第136話 信じるということ

 刻限が近づくにつれ、高まる緊張と反比例するように心が穏やかさを増していく。緊張と緩和の両立したその状態はとても不思議な感覚だったが、とても心地よいものでもあった。


 リハーサルを終え機材だけが置かれたステージをフロアから眺めると、ZIPPER Tokyoのスタッフたちが声を掛け合いながらケーブルを片づけたりスピーカーの位置を調整したりしている。アーティストのドキュメンタリー映像なんかで見たことのある光景だ。


「こんなところまで来たんだな」


 液晶画面の向こう側でしか見たことの無い世界の当事者になるというのは、感慨深くも何だかくすぐったいような気分だった。


「みんな、ちょっと集まってくれるかな」


 土田さんの呼びかけに従い、俺たちはフロアの中央に集合した。


「今日のライブ、前売りの段階ではまだ売れ残りがあったみたいだけど、それは告知が直前だったからだ。一昨日の玉本くんの路上ライブでの集客から見て、満員になると見て間違いないだろうね」


「この広い会場が満員に……」


「cream eyesに向けられる目は、これまでのライブとはまったく異なるものになる。誰も君たちをアマチュアだと思って見に来ないからね。当然、不甲斐ない演奏をすれば大いに批判を受けることになるだろう」


「本番直前にえらいプレッシャーかけて、いけずな人やねぇ」


 土田さんは何を今さらと言わんばかりに笑みを浮かべた。だが、それも束の間。


「君たちが、心に留めておかなければいけないことがある」


 土田さんは真剣な表情でそう言った。それは、覚悟を問う者の顔だった。


「君たちが今ここにいられるのは、多くの人との出会いがあったからだ。それは僕や川島くんだったり、友人や家族だったり、これまでの対バン相手やお客さんだったり、今日初めて出会ったZIPPERのスタッフだったり。支えてくれた人、刺激をくれた人、きっかけを与えてくれた人、cream eyesというバンドができる以前から、君たちは様々な人と出会って、そして今日がある」


 土田さんは目を瞑り、しみじみとそう語っていた。至極まっとうなことを言っているはずなのに、何だか土田さんが言うと違和感を覚える。だって、台詞があまりにもわざとらしいというか、らしくない。


「だからと言って、感謝の気持ちなんてものを演奏に乗せようとしてはいけない」


 ほら、やっぱり。


「音楽は、娯楽であると同時に芸術だ。すべての曲には込められた想いが、物語がある。それを伝えるため以外の感情なんて、たとえそれそのものが崇高なものであったとしても、不必要な異物でしかない」


 あぁ、やっぱりこの人にプロデュースをお願いしたのは間違いじゃなかった。


「君たちは、君たちがそう望んだから今ここにいる。そのことに責任を持って、全力で音楽を奏でて来なさい。それ以外のことは、ライブが終わった後にいくらでも伝えればいい」


 俺が皆の顔を見回すと、当然の様に全員が笑顔だった。


「もちろん、そのつもりです」


 今日のライブは特別だ。莉子との約束もある。


 だけど俺たちは、自分自身のために今日のステージに立つ。cream eyesの音楽を認めさせるため。楽しくなるため。気持ち良くなるため。そして何より、夢を叶えるそのために。


「うん、良い顔だ。それじゃあ最後に一つだけ」


「おわわ! 何すか!」


 土田さんはいきなり俺たちの肩を引き寄せた。5人の顔がぶつかりそうな程近づいたところで、小さな声で言った。


「君たちには感謝してる。だから、これからもよろしく頼むよ」


 そして、肩に回した腕をほどいた。


「土田さん、煙草くせーっす」


「煙草とコーヒーの組み合わせは強烈やな。ほんま、そういう事するんっやったらちゃんと歯磨いてからにして欲しいわ。アメリカやったら訴訟で億取れますわ」


 京太郎と琴さんが速攻で悪態を返す。


「はっはっは! 仮にもプロデューサー様に向かって何て口の利き方だ!」


「仕方ないですよ。だって土田さんずるいんですもん」


 玲の言う通りだ。俺たちには感謝の気持ちを曲に乗せるなと言っておきながら、自分はこれなのだから。この人は本当にずるい。琴さんの言葉を借りるなら、いけず・・・な人だ。


「それじゃ、僕からの話は以上だ。本番までは自由に過ごしていいから。僕は向こうで川島くんでもからかってくるよ」


 やめた方がいい、とは言えなかった。きっとその方が川島さんも喜ぶんじゃないかと思ったからだ。でもその発想がダンボみたいだと気づいて、笑ってしまったのだが。


 土田さんの話が終わり、京太郎と琴さんが控室へと戻って行った後も、俺は暫くフロアからステージを眺めていた。スタンドに立て掛けられたRickenbackerリッケン4003が、まるでレジェンドベーシストの愛機のようなフリをしている。


「何黄昏てるんですか」


 そんなことをぼんやりと考えていると、玲が声を掛けてきた。


「いや、何かいいなって思ってさ」


「あ、それわかります。私のギターもいつもより可愛く見えますし」


「本当、良いギターだよね。近藤さん元気でやってるかな」


「懐かしいですね。って言っても、まだ半年ちょっとしか経ってないですけど」


「半年……たった半年で、こんなところまで来ちゃったんだな。結成から半年でZIPPERでワンマンとか、もしかしたら史上最速かもしれないし」


「本当ビックリですよ。高校の時の友達とかは、私よりビックリしてましたけど」


「そりゃそうだろ。俺だって高校時代の友達が、卒業から1年も経たずにZIPPERでワンマンライブやるって言われたら多分信じないもん」


「あはは、確かに。私の場合、友達とカラオケに行くこともほとんど無かったから、尚更だと思います」


「自分の歌声が嫌いだったって言ってたしなぁ。今じゃ考えられないけど」


「今でも不思議な感じですよ。私の歌を聴きたいと言ってくれる人がいるなんて」


「俺はちっとも不思議じゃないけどね」


「あはは。朔さんは最初からそうでしたね。ずっと、私を信じてくれていました。そしてこんなところまで連れて来てくれて、本当にありがとうございます」


 あの日の衝撃を今でも鮮明に覚えている。


 自分は何者にもなれないんじゃないかと感じ始めていたあの日、輝いて見えた玲の姿と、漠然とした不安や迷いを丸ごと蕩かしてしまう、奇跡の様な歌声を。


 俺は上手に歌を歌えない。


 人と比べてベースが特別上手いわけじゃない。


 素晴らしい曲をたくさん作れるわけでもしない。


 それでも、俺にはできることがあった。


 俺が信じた玲を、最後まで信じきること。俺を信じてくれる玲を、最後まで信じさせること。

 それは俺に唯一できたことで、俺にしかできなかったことだ。


「こちらこそ、ありがとう。でもここで終わりじゃない」


 玲は無言で頷いた。


「これから先も、いつまでもずっと、俺は玲を信じ続けるから。だから、ずっと一緒に歌っていて欲しい」


「……朔さんも、土田さんに負けないくらいずるい人ですね」


 そう言った玲の顔は、泣いているような笑顔だった。

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