよくここで迷うんだ。慣れれば木の種類とかで何となく自分の場所がわかるようになるんだけどな」

 そういうと男は服についたほこりを落として歩き出した。

「アルシェ様の部屋でいいんだな?」

「え?」

「送るよ」

「あ、ありがとうございます」

 頼もしいその一言に、シャリィは心底ほっとしてその男の後を歩き出した。

「この木にはもう少しすると美味しい果実がなるんだ。で、その木の陰は昼寝に最高。サボる時にはここに来ることにしてるんだ」

 歩いている間、男は悪巧みをする子供のように楽しげに森の楽しみ方を解説したり、自分がしでかした悪戯の話をしたりして、森から抜け出る頃にはシャリィは笑いすぎてお腹が痛くなっていた。

「さ、ついたぜ。俺の武勇伝の続きはまた今度の機会ということで」

「まだあるんですか」

「たんまりとな」

 男はにやっと笑って踵を返した。

「それじゃあな。また迷子に来いよ」

「あ、ちょっと! 私まだ貴方の名前聞いていません」

「あー、そうだったか」

 男はわざとらしく敬礼をすると、どこか悪戯っぽい視線を投げて言った。

「申し遅れました。自分は王国軍遊撃部隊隊長、ゲイル・ラングウィッシュです」

「……は?」

「どうぞお見知りおきを」

 にやりと笑う。

「……隊長さんなんですか?」

「隊長さんです」

「……先に言って下さい」

「言ったら皆畏まっちゃって詰まんないだろ」

「詰まる詰まらないで、そういう悪戯かまさないでください……!!」

「あははは! そうやってリッターにも怒ったんだってな」

 無礼を働いていないかと青ざめる少女を隊長は何時までも笑い続けていた。



「……そうよ。初めてあった日から、あんなんだったわ、隊長さんは」

 健やかな寝息をたてる隊長の寝顔を見ていると、自然に笑みがこぼれた。その日から何かと声をかけてくれて、とても頼もしかったのを覚えている。

 風に揺られて瞼の上にかかってむずかゆそうにしてたから、前髪をそっと払う。口元に微笑が戻ったことにほっとする。

 整った顔をしている。鍛えられた体はそれだけで力があって、男の、しかも軍人さんにする形容じゃないけれど美しかった。薄い唇。

「……まぁた無精ひげはえてるよ」

 面倒くさいのか気を抜くとすぐ生えるといっていた。暇そうに見えて案外忙しい人。最近は諦めて伸ばす方向にしたと噂で聞いた。

「……普通のおしゃべりしたい、な」

 くだらない話をたくさんして「ちょっと人の悪い隊長」さんは「ちょっと人は悪いけど優しい隊長」さんにへと変わっていった。

 この人とお話しするのが好きだった。

「おしゃべりしたいなぁ」

 今は見えないこの人の背中が好きで、初めて会った時から好きで、この人の厚い背中を見ていると怖いものなんか何もない気がしてくる。

「……仲良くしたいなぁ」

 言っていたらなんかちょっと切なくなってきて、それを誤魔化しながらもう一度彼の前髪に触れた。

 ふと、その手に重なる熱を感じた。

「……シャリィ?」

「あ、ごめんなさい、休憩してたのに」

 この穏やかな顔が軍人のそれに変わるのを見たくなくて、シャリィは慌てて立ち上がろうとした。が、ゲイルのその手が離れない。

「隊長さん?」

「何。忙しいの?」

「いえ、別にそういうわけじゃ……」

「じゃ、いいじゃん。少し付き合えよ」

「…………」

 唇をきゅっと結ぶ。それを見て、ゲイルは少し反省したように息と共に言葉を吐いた。

「……わかったから。いじめないから、そんな顔するなって」

「ホントですか?」

「信用ないなぁ、俺」

 それ以上は言わず瞳を再び閉じてしまう。自分勝手な男に、シャリィは小さくため息をついてから再び腰を下ろす。

「いいんですか? こんな所でサボってて」

「昨日まで不眠不休で仕事してたからご褒美なんだよ」

「本当かなぁ」

「……本当に信用してないね、お前」

「隊長さんには散々いじめられましたし」

「拗ねるなよ」

「だって」

 そんなつもりはなくても、口調が妙に幼くなってしまってなんだか悔しい。

「……悪かったよ。だからおしゃべりして仲良くしような」

「……聞いてたんですか」

「軍人をなめちゃいけないよ」

「うー」

 顔が火照ったが、ゲイルは目を瞑っているので気にしないことにする。

「シャリィ」

「はい」

「太陽があの木の枝に掛かったら起こして」

「はい」

「それまで髪撫でてて。気持ちいい」

「はい」

 そう言ってもう一度深い眠りに入っていく青年。



――おしゃべりして仲良くしような



「よかった」

 シャリィは微笑んだ。

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