第3話 隙をつく。
「そういや、隊長。聞きましたよ?」
「あ?」
部隊の詰め所で武器の整備をしていたら、とある隊員がニヤニヤしながら言ってきた。
王国軍遊撃部隊はこの国の宰相の息子で、王女アルシェの教育係であるリッターによって作られた部隊である。とにかくすぐに動かせる手足が欲しいと言う希望で集められたメンバーは優秀だが性質はあまりよろしくなく、やっかみ半分に色々な噂をされた。
だから大概の噂には動じなくなった。
「隊長、最近新入り侍女の後追いかけ回してるんですって?」
つもりだった。
「……まっさかそんな話になってるとはな」
思わず取り落とした武器のせいで臑にこさえた痣が痛い。ゲイルはなんだか妙に疲れつつ廊下を歩いていた。
どうりで最近街の女たちの態度がつれないと思った。
「参ったねぇ」
と言いつつ、自分の足は彼女のいるであろう部屋に向かっているんだから説得力ないことこの上ない。
「……仕事だからね」
首を回したらこきっと音がした。
「あれ? 姫様、シャリィはいないんですか?」
ここにいると聞いてきたのに部屋の中を見回したらこの部屋の主のアルシェの姿しか見当たらない。
「あれ? さっきまでいたんだけど……。シャリィ? シャリィ、いないの?」
可愛らしい声で部屋を見回す姫君を見ながら呟いた。
「う~ん、逃げられたか」
悠然と腕を組んで髭をいじると、アルシェは呆れたように言った。
「ねぇ、ゲイル」
「はい」
「貴女、シャリィに避けられてるんじゃない?」
「やっぱりそう思いますか?」
「ゲイルがいじめるから……」
「心外ですね」
本当に心外でげイルは顔をしかめた。苛めているつもりなどさらさらない。むしろ避けられている自分の方が可哀想だ。
「べっつに前の国で何してたっていいじゃない。シャリィはいい子よ? 口うるさいけど」
「そういえば、この前も行儀作法の先生から逃げたって言ってましたね。シャリィが嘆いていましたよ」
「うるさいわよ」
不機嫌そうにアルシェは唇をゆがめた。
「とにかくここにはいないわよ。他を探せば?」
「そうですね。そうするとしましょうか」
どこに逃げたか知らないが、自分がここにいる限りこの部屋に現れることはないだろう。そう考えたゲイルは首筋に手を当てながら部屋を出た。
「……行儀作法を覚える必要があるのは、貴方じゃないの?」
アルシェの呟きはとりあえず無視した。
「……さて、どこに行くかね」
ゲイルは中庭に面した廊下の手すりに腰掛けた。膝に肘を預けて前傾姿勢になり庭から吹いてくる風の感触を味わいながら、次にどうするか考える。一番手っ取り早いのはシャリィをどこかで見なかったか聞いて回ることなのだが、あんな噂が出回ってしまっていることを考えると少々怯んだ。
「お前は一体何者だい」
シャリィの顔が脳裏に浮かぶ。真っ直ぐと人の目を見て話す少女。宮廷人にしては短めの紅茶色の髪は風にさらさら揺れて、きっとさわり心地がよいだろう。そういえば、最近は逃げる後姿か引きつった笑顔しか見ていない。ついこの間までは犬のように懐いて来たと言うのに。
「早くこの仕事終わらせないとな」
こうやって一回りも年下の少女を追いかけている自分を、昔の仲間が見たらどう思うだろうか。うっかりそんなことを考えしまって少しへこみながら、きっとまた引きつるであろう笑顔を求めて歩き出したのだった。
どこに行くかと考えたが、姫の部屋から出て行った形跡もなかったので、とりあえず柱の陰に隠れてその部屋を張ることしばし。
「当たり」
姫様の部屋から出てきた少女は紅茶色の髪をしていた。気配を殺してそっと距離を縮める。手を伸ばせば届く距離に近づいた時、ふと彼女の背中がピクンと動いた。
「……相変わらず鋭いなぁ、シャリィ」
「……何のことですか、隊長さん」
少女は振り向かぬまま強張った声で答えた。とりあえず逃げられないように肩を掴む。その細さに驚くが、これに騙されて力を緩めるとどこに駆け出すかわからない。
「久しぶりだな、シャリィ」
「そ、そうでしたっけ?」
「あぁ、ここの所全然話してなかったから」
肩を掴まれて硬直したポーズのまま少女はどもりつつ答える。
「さっき、姫様のところにも行ったんだがすれ違ってしまったみたいだな。シャリィに会いに行ったのに」
「そ、それはわざわざどうも。光栄です。あは、あはははは」
「はははははは」
明らかに思っていないことを言っては空々しく笑う少女の往生際の悪さに思わず自分も笑ってしまう。
「あ、ごめんなさい、隊長さん。私姫様にお茶を運ばないと……」
「そうか、それじゃご一緒させてもらおうかな」
「え、いえ、あの、姫様この後ダンスのお稽古が……」
「なら、お前の手は空くって事だな。久しぶりに少し話さないか」
苦し紛れの嘘を一つ一つ潰していく。どんどん硬直していく掌の中の肩がちょっと面白い。いや、こんなことするからますます逃げると言うことはわかっているのだが。
「いえ、そんな。隊長さんだって忙しいんじゃないんですか? 邪魔しちゃ……」
「大丈夫だって。さぁ、行くか」
「わ、私侍女長様に頼まれていたお使いがあったんです! 街に降りないと……!!」
「そうか。じゃ、俺も付き合おう」
掴んだ肩は放さずそのまま引き寄せようとした。が。
「嫌です!」
「は?」
「それじゃ!」
シャリィはくるりと一回転してゲイルの手をはずすと一目散に逃げ出した。
「あ、おい、シャリィ……!」
「失礼します」
スカートをたくし上げ、全力で走る少女の後姿は曲がり角の向こうへあっという間に消えていった。振り払われた手を伸ばしたまま固まる。
「……いやですって、あんた。子どもじゃないんだから……」
思考が停止しまたままゲイルは暫し硬直したが、姿が見えなくなって正気に戻った。
「……手こずらせてくれる、本当に……」
昔の仲間には見せられないな。がっくりと俯いてたゆっくりと息を吸い込む。
それを鋭く吐いて顔を上げた時、ゲイルの目は軍人のそれに変わっていた。
「おい、ちょっと待てって! シャリィ……!!」
今更気配を隠しても仕方がない。足音も高らかに少女の後を追いかける。少女の走りはたいそう身軽で、ゲイルも思わず本気になる。
「シャリィ……! いい子だから止まりなさい!!」
「追いかけるの止めてくれたら止まります!!」
「止めたらお前どっかに逃げるだろうが!!」
どこに逃げる気か、少女はきゅっと走る方向を変え、中庭へと走り出した。侍女のスカート姿でありながら軽々と茂みを飛び越える。
「ったく。これのどこがただの侍女なんだ」
決して走りやすいとは言いがたい女物の靴で木の合間をすり抜けていく少女。その先には、先ほど丁度反対側の回廊がある。
「……城下町に抜けるつもりか」
この場所からは城下町に至る門まで後少しだ。舌打ちをする。人ごみの中に逃げられるとちょっと厄介だ。ゲイルは足を速める。
シャリィの足が廊下の床に掛かろうとしたその時、伸ばした腕が服に届いた。
「う、あ」
服を掴んだせいで首まで覆う形の襟で喉が絞まったのだろう。苦しいのがわかったがそのまま引っ張り回廊の壁に押し付けた。
「捕まえた」
はぁはぁと息を切らせながらシャリィの顔を覗き込んだ。捕まえた満足感にシャリィが苦しげにせきこんでいるにもかかわらず笑いたくなる。
「さ、シャリィ。話してもらうぞ」
「い、いやです!」
「いつまでも追いかけっこしたって仕方ないだろうが」
「話す事なんてないですってば!」
言うが早いか、服を掴んで壁に押し付けていた腕に手刀を叩き込んだ。骨に直接響くような衝撃に思わず力が抜けた。シャリィはその隙を見逃さず腕から逃げようとする。
「逃がすか」
ゲイルは走り出そうとしたシャリィの足に自分の足を引っ掛ける。
「きゃっ」
シャリィが転んで腰をつく。それでも再び走り出そうとするので腰の剣を抜いて、少女の足の間、スカートを突き刺し床に縫いとめた。
「……捕まえた」
シャリィはあきらめたようにがっくりと肩を落とした。
「これでゆっくり話ができるな」
「こんな体勢でゆっくりも何もないじゃないですか!!」
全くだと思いつつも剣を抑える力は緩めない。恨みがましく見上げるシャリィを見下ろしながら方膝をついて顔を覗き込んだ。あれだけ全力疾走しておきながら、ほとんど息が乱れていない。自分も年だなとこっそり落ち込む。
「ゆっくり話すの本当に久しぶりだよな、シャリィ」
「…………」
シャリィは目を逸らしたまま、むすっと唇を結んでいる。
「ここのとこ、避けられてばっかりだったからな」
「…………」
「話をするときには相手の目を見るって言われなかったか?」
「……話すことなんてありません」
逸らされた視線の先に顔を寄せると、今度は逆方向に逸らされる。
完全に機嫌を損ねてしまったらしいと、ゲイルはため息をついた。
「冷たいな。ここの所全然話してないじゃないか。出会ったばかりの頃は廊下の向こうの方から姿見えただけで駆け寄ってくれたのに」
「私だって好きで逃げてたわけじゃありません!」
「じゃ、なんで逃げるんだよ」
「隊長さんが怖いからじゃないですか」
「怖い……」
懐いていた少女からの言葉にこっそり傷つく。
「……俺のどこが怖いんだよ」
「こんな剣突き刺しといて、どの面下げてその台詞を言うんですか」
自分のスカートを縫いとめる、忌まわしい剣を指差して怒鳴る。その通りだなと頭では理解しつつゲイルは答えた。
「お前が逃げるからだろ?」
「だからって女の子にこんなことしますか?」
「……女の子、ねぇ」
ふと、意味深にゲイルの目が細められた。
「な、なんですか」
「俺の知ってる女の子ってのは軍人の制止を振り切って全力疾走しないし、そんなスカートで茂みを軽々と飛び越えないし、手刀を食らわせたりしない」
「うっ」
言葉に詰まるシャリィに向かってゲイルは楽しげに微笑んで言う。
「さ、シャリィ。今日こそ聞かせてもらうぞ。お前さん、一体何者だい?」
暫し沈黙が降ちる。シャリィは視線を逸らしたまま答えない。
「シャリィ? 往生際が悪いぞ」
剣を強調するように揺らす。
「……今日は答えてもらえるまで放さいからな」
ゲイルの瞳が、鋭く光った。
シャリィは瞳を逸らしたままぼそっと呟いた。
「……隊長さんは?」
「ん?」
「私のこと、密偵だとか思ってるんですか?」
「……いや、そうは思ってない」
「……本当に?」
シャリィの瞳が微かに光る。
「あぁ。それは本当だ」
ゲイルは答える。
「俺が誰か密偵を忍ばせるなら、こんな後先も考えずに堂々と全力疾走で逃げて、怪しすぎていっそ清々しいような奴は絶対に選ばない」
「…………」
「それに」
ゲイルは顔をぐっと近づける。
「ひあぁ!」
唇が触れる直前で止め、冷静に言う。
「わざわざ女を送り込むなら、この程度で間の抜けた悲鳴を上げるような女は使わない」
首筋まで真っ赤になって頭突きを食らわせようとしてきたので避けてからゲイルは微笑んでいった。
「でもまぁ、お前の素性が変なことに変わりはないしな。はいてすっきりしちゃえよ」
「……そんなにしつこく聞くって事は、私の身元調査をしてなかったってことですよね?」
「あぁ、まぁね」
シャリィは不満そうに口をゆがめた。
「……なんでそんな怪しい人間を侍女なんかに雇ったんですか」
自分で言うなよとちょっと呆れてからゲイルは答えた。
「仕方ないだろ。お前、面接の時変なこと言ってリッターに気に入られちゃったんだから」
「あ、あれは! だって、あんな若い方がそんな重要な地位の方だなんて思わなかったから」
再び頬を染めてゲイルを睨んだ。
「人手が足りなくて調査に人を裂く余裕がないんだ。駄々こねないで言っちゃえよ」
シャリィは暫し沈黙した後、ボソッと言った。
「……この前」
「ん?」
「この前、隊長さんいいましたよね。この国は王宮と民の結びつきが強いって。そうやってこの国は強くなるんだって」
「あ? あぁ」
唐突に始まった話に、煙に巻かれまいと警戒する。この女は何をするかわからない。
「今日って、城下町から食材が届く日なんですよ」
「は?」
「その人たち台所まで食材を届けるためにこの道通るんですよね」
「……それが?」
「姫様の鳴り物入りで設立したばかりの精鋭揃いの部隊の隊長さんが、こんな所見られたらどうなります?」
「…………」
まだ年若い少女のスカートに剣を突き立て覆いかぶさるように顔を近づけている軍人。スカートから若い膝がむき出しになっていた。事情を知らない人から見れば、権力と力を盾に、女の迫っている軍人としか思えない。
「……このヤロウ」
「そろそろ来ちゃいますよ?」
にっこりと笑ってシャリィは言った。
「……お前、本当に何者だよ」
ゲイルは肩で大きく息をついてから剣を抜き、少女の手をとって立たせてやった。
「だから、新米の侍女ですってば」
「よく言う」
疲れたようにため息をついてゲイルはヒゲをいじった。
「さ。ちょっと疲れちゃいましたね。お茶でも入れましょうか」
「そいつぁどうも」
勝ったとばかり足取りの軽い少女。こんなどこにでもいそうな少女にしてやられたのが面白くなくて、ゲイルはその目の前に腕を突き出し、進路を防いだ。
「……なんですか」
「まだ、お前が何者か聞いてない」
そういって顔を近づけていく。シャリィは焦って逃げようとするが、もう片方の腕でそれを防ぐ。壁際を背に両手で囲まれる形になったシャリィは顔を赤らめて言った。
「い、いいんですか。人が来ますよ」
「いいよ、別に」
そう言って口角に笑みを乗せる。
「この格好見られたって、単に侍女を口説かれてるようにしか見えないだろ?」
「なっ……!」
「さ、聞かせてもらおうか? お前さん、前の国で何やってたんだ?」
「だから、別に何もしてないって……!」
「早く吐かないと本当にするぞ」
「…………!!」
「……どうしたんですか? 隊長。その顔」
「うるさい」
まだ熱を持っている頬を押さえながらゲイルは不機嫌に答えた。冗談なのに、思い切り叩かれた。
「絶対はかせてやる」
「リッター殿が害なさそうだから調査辞めていいって言ったじゃないですか」
「うるさい。ここで引けるか」
「意地にならないでくださいよ。他にも仕事たくさんあるんですから」
「姫様に近い所にいるんだぞ? 放っておくわけにもいかんだろう」
「はいはい。そんな隊長にプレゼントですよ」
「何だ、これ」
手渡されたのは薄い書類だった。
「シャリィ嬢に関する調査報告の追加です。詳しいことは後でゆっくり見てください。とりあえずシャリィの身元に怪しい所がないという結果しか出ませんでした」
そこにはシャリィが隣国のそれなりに大きな商家で使用人として雇われていたという事実が書かれていた。
「無さ過ぎるのが気になるんだよな、どうも。……ん~」
口元に手を当てて書類を読み耽る上司を隊員は呆れて見た。
「この商家にきな臭い所はないのか?」
「特には。信頼の厚い所のようですよ。王家との取引もまれにあるようですし」
「ふ~ん」
納得がいかないように無精髭をいじる。
「まだやる気なんですか?」
「おう」
「……それ私情混ざってません?」
「言ってろ」
報告書でパコンと隊員の頭を叩いた。
「少し、この商家を探ってくれや。気になる」
「わかりました」
文句を言っていた割には素直に返答して隊員は去っていった。
「……ただの侍女だって? それであんな手刀撃ててたまるかっての」
シャリィにやられた所が、まだじーんと疼いて熱を持っていた。笑っている所はそこらの小娘となんら変わりがないくせに。
「絶対、正体はかせてやる」
彼の決意が固まった頃、シャリィは理由不明の悪寒に襲われたそうだ。
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