第137話 その手の中に

 迂闊なことを口走ったものだ。その言葉がどんな風に玲に響くかなんて、少し考えればわかりそうなものなのに。


「そんなプロポーズみたいなこと、私に対して言います?」


 玲は俺の発言をそう茶化したが、あんな顔を見せられたらたまらない。素直な気持ちを昂る想いのまま口にしたのだが、今言うべきことではなかった。


「ごめ……」


 いや待て。謝るな。話すタイミングはともかく、発言には何の他意も無い。俺は素直な気持ちで、玲にいつまでも一緒に歌っていて欲しいと願ったのだ。


 それが今の素直な気持ち。あの日の俺は、ただ夢のために……


「その話の続きは、今日のライブが終わった後にじっくり聞かせてもらいますね」


「あ、あぁ」


「よし、気合入ってきた! みんなのところに行きましょう!」


 お客さんを迎えるためにBGMが流れ始めたホールで、考えがまとまる前に玲に先手を取られてしまった。この場はあと1時間もすれば俺たちの音楽を聴きに来た人で溢れることだろう。

 玲の言う通り今はとにかく目の前のライブに集中することが先決だ。今この場で結論を出す必要はない。

 だが、口にした以上はいつまでも先延ばしにはできないだろう。俺は、俺自身の感情に決着ケリをつけなければならない。ここが俺たちにとってのゴールではないのだから。


「朔、玲ちゃん。これに目を通すかどうかは、あんたらの判断に任せるわ」


 控室に戻ると、琴さんと京太郎が深刻そうな顔をして俺たちを出迎えた。テーブルの上には一冊の週刊誌。それが目に入った時、俺は二人の表情の意味を察した。


「二人は読んだんですか?」


「ウチは一応読んだけど、まぁお察しの内容やね」


「俺は読んでない。読みたくねーし」


 玲を見ると、険しい表情でその週刊誌の表紙を眺めていた。視線の先には、下品な言葉が躍るやかましい紙面に印刷された「大西 莉子」の文字。

 一体、これを知りたがっている人間は誰なのか。何を目的としているのか。今まで芸能人のスキャンダルなんて大して気にしたことも無かったが、こうして見知った人物の過去が暴かれるというのは、相当に気分が悪いものだ。


「私は、見たくありません」


「せやろな。朔は?」


「俺もです」


「ほな」


 俺たちの回答を受けて、琴さんはその週刊誌を丸めて投げ捨てた。部屋の角にあるゴミ箱に向かって綺麗な弧を描いた、見事な3ポイントシュートである。


「土田さんも人が悪いわ。今日発売なんやー言うてたけど」


「やっぱり土田さんが持ってきたんですね」


「やっぱりとは何だやっぱりとは」


「あ、土田さん」


 ゴミ箱に投げ捨てられた週刊誌を一瞥して、土田さんが控室へと入ってきた。


「せっかく買ってきたのに。勿体ないじゃないか」


「本番前に趣味悪いですよ」


「あっはっはっは。でもまぁ、君たちならそう言うだろうと思ったよ。だけど、これが世に出てしまったのは事実。そのことを君たちは知っておくべきだろう?」


「それは……そうかもしれないですけど」


「昼のワイドショーではこの話題で盛り上がっていたよ。地下アイドル時代の映像どころか、ジュニアアイドル時代のヤバい写真まで掘り起こされていたからね。あれ、地上波で流していいやつだったのかなぁ。あんな内容に時間を割くなんて、それだけ今の日本が平和だってことなのかな」


「ひどい……」


「マリッカにとってこれがどれ程の逆風になるのかはまだわからない。大西くん本人に与える影響もね」


 莉子は「どうせいつか知られること」なんて気にしない素振りで言っていたが、それでも俺は覚えている。莉子が悔しいと口にしたことを。玲に抱きしめられて、目に涙を溜めていたことを。

 受け入れようとしても、受け入れられない過去もある。俺には想像することしかできないが、それでもそのくらいのことはわかるんだ。だって、それは人として当たり前のことだから。


「君たちはこう言われるのは好きじゃないんだろうけど」


 土田さんはそう前置きして話し始めた。


「今のcream eyesならマリッカを救うことができる」


「救うだなんて……」


「おこがましいと思うかい? 別に彼女たちのために、なんて考える必要は無いが、君たちはもうそういう存在になったんだ。なってしまった。責任が生じてしまった。悲しみを知らずに自由でいられた君たちは、大西くんの悲しみに触れて、それでも前に進むと決めたんだから、それを示さなきゃいけないのさ」


 俺たちには悲しみが足りないと、以前に土田さんはそう言っていた。その時は言っている意味がわからなかったが、今では何となくわかる気がする。

 悲しみを知る人の歌には、感情のリアリティと説得力がある。ごく普通の、不自由ない生活を送ってきた俺たちには、それが足りなかったのだ。


 俺たちが知りえた悲しみなんて、きっとたかが知れている。莉子が俺たちに語った話も、週刊誌の下衆な記事も、実際の出来事のほんの一部。そこに至るまでの過程と時間があり、その分の葛藤があったはずだ。

 俺たちはそれを経験したわけではない。そんなことは土台不可能だ。だけど、それを理解することを諦めたくなくて、ずっと想いを馳せてきた。


 過去は変えられない。だからと言って、それに囚われる必要は無い。自分以外の誰かが足を引っ張るなら尚更だ。


 莉子は今どうしているだろうか。泣いているのか、怒っているのか、くだらないと笑っているのか。それを知る術はないが、今日のライブを俺たちがどう見せるのか、それが彼女にとって僅かでもプラスになるのであれば、それは喜ばしいことだと思う。自分のために音楽をやると決めたcream eyes俺たちにとっても矛盾はない。


「以前に音楽で世界平和を目指すなんて真面目じゃないと、そう言ったことを覚えているかい?」


「え? あ、はい。だからマリッカとは価値観が合わないって……」


「あぁ。僕のその考えは今でも変わっていない。だけど真面目に取り組んだ結果、その結末にたどり着いたのであれば、それはきっと尊いものなのさ。君たちは何処までも独りよがりに、自分自身のために音楽を奏でて、それで誰かを救って見せてくれ。俺は、そんな音楽が聴きたい。そして、cream eyesならそれができると信じている」


 土田さんの言葉を飲み込んで、玲はまっすぐな瞳で応えた。


「響かせて見せます。誰のためでもない、自分の音楽で。それが今、私のしたいことですから」


「あっはっは! どこまでも『自分のため』を貫くその姿勢、実に良い。それでこそ、プロデュースのしがいがあるってもんだ」


 世界征服を夢見た魔王様は、どこまでも自分勝手に突き進む。そして俺は、その姿をずっと見続けていたいと思う。いつかその願いが、希望が、世界を満たす日が来ると信じて。


「よし、それじゃあ行ってこい! そして僕に今の君たちの全て見せてくれ!」


「はい!」


 開場と同時にホールに人が流れ込んできて、その人々の声が控室まで届いてくる。一気に周りが騒がしくなってきた。


 間もなく、ステージの幕が上がろうとしている。

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