第118話 Sister is back

「何でお前がここにいるんだよ」


 バンドの今後について話し合うために訪れたカフェの席で、京太郎は苦々しい顔をしてそう言った。


「だって、マリッカがあんな風になっちゃって、じっとしてらんないでしょ。おにいは何も感じないの? 人の心を失ったの? 哲学的ゾンビなの?」


「お前哲学的ゾンビって言いたいだけだろ」


 斎藤さんの隣に当たり前のように座っていたのは、京太郎の妹である姫子だ。

 初めて会った時の芋臭さは抜けて、あか抜けた感じになっている。以前の改造計画のおかげだろうか。


「まぁまぁ、姫子ちゃんは私が誘ったんだよ。京太郎くんの妹だって聞いたから」


「って言うか何で斎藤さんが姫子と繋がってるんすか? あの脱オタ企画以来絡み無いっすよね?」


「何言ってんの。めちゃめちゃ絡みあるから。斎藤さんとはもうマブだから」


「いや~、マブではないかな」


「傷つく!!」


 斎藤さんが言うには、姫子はDTMの才能を活かして「DJ O-HIMEオヒメ」として活動を始めており、クラブに行った斎藤さんとたまたま再会したらしい。その縁で、下北沢SILVETへの出演も果たしているという。


「姫ちゃんDJやってたんだ! 教えてくれれば良かったのに」


「ん~、みんなに教えるのはもうちょいモノになってからって思ってたんだよね」


「オヒメって何だよ。おしめみたいだな」


「人が一生懸命考えたDJネームを生理用品みたいに言わないで欲しいんですけど。ほらほら、『秘め事』的なアダルティでエロティックな響きがして良い感じでしょ~」


「でもお前処女じゃん」


「死ねクソ兄貴! あの世で私に詫び続けろ!」


 やめてくれ京太郎。その煽りは俺に効く。


 それにしても、人前に出ることなんて特に苦手そうな姫子がDJとは。この短い期間にどんな心境の変化があったのだろうか。


「ねえ、そろそろ本題に入ってもいいかな」


 兄妹のくだらないやり取りを、斎藤さんはニコニコしながら聞いていた。だが、可愛らしい笑顔なのに発せられた言葉には有無を言わせぬ圧を感じた。


「はい」


 俺たちは大人しく席に着いた。みはるんも含めて7人の大所帯となったため、3人と4人で二つのテーブルに分かれて座ると、店員がメニューを聞きにやって来た。

 各々が注文を済ませると、斎藤さんは改めて話を切り出した。


「ところでさ、君たちはcream eyesっていうバンドが今どういう立場に置かれているかちゃんと理解しているのかな」


「立場?」


「今はね、業界最注目の若手だったマリッカが活動休止になっちゃって、業界も音楽ファンも、完全な『マリッカロス』の状態になってるんだよ」


「マリッカのデビューアルバム、すげー売れてるらしいっすね。活動休止のニュースが出てから特に」


「確かに、何か最近のメディアでの持ち上げ方は、マリッカを神格化するような感じもあるよな」


「まぁしゃあない部分もあるやろ。天才や言われて期待を背負って、いざこれからって時やったからなぁ。会社からしたらプロモーションにかけた分は元を取らなあかん。莉子ちゃんを悲劇のヒロインに仕立て上げて、ドラマチックに演出するのが注目を集めるのに一番手っ取り早いんやろ」


「悲劇のヒロイン……それ、莉子ちゃんはどう思ってるんですかね……」


 そんなの、プライドの高い莉子が許容するはずがない。皆そう思ったはずだが、誰も口には出さなかった。その先にある、どうして許容されていない話が表に出て来るのか、という話題に触れたくなかったのだ。


「まぁ、その話は一旦置いといて、と。で、今はその悲劇のヒロイン効果で盛り上がってるわけだけど、世間はすぐに次のスターを求め始める。それはわかるね?」


「……そうなるでしょうね」


 いつの時代も、その時代を象徴するアーティストが存在する。それは音楽という娯楽の影が薄くなった今でも変わらない。

 ロークレの解散以降、バンドサウンドは影を潜め、今はアイドルとダンスミュージックが隆盛だ。奈々子さんが好きだと言っていた「オクタゴン」はその筆頭である。だが、そのブームにも陰りが見え始めていた。


 マリッカは、そんな次世代の象徴になるはずだった。誰もがそれを期待していた。多分、俺たちも。


「マリッカがあぁなっちゃった今、世間が次に担ぎ上げようとしてる神輿みこし候補が、cream eyesだよ」


「……」


 そのことは薄々感じていた。SNS等のネットの反応を見ていても、マリッカのツアーでオープニングアクトを務めていた俺たちの話題が俄かに増え始めていたからだ。


「マリッカのライブで前座やってたバンド、けっこう良かったよな」


「莉子ちゃんの件は残念だけど……これからはcream eyesを推していこうかな」


「マリッカと一緒にやるだけの実力はあるよ。ボーカルが特にいいね。莉子に負けてない」


 こんな具合に。


「でも、それって……」


「言うまでも無いかもしれないけど、君たちに期待されている役割は、マリッカのだ」


 代替品だいたいひん。つまりは代わりだ。マリッカがいなくなってしまって、行き場の無くなった世間の熱量をぶつけるための生贄スケープゴートとも言えるだろう。


「またこのパターンかよ……」


 京太郎が呟く。


「そう。前にSNSで玲ちゃんと琴ちゃんの写真が注目を集めた時みたいに、今回もまた、正当にcream eyesの音楽が評価されたわけじゃない。君たちにとっては不本意な注目の浴び方かもしれないね」


「そう……ですね……」


「でもチャンスであることに変わりはないよ。これから君たちがどう動くのか、皆が注目している。メジャーデビューもしてないバンドにこんなに注目が集まることなんて、本来あり得ないことなんだから」


「だからって、莉子ちゃんの病気を踏み台にするようなやり方は……」


 玲の発言に、琴さんは何かを言いかけて止めた。


 斎藤さんの言う通り、今の状況はチャンスである。それも、以前の時とは注目度が段違いだ。この機会を上手く使えば、一気にメジャーアーティストの仲間入りだってできるかもしれない。


 ただ、それはつまり、莉子が病気になったおかげでバンドが売れるという事だ。

 莉子のことを何も知らない状態だったら、そう割り切ることもできたかもしれない。でも、もう俺たちは彼女のことを知ってしまった。誕生日プレゼントを貰う友人になってしまった。


 そんな相手の不幸を餌にするなんて、気持ちよくできるはずないじゃないか。


「じゃあどうすんの」


 沈黙の中、姫子が口を開いた。


「莉子ちゃんの病気はしょうがないことなんでしょ? それとも何? バンドの誰かが毒でも盛ったの? それなら後ろめたい気持ちもわかるけどさ。そうじゃないんでしょ? そのまま莉子ちゃんに悪いからって言ってたら、結局何もできないじゃん。何をしたって今は注目を浴びるんだから、それを覚悟で動くか、それができないならバンドを解散するしかないじゃん」


「お前、解散とか簡単に言うなよ……」


「だから! 何でそんなにビビってんだって言ってんの!!」


 姫子が声を張り上げると、京太郎は明らかにムッとした表情を見せた。


「は? ビビってるって何だよ! だいたいな、お前に何がわかんだよ。俺たちはマリッカと一緒にライブやって来て、そんで莉子ちゃんがあんなことになって……その気持ちがわかんのかよ!」


「わかんないよ! そんなのわかるわけないじゃん!!」


 大声で言いあう二人に、店中の視線が集まってくる。「マリッカ」という単語に反応する人もいた。


「二人とも、一旦落ち着き。大声で言いあって、莉子ちゃんに変な噂が立ったらどうすんねん」


「……すんません」


「……ぐすっ。ひぐっ」


 琴さんが二人を諫めると、姫子は急に涙を流し始めた。


「今度は何だよ……」


 京太郎が呆れ気味に言う中、姫子に寄り添ったのはみはるんだった。


「ごめんね姫子ちゃん。京くんも今はいっぱいいっぱいなんだ」


「うん……うん。わかってる」


「姫子ちゃんは、どうしてそんなに真剣に怒ってくれるの?」


「……だって……だって、私はお兄たちに憧れてDJを始めたのに……ネットだけじゃなくて、人前にも出れるようになったのに……こんな形でお兄たちのバンドが立ち止まっちゃうなんて、悔しいんだもん」


「憧れ、ってお前……」


 姫子はそのまま、みはるんの胸に顔を埋めてすんすんと泣いていた。普段ふざけたことばかり言っている実の兄に「憧れている」と伝えることがどれだけ気恥ずかしいか、それがわからないほど京太郎だって馬鹿ではない。そして、それを今伝えた意味も。


「さて、妹ちゃんはこう言ってるわけだけど」


「で、でも私たちだって……ツアーが中止になって、予定が白紙になっちゃったから、これから先何をするかなんて何も決まってません……どうすればいいのかも……」


「何言ってんの。何も自分たちだけでどうにかしろなんて言ってないじゃん」


「え?」


「頼れる相手が、たくさんいるでしょ? ほらちょうどそこにも」


 斎藤さんがそう言って窓を指さすと、見覚えのある大きな4WDの車が店の外に停まろうとしていた。


「あの車……」


「まっさんのラングラーやん! 何でこんなとこに……」


「ふっふっふ。琴ちゃんも私の交友関係の広さを侮っていたようだねぇ」


「嘘! マシュー様!? ちょっと斎藤さん! そんなん先に言っといてよ!」


「お前さっきまで泣いてなかったか?」


 車から降りてきた金髪の男。グラサンを掛けても隠し切れない端正な顔立ちに、190センチ近い長身はあまりにも目立つ。

 店内に入ると、明らかに一般人とは異なるオーラを放つその男に、他の客がざわつき始めた。だがそんなこと意に介さないといった風に、金髪イケメンはこちらへまっすぐにやって来た。


 何だよ。ヒーローみたいな登場しやがって。大貧民弱いくせに。


「迎えに来たよ。さぁ、車に乗って」


 やばい。このマシューという男、本気で王子様みたい。

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