第135話 SPECIALS

 森野 久麻。通称モリクマ。8年前に19歳でメジャーデビューして以降、サブカル界隈を中心に一気にブレイクを果たしたシンガーソングライターであり、シルバー・ストーン・レコードの稼ぎ頭だ。

 今やその人気はサブカル支持層や若者のみに留まらず、前回のオリンピックでは日本代表の公式テーマソングを手掛けていたり、まさに現代の日本音楽界を象徴するアーティストの一人と言って差し支えない。


 cream eyesを結成する前、玲がハコで初めて歌ったのも、サラダボウルのライブで初めて演奏したのも森野 久麻。そして、俺が玲と初めて出会った時に彼女がカラオケで歌っていた曲も。


「な、ななななな、なんでモリクマ……じゃなかった、森野さんがここに!?」


「なんでって、僕が呼んだからに決まってるじゃないか」


「いや、そうではなく……」


「もしかして、土田さんは最初からこのつもりであれ・・を私たちに?」


 玲の発言を受けて、土田さんがにやりと笑う。不敵と言うか、本当に子供みたいな表情をする人だ。俺たちを驚かすことに成功したのがよほど嬉しいらしい。


「皆さんのカバーアレンジ・・・・・・・、土田さんから音源を頂いて聞かせてもらっています。とても素敵な音で、楽しみにしていました」


「え? いや……あの、その……あざます……」


 間違いなく今の日本のトップにいるアーティストからの誉め言葉は、あまりにも現実味が無かった。随分間の抜けた返事もあったものだ。


 あの日、土田さんがシルバー・ストーン・レコードを退社して居酒屋で打ち合わせを行った日、俺たちがモリクマの曲をコピーしたことがあると知った土田さんは、ライブでカバーを演奏するよう提案してきた。ライブに必要な楽曲数が足りない俺たちにとって、ゼロから曲を作るよりも、すでに演奏経験のある曲を自分たちらしくアレンジした方が良いと判断したのだ。

 曲のカバーアレンジなどやったことのなかった俺たちに、土田さんはたった一日でデモ音源を作って来てくれた。それはまるで、本当に自分たちで試行錯誤をしてアレンジをしたと錯覚するほどに「cream eyesの音」だったのだ。これには心底驚かされた。

 そのデモ音源のおかげでアレンジ作業はスムーズに進み、あっという間に三曲分が完成した。


「森野くんにはカバーの3曲目、楽園ツアーでゲストボーカルとして参加してもらう。玉本くんと二人で一緒に歌うんだ」


 だが、まさかそのカバー曲に本人が参加するなんて誰が想像できようか。モノマネ歌合戦でご本人登場をガチでやられた気分だ。


「ゲストボーカル!? いや、ご本人がいるなら私なんか歌わない方が……」


 玲が恐れ多いと手を振りながらそう言うと、モリクマはステージに一歩近づいて玲に声を掛けた。


「玲さん、でしたよね?」


「は、はい!」


 凛としたその表情は、穏やかでありながら厳しさを感じさせた。玲も思わず姿勢を正す。今までいくつものステージで人々を魅了してきた、プロ中のプロだからこそできる表情なのかもしれない。


「私なんか・・・なんて、言ってはダメ。今日はあなた達のライブなんですから。あなたの歌を聴きに来るお客さんに対しても失礼ですよ」


「あ……すみません……」


「何より、あなたの歌声はとても魅力的なのだから。私も負けないように頑張りますけどね」


 玲はモリクマのことが好きだと言っていた。そんな相手から歌声を素敵だと言ってもらえるなんて、これほど嬉しいことは無いだろう。


「……はい。ありがとうございます! 私も……負けません!」


「あはは、頼もしいですね!」


 モリクマはそう言って楽しげに笑った。MVや雑誌で見る時のアーティスト然とした佇まいとは異なり、可愛らしいお姉さんといったその表情に思わずときめいてしまったことをここに報告しておこう。


「それにしても、土田さんよく森野さんのスケジュール抑えられましたね。めちゃくちゃ忙しいんじゃないんですか?」


「今はレコーディング期間中ですから、忙しいかといえば、まぁそれなりに」


「そんな中、わざわざお越しいただいて、本当にありがとうございます」


「ま、正直レコーディングで煮詰まっていたので、気分転換の意味も込めてなんですけどね。あはは、ごめんなさい」


「そんな! 俺たちのライブで気分転換になるなら!」


「それに、土田さんには恩もありますし」


「恩? 土田さんは森野さんのプロデュースには関わっていないんじゃ……」


「うふふ。それじゃ、私も準備してきますね」


 モリクマが控室に向かって行くと、川島さんがステージに上がり俺に耳打ちをしてきた。


「福岡のローカルアイドルオーディションに参加していた森野さんをシルバー・ストーンに引っ張ってきたのが土田さんらしいです。私が入社する前の話なので私も詳しくは知らないんですけど、当時は土田さんもロークレのことで忙しかったから、直接プロデュースはできなかったみたいなんですけどね」


「マジですか。あの人、本当に先見の目がすごいんですね」


「それを言うなら先見のめい、ですよ」


 改めて自分たちがとんでもない人物にプロデュースしてもらえているのだと実感する。普段の土田さんは、あまりオーラを感じさせない気さくなおっちゃんといった感じなので、ついつい忘れてしまいそうになるのだが。


「それじゃあ早速リハを始めていこうか。もう準備はできているね?」


「はい!」


「それじゃあドラムから音とっていきますね。まずはバスドラお願いしまーす」


 PAからの指示に従って琴さんがバスドラを鳴らす。会場が大きくなってもこの辺りの手順は変わらないらしい。


 だが、その場に響く音の広がりは明らかに俺たちが知るものとは異なっていた。


 会場の奥まで飛んで行った音が、跳ね返って自分の耳に戻ってくる。今までのライブハウスでは感じられなかった感覚だ。これが、日本最大級のライブハウスの音なのか。

 ステージも広いため、いつもより皆の立ち位置が遠い。アイコンタクトを取ろうにも、いつもの感覚ではズレが生じそうだ。

 この場所で、この音で、俺たちはこれからライブをする。期待と一緒に、普段とまったく異なる環境に一抹の不安を感じていた。


「バスドラとハイハット、もうちょい返してもらえます? あとシンバルのハイを少し落としてもらってええですか」


「了解でーす。こんな感じでどうでしょうかー」


 そんな中、琴さんはいつもと変わらない様子でサウンドチェックを進めていた。


「琴さん、やっぱすごいですね。こんな大きな会場なのに全然平気みたいです」


「あぁ、さすがだよ。あの肝の座りっぷりは俺たちも見習わなきゃ」


 エフェクターに繋がれた3mのシールドケーブルを目一杯伸ばして、玲は俺の近くまでやってきた。やはり、玲も緊張しているのだろう。


「それじゃあもう一度全体でお願いしまーす」


 PAの呼びかけに応え、琴さんがドラムを打ち鳴らし始める。いつも通りの力強いドラムの音が響いたかと思ったら、俺と玲の間を細長く茶色い何かがものすごい勢いで飛んで行った。


「ビッ…………クリしたぁ! 何事!?」


 驚いて琴さんの方を振り返ると、不思議そうな顔で右手を見つめる琴さんの姿があった。そして琴さんが見つめるその右手には、あるべきものが見当たらなかった。


「スティックすっぽ抜けたわ。堪忍な」


 そう、俺と玲の間を猛スピードですり抜けていったのは、ドラムのスティックだったのだ。ぶつかっていたらけっこうなダメージを負っていたことだろう。

 それにしても、琴さんがスティックを飛ばすなんて、今まで見たことが無い。さすがの琴さんも……


「あれあれ~? さすがの琴さんも緊張してるんすか?」


「なにわろてん鬱陶しい!」


 これ見よがしに琴さんをからかいに行った京太郎に対して、琴さんは躊躇なく左手のスティックをスナップを効かせて投げつけた。手裏剣のように鋭く回転しながら、スティックは京太郎の額にクリーンヒットする。


「痛ぇ!」


「ウチかて緊張くらいするわ阿呆」


 京太郎はそのまま尻餅をついた。


「ひでーっすよ! 本番前に怪我したらどーするんすか!」


「ウザ絡みしたお前が悪い」


「師匠の自業自得ですね」


「チクショウ! 味方がいない!」


「あはははは」


 京太郎が不満げな顔で自分の立ち位置に戻ると、琴さんは優しい笑みを浮かべてその背中に声を掛けた。


「でもまぁ、ありがとうね」


 京太郎のおかげかはわからないが、その後は全員リラックスした様子でリハを進めることができた。狙ってやったのか天然なのか、京太郎のこういう所には助けられることが多い。

 まぁ、多分単純に琴さんをからかいたかっただけなんだろうけれど。


 何曲かを演奏し、モニターの音量も確認が済んだところでPAスタッフから声がかかった。


「はい、オッケーです。それじゃあ次、森野さんお願いします」


「よろしくお願いします」


 会釈をしながらステージに上がってきたモリクマは、先ほど顔を合わせた時とはまるで別人であった。

 衣装が変わったわけではない。メイクをしたわけでもない。ただただ、オーラが違う。本物のプロがステージに上がると、これほどまでに変わるものなのか。それとも、ただその存在感に気圧されているのだろうか。


 だが、そのモリクマに負けず劣らずのオーラを放つ人間がいた。


「よろしくお願いします」


 玲だ。今までリハの時には見せることのなかったスイッチが入った・・・・・・・・状態。その瞳に宿る熱量は、モリクマに対しても委縮を感じさせない。

 玲は、モリクマにさえ一切負けるつもりは無いのだ。


 先ほどまで「私なんて」と言っていた人物と同じとは思えないその気迫にモリクマもすぐ気づいた様で、玲を見つめながら嬉しそうに口角を上げていた。この人も大概だな。


「それじゃあ、楽園ツアー、頭からやります」


 そんな二人を見ていたら、相手のオーラにビビりかけていた自分が馬鹿らしく思えてくる。

 どんなにモリクマが優れたアーティストでも、今日は同じステージに上がる者同士。この瞬間だけは対等なんだ。気圧されるな。委縮するな。遠慮など失礼だ。


 そう、今日ここに立つ俺だって、特別な存在なのだから。

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