第119話 教えてあげる

「で、ウチらをどこへ連れて行く気なん」


 ドラマのワンシーンのような流れに、思わず言われるがまま車に乗り込んだものの、俺たちはまだその行き先を知らされていなかった。


 だが、向かっている先に心当たりはある。


「君たちが、今一番行くべき場所さ」


「そんな気取った言い方せんでええから。はっきり言うて」


「着けばわかるよ」


 琴さんの追及にも怯まず、マシューは勿体ぶった言い方をしながら元居た三軒茶屋のカフェから車を走らせる。マシューの車はその大きさの割に5人が乗車定員だったため、みはるん達とはお店で別れていた。

 30分ほどして、車は東京湾にほど近い場所にある広大な敷地の駐車場へと入っていく。


「豊洲神経医療研究センター?」


「ここって……」


「着いたよ。君たちの目的地は第二病棟の607号室。受付にはもう話を通してあるから」


 マシューはこちらを見ずにそう言った。


「こんなことしてええの? コンプラ的に教えられへんとか言うてたやん」


「場所を教えるなとは言われたけど、連れて来ちゃいけないとは言われてないからね」


「屁理屈」


「いいから、ほら、早く行ってきなよ。君たちにも……あの子にも、必要なことなんだから」


「……ありがとうね。まっさん」


 俺たちが車を降りるとき、運転席に座ったままそれを見守っていたマシューの表情は、少しだけ寂しそうだった。


 ここには莉子がいる。俺たちがこの件で立ち止まってしまうだろうことに、マシューは気づいていたのだ。

 だが、今莉子に会って何を話せばいいのだろうか。現在の医学では完全には治せないと言われている難病を患った人間に対して、「きっと何とかなる。俺たちも頑張るから、お前も頑張れ」なんて気安く言えるはずもない。


 正直、怖い。


 それでも、莉子と俺たちは向き合わなければいけないのだろう。ここから逃げてはいけない。そのことだけはわかる。それが彼女のためにもなると言うなら、尚更だ。


「ありがとうございました!」


 4人で改めてお礼を言って頭を下げる。マシューは「早く行け」と手で払うようなジェスチャーをしていた。


「行こう」


 様々な建物が点在する広い公園のような道を進むと、一際背の高い建物が目に入って来る。そこが第二病棟だ。

中に入ると、清潔な受付に制服を着た女性が並んでいた。


「あの、607号室の面会に来たのですが」


「お名前をお伺いしてもよろしいですか?」


「一ノ瀬です」


「一ノ瀬さん……と、他の3名様もお名前をお伺いできますか?」


「二宮です」


「椎名です」


「玉本です」


「……はい。確認できました。それでは、こちらにお名前と連絡先と、あと今の時間をご記入ください。6階へはあちらのエレベーターから向かえますので」


 受付の脇にある通路を右に曲ったところにエレベーターホールはあった。同じく面会に向かうであろう家族連れと一緒にエレベーターに乗り込むと、その中は独特の薬品の匂いが充満していた。

 モーター音と録音されたアナウンス以外、何の音も声も発せられない四角い空間は、何だか妙に心をざわつかせる。一緒に乗った家族連れは1つ下の5階で降りた。ここにいる人たちは、皆莉子のような難しい病気に悩まされているのだろうか。そう思うと、何だか能天気に健康な体を持て余してきた自分が、酷く愚かなように感じられた。

 間もなくエレベーターが6階に到着し、扉が開いた。廊下に出ると、そこには穏やかなオルゴールの音色がBGMとして流れていた。


「えーっと、607号室は……」


「こっちじゃね?」


「個室じゃん。さすが」


 この時、俺も京太郎も別に言う必要のない言葉を口にすることで、気を紛らわしていたんだと思う。


 607号室の扉はすぐに見つかった。もう少し気持ちを整理する時間が欲しかったが、ここまで来たらそうも行っていられない。

 ドアノブに手を掛けて皆の方を振り返ると、誰もが不安そうな顔をしていた。この後どうすれば良いのかわからないのは、俺だけじゃない。皆、ぞわぞわする胸の不快感を押しとどめながらここまで来ているのだ。


 意を決して、コンッコンッ、とノックを2回。


「……」


 返事が無い。


 たったこれだけのことで、頭の中を暗いイメージが駆け巡る。


 今は誰とも会いたくないと、面会を拒絶しているのではないか。廃人の様になり、面会に応じる気力もないのではないか。病状が悪化し、中で倒れているのではないか。もしかしたら、完治しない難病を患った自分の将来を悲観して、自ら命を……。


「ちょっと、そこで何してんの」


 背中の方から、聞き覚えのある声がした。


「何であんたたちがここにいるの? 川島さんたちは誰にも場所を口外しないって言ってたけど。ストーカーなの?」


「莉子!」


 驚いて振り返ると、すっぴんでパジャマ姿の莉子が立っていた。それを見た瞬間、俺の緊張の糸が完全に切れた。心が優しく暖かい手に包まれたような、そんな感覚がした。


 俺の目に映った莉子の姿は、想像以上に、あまりにも俺たちの知っている彼女そのままだったのだ。cream eyesとマリッカの全員が集まって大貧民大会をしたあの日の夜と何も変わらない、口の悪いお姫様がそこにはいた。


「莉子ちゃん!」


 質問に答えることもせず、玲は飛んでいくような勢いで莉子に抱き着いた。勢い余ってよろけた莉子が、その一瞬だけ笑顔を見せたような気がした。


「寝てなくて大丈夫なの!?」


「別に安静にしてなきゃいけない病気じゃないし。ってゆーか、検査入院だから。治療中とかじゃないから」


「うぅぅ、良かったぁあ」


「ちょ、何なのいきなり!?」


 突然目の前で泣き出した玲を見て、莉子は戸惑っていた。


「だっで……だって、莉子ちゃんいなくなっちゃうんじゃないかって思ったからぁ」


「はぁ? 何よそれ。玲も私の病気については聞いたんでしょ? 命に係わるものじゃないって」


「でも……」


「まぁまぁ、玲ちゃんの気持ちも汲んだってや。あのライブの日から、会えん間ずっと心配しとったんやから。連絡も返ってこんし」


「琴ちゃん……そうね、わかったから。とりあえず中に入って。こんなところで騒がれても困るし」


 莉子が渋々招き入れた607号室は、一人で過ごすには広すぎるように感じた。備え付けの備品以外に、持ち込んだような私物もほとんど見当たらない。ただ唯一、ベッドの上に置かれたポータブルオーディオプレイヤーの画面が淡い光を放っていた。


「で、どうしてここがわかったの」


 ベッドに腰かけた莉子は、プレイヤーの画面を隠すようにそれを奥へと放った。


「マシューさんが連れて来てくれたんだよ」


「……また余計なことして」


「でも、おかげでこうして莉子ちゃんに会えたんだし、マシューさんには本当感謝だよ。莉子ちゃんは、今は何ともないの? さっきも普通に歩いてたけど」


 相手を吹き飛ばす勢いでハグをかました玲が言う台詞ではない気がしたが、今は突っ込むとこではないだろう。


「今はまぁ、大丈夫。症状も落ち着いてるし」


「検査結果はいつでるん?」


「えっと、確定の診断までには、経過観察もあるから早くても1ヶ月はかかるって言われました。でも先生が言うには、症状からいってまずMS、多発性硬化症で間違いないだろうって」


「そう、なんだ……」


 もしかしたら深刻な病気ではないかもしれない。診断が確定していないことでそんな淡い期待も持っていたが、どうやら現実は厳しいらしい。


 それにしても、先ほどから莉子が妙にあっけらかんと話しているのが気にかかる。元気そうなのは良いことなのだが、どうしてそんなにも平気な顔をしていられるのか。


「それにしてもさー、ワイドショーの扱いは酷いよね。あれじゃ私死んじゃったみたいじゃん」


「いやまぁ……仕方ない部分もあるんじゃないか?」


「仕方ないことなんてない。だって私生きてるし。あんな終わった人みたいな扱いしてさ、私バンドを解散するとも引退するとも一言も言ってないんだけど」


「え?」


 素で驚いた。もちろん俺だってそれを望んでいたし、莉子なら歌うことを諦めないだろうと思っていた。ただ、もっと自分の身に降りかかった不幸に落ち込んだり悩んだり、打ちのめされているんじゃないかと思っていたのだ。


「何驚いてんの。当たり前でしょ」


「いや、何て言うか」


「私がもっと落ち込んでるとでも思った?」


「まぁ……そうだな」


 俺がそう言うと、莉子はやれやれと言った風に首を振った。


「私はね、こんなことでへこたれるほどヤワな人生歩いて来てないってこと」


「ヤワな人生って何だよ」


「今日は気分が良いから教えてあげる。ちょうどさっき川島さんから連絡があったしね」


「連絡って、どんな」


「週刊誌が私の過去をネタにした記事を出すんだって」


「は!? 何だそれ!」


「川島さんは止められなくてごめん、って謝って来たけどね。まぁ、今の世の中じゃ遅かれ早かれ知られることだし、私は別に構わないんだけど」


 そう言った莉子の目は、俺を見ているようで、どこかもっと遠くの虚ろな何かを見つめているように見えた。


「週刊誌発売前のスクープ内容なんだから。ありがたく聞きなさい」

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