第2話 シャリィとゲイル
「姫様! どちらに行かれたのですか、姫様……!!」
侍女の仕事は、決して姫を追い回すことではない。だからって逃げられてしまったら追いかけないわけにも行かないのが宮廷人の辛いところだ。少女が仕えるこの王家は、そりゃもう貧乏さんで、だからこそ一般庶民の彼女がこんないい働き口につけたのだが、もしかしたら失敗したのかもしれない。安定した就職口につけたと思ったがどうやらそれは見当違いだったようだ。今日こそ姫様は見つからないかもしれない。そうしたらよくて首、下手したら打ち首だ。
「姫様ぁ、どこ行っちゃったんですかぁ……!」
「あら、シャリィ。また姫様に逃げられたの?」
泣き言をもらしていると、先輩に当たる侍女が笑いながらシャリィに話しかけた。
「今日はどこから逃げたのかしら」
「目を離してたら、窓から逃げられました」
部屋でお茶を飲んでいたはずなのに、気がついたら誰もおらず、窓が開いてカーテンがたなびいていた。
「本当に姫様身軽でいらっしゃるわ。……女性に生まれたのがもったいない」
「…………」
男に生まれていれば。この宮廷に生きるものが一度は浮かべたであろうその仮定。
イブリス王国は女性にも王位継承権はあるが、継承率は極端に低い。現国王の子供はアルシェとまだ年若い王子の二人だけで、今継承権第一位はアルシェが保持しているものの、王子が成人したら明け渡されるものと皆が思っていた。
アルシェが王子だったら。一度は誰もが考える。行動力があり頭脳も明晰で、多少我が儘なところはあるが細かいところは気にしないおおらかさがある。護身術程度しか習ってはいないが運動神経はよく、しっかりと剣を習えばそれなりの域に達するであろう事は想像できる。
何よりも存在に花がある。そこにいるだけで人目を引き、その周りに人の輪ができる。無駄にするのはあまりに惜しいカリスマ性であり、それは今の弟王子には今ひとつ足りないものであった。アルシェが弟王子に位を譲り、臣下に下るとしたら、それは少し目障りと感じられてしまうかもしれない。二人のパワーバランスはとても微妙で、一侍女風情では口に出すのは憚られた。
そして、まだアルシェも、その教育係にして宰相候補とうたわれる彼女の側近リッターもまだ本心を公の場で口にしたことはなく、ただ国王に恭順を示しながら、少しずつ国の事業に手をかけ始めている。
民に慕われるアルシェの案は何時も民によりがちで時にはバランスを逸しそうになることもあるが、それをリッターは上手く補佐し金と人手を工面し着実に実績を上げ始めている。執政官としての手腕を見せはじめながら自分の欲は露わにしない少女に、やり手の政治家達が次期王位継承者を図りかねどう動くべきか思案している姿は、シャリィにとっては痛快であり誇らしくもあった。
だが、それはそれとして、あまりに破天荒すぎる。警戒心がなさ過ぎだ。
気の赴くままに城を抜け出しては下々の者に混じってジャンクフードを食べていたりする。もしよからぬものがその食べ物に何か混ぜたらどうするつもりだ。食べ物に釣られて誘拐、だなんてあまりにわかりやすい手にだってひっかかりかねない。
でてきてくれなかったらどうしよう。もし、あの方の身に何かあったら……。
なんかもう、いい加減半泣きだ。
「姫様ぁ……! 出てきて下さ……、……っと」
「っと、失礼」
頭の中がすごく混乱して、それでもどうにかあのお転婆な少女の姿が見えないかと辺りを見回しながら走っていたら、人の気配を感じてさっと振り返った。ぶつかる寸前で相手と向き合う。
「ごめんなさい、私余所見を……」
「……あぁ、シャリィか」
「隊長さん」
見上げればそこにいたのはこの国の軍の遊撃隊の隊長、ゲイルだった。
「なんだ、シャリィ。また姫様に逃げられたのか?」
鳶色の瞳を優しげに細めてゲイルは微笑んだ。鍛え抜かれた無駄のない体は均整が取れていて、研ぎ澄まされた刃を思わせる。が、悠然と腕を組んで微笑んでいる姿は、どこか人懐こい印象を受けさせる。
「隊長さん。姫様見ませんでしたか?」
「あ~、今朝は見てないな。食堂には言ってみたのかい?」
「はい。おやつだけ貰ってどこかに行っちゃったって……」
「はは。後手後手だな。今日は何から逃げ出したんだ?」
「行儀作法の時間です。先生もうカンカンですよ。この前の時間も逃げ出したから……」
「あはは。まぁ、あの先生じゃ姫も逃げたくなるわな」
「笑い事じゃないですよ、隊長さん! 怒られるの私なんですからね!!」
あの人怒るとすっごい怖いのにと泣き言をもらすシャリィをゲイルは微笑んで見ている。
「大体、この城隙が多すぎるんですよ」
「そうかな」
腕を組んですっ呆けるゲイルにシャリィが食って掛かる。
「そうですよ。姫様の逃亡経路いくつあると思ってるんですか」
「ん~。まぁ、そこはちょっと役職柄守秘義務守らせてもらうけど」
「私この前10個目見つけました」
「……よく、そんなに見つけたねぇ。来て間もないのに」
感心したように息を吐きながらゲイルは新米侍女を見下ろした。
「まぁ、リッターからはもうちょっとあるって聞いてるかな。もう少し頑張って探してみたら」
ゲイルが所属する遊撃部隊はアルシェが設立したことになっているが、設立のために実質働いたのはリッターだ。リッターとゲイルは個人的にも親交があるようだった。
「……隊長さん。やっぱこの国おかしいよ」
「なんで」
「なんでわかってて塞がないんですか?」
「だって塞いだら姫様逃げられなくなっちゃうじゃないか」
「それで姫様の身に何かあったらどうするんですか……!!」
シャリィが疲れ果てたようにしゃがみ込んだ。
「ま、大丈夫だよ。教育係殿がどっかで捕まえるだろ」
「……それがまた情けないんだけですけどね」
シャリィは大きく肩でため息をつく。
立派な侍女になろうと心に決めたのに。この職に意地でもかじりついて、安定した生活を送ろうと。
「……駄目だなぁ、あたし。こんなんで、本当にやっていけるのかな」
「……シャリィ?」
この国に来て膨らんでいた希望がシュウッとしぼんでいく音がする。
姫様は逃げ出してばかりで、顔を見るとついつい喧嘩になる。
――「あなたが私の新しい侍女?」
可愛い声で愛らしい顔で少し荒れた手を差し伸べられた時、この人のためになりたいと思ったのに。
この荒れた手の姫君のために、何かしたいと。
「やっぱ、無理なのかな。私がこんなまっとうな職に就くなんて……」
口元を覆って自分の気持ちを落ち着かせようとゆっくりと息を吐いた少女を見下ろして、ゲイルはいつの間にか生えそろってしまった無精ひげをかいた。
「参ったな……」
途方にくれたように呟く少女は、妙に大人びていてそのアンバランスさがどこか不自然だった。
「あのな、シャリィ」
だけどやっぱり年少の者をそのままにするのはどうにも可哀想で、ゲイルは向かいにかがみこんでゆっくり頭をなでた。
「姫様はお前が来てくれてすごく喜んでいると思うぞ」
「…………」
「だって、最近逃げる姫様生き生きしてるもんな」
「……うれしくありません」
「リッターも言ってたぞ。今度入った侍女はとっくり姫様に説教かましてくれるから、姫様も嬉しそうだって」
「……それ、絶対誉めてないと思います」
拗ねた口調で文句を言う少女にふきだしながらゲイルは言った。
「……うちの国は貧しいし弱いからな」
「…………」
どこか遠いまなざしのゲイルに気づき、シャリィは顔を上げた。
「だけど、姫様が下町に繰り出せば、当然町の人は喜ぶ。姫様は優しいからな。そうすれば町の人は王宮を愛するようになる。王家のために何かしたいと思ってくれる」
ゲイルはシャリィの髪をぐちゃぐちゃとかき混ぜて笑った。
「そうやって、うちの国は強くなるんだ。他の国の政治に慣れたシャリィにとっては奇妙でまだるっこしいんだろうがな」
でも、俺もやっぱりあの国王とか姫様守りたいから仕事がんばろうって思えるんだよ。
「……やっぱ、この国変です」
「いい国だろ」
「変ですよ」
「お前もそのうちはまるって」
「そうかなぁ」
不審そうに唇を尖らせた少女にもう一度微笑みかけてから、ゲイルは立ち上がった。
「さ、そろそろ姫様が宰相閣下に見つかりに行く頃だ。行こうぜ」
少女の手を取って引っ張り上げる。そして渋々立ち上がった少女の背を押して宰相の執務室へと向かった。
「だいたい、姫様が逃げられるってことは裏を返せば不審者だって侵入できるってことじゃないですか。絶対危ないですよ」
「…………」
まだ文句をいう少女の背を暫しじっと眺めた後、さりげなく近くに落ちていた木の枝を拾って振りかぶった。その瞬間。
「……なんですか?」
きょとんとした顔で不思議そうに木の枝を見上げたシャリィに、ゲイルは優しく微笑んで問いかける。
「シャリィ」
「はい」
「シャリィ、今いくつだっけ?」
「18、ですけど」
「18歳の女の子か。よく気づいたね、これ」
木の枝を振って微笑む。
「……え?」
シャリィの顔が引きつる。
「なぁ、シャリィ」
「は、はい」
「俺ずっと気になってたんだけどさ」
「はい」
笑顔が怖い。笑顔が怖い。
「ほら、シャリィ、この国来て間もないのに、もう姫の逃走経路押さえてたり、思考が不審者とか毒物とかいったりするじゃん?」
「い、いえ、それ程でもないと思うんですけど」
「なぁ、シャリィ。そろそろ教えてほしいんだけどさ」
笑顔が怖い。本当に怖い。
「シャリィ、前の国で一体何やってたの?」
「……さ、早くリッター様の部屋に行きましょうか」
「シャーリィー」
「行儀作法の先生が待ってますしね!」
「シャリィーー」
シャリィは冷や汗だらだら流しながら、背中に押し当てられた手の大きさに、背後に立たないで欲しいなぁなどと考えるのだった。
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