第117話 プライマル・インパルス
「ボーカルの大西 莉子さんの体調不良により先日ツアー中止を発表したマリッカですが、この度、活動そのものを無期限休止する旨を改めてホームページ上で発表しました」
「心配ですねぇ。『東京アイランダーズ』、私も観ましたよ。主題歌が映画のイメージにピッタリで本当に素晴らしかったので、これからの活躍にとても期待していたんですが」
「そうですねぇ。大西さんの病名などは明らかにされていませんが、バンドとしてのコメントも発表されています」
「この度は関係各所の皆様にご迷惑をおかけしてしまい、まことに申し訳ございません。現在、莉子は復帰に向けて全力で闘っています。必ず皆様の元へまたマリッカの歌を届けますので、どうかその時まで静かに見守っていてください」
「一刻も早い復帰が待たれますね。はい。それでは次の話題です。先日、動物園から脱走した2頭のニホンザルのうち……」
家でテレビを見ていたら、マリッカのことが取り上げられていた。だが、その時間はほんのわずかで、すぐに別の話題へと移ってしまった。
いくら業界で注目を集めていたとはいえ、まだ実績を残せていないバンドの扱いなどこんなものなのか。あのコメンテーターたちは、どれだけマリッカのことを知っているんだろう。
莉子の病気は体調不良とだけ発表され、具体的な病名については伏せられていた。それは。「多発性硬化症」が診断の確定までに時間のかかる病気であるからだろうが、そのせいで、ネット上ではあらぬ憶測が立ち始めていた。
「病名を明かせない体調不良……これは妊娠だな。デビュー直後にできちゃったとか、無責任すぎだろ」
「マリッカの莉子、やばい薬でパクられたってマジ? サイテー!」
「マリッカとか、最初から事務所のゴリ押しで売れてただけけじゃん。正直ウザかったから消えてくれてせいせいするわ」
これらはほんの一部。もちろん純粋に心配する声や、悪い噂を糾弾する声の方が今は圧倒的に多い。だが、それもいつ逆転するかわからない。そういう場面を、俺は何度か見たことがある。
「……っざけんな」
誰にと言うわけでもなく、自然とそんな言葉が零れていた。
静岡でのライブ以降、俺たちは莉子に会えていない。玲や琴さんが連絡を取ろうとしても、返信が来ないらしい。現在検査入院中とだけ聞かされているが、川島さんやマリッカのメンバーに問い合わせても入院先の病院を教えてもらうことはできなかった。
「莉子の入院先については箝口令が敷かれていてね。コンプライアンスの関係上、部外者には教えられないんだ。莉子もまだ動揺が大きいし、落ち着くまでは待っていて欲しい。申し訳ないんだけど」
琴さんから執拗な尋問を受けた際、マシューはこう言っていた。はっきりと口には出さなかったが、どうやら莉子自身も俺たちと会うことを拒絶しているようだった。
流石の琴さんも、最後にマシューが漏らした「少し休ませてくれないか」の言葉には引き下がらずを得なかった。あの何でも思い通りにできそうな天才が、あんなわかりやすい弱音を吐くなんて。
「あ、朔ちんじゃん! 久しぶりー」
「朔さん、お疲れ様です! ツアーどうでした? 中止になっちゃって残念でしたね」
マリッカのツアー中止によって、当たり前のようにcream eyesの予定も白紙になる。久しぶりに大学へ行って頭にまったく入ってこない講義を受け談話室へ向かうと、サラダボウルの面々が暖かく出迎えてくれた。
それはとても嬉しいことで、帰る場所がある有難さを感じずにはいられない。だが、サラダの皆が何気なく、何の悪意も無く、ツアーのことを聞いてくるのが少しだけ嫌だった。そして、それを嫌だと感じる自分自身も嫌だった。
「結局、マリッカの活動休止の理由って何なんですか? ボーカルの病気って言ってましたけど、そんなヤバい病気なんですか?」
「ん~、俺らも詳しくは聞かされてないからわからないんだよ。病気なら早く良くなって欲しいと思うけど」
立場が逆だったら、俺だって好奇心で色々聞いて回っていただろう。だから彼らを責めたりはせず、適当に答えてお茶を濁す。
サラダボウルは俺たちの原点となる場所で、帰る場所。現にサークル会員の皆は俺たちが返ってきたことを喜んでくれた。
それなのに、何だか居心地の悪さを感じてしまう。
懐いてくれる秀司も、労ってくれるケンさんも、ちょっかいを出してくる奈々子さんも、テレビ画面の向こうで話しているような感覚。
離れていたのは1ヶ月にも満たない、大学の夏休みよりも短い期間だ。それだけの時間にもかかわらず、まるで自分だけが取り残されたような、浦島太郎の気持ちになっていた。
「あ、琴っち! おつかれー」
俺が談話室に来て間もなく、授業を終えた琴さんがやって来た。
「何や、奈々子か」
「ちょっとそのリアクション酷くない!? 久しぶりの再会なのにさー」
「あははは、冗談やて。しっかし、奈々子は変わらんねぇ。安心するわ」
「何それ。そんなすぐに変わるわけないじゃん。琴っちだって別に変わってないでしょ」
「それもそうやな」
「変なの」
ひとしきり奈々子さんと話をした後、琴さんは俺の向かいの席に座った。
「何を黄昏とんねん」
「いや、別にそんなんしてないですけど」
「変わったんは、ウチらの方やからな」
「え?」
「さて、斎藤ちゃんとの約束まで時間あるし、久しぶりにハコ行かん?」
「えっと、いいですけど」
「ほな、決まりや」
今日はこれからのバンド活動について話し合う予定で、下北沢SILVETの斎藤さんも休日を返上して相談に乗ってくれることになっていた。
約束の時間は17時。今は16時。移動時間を考えれば、あまり余裕は無いのだが。
「お、やっと来たか」
「待ってましたよ」
ハコの扉を開けると、現地集合の予定だった京太郎と玲がそこにはいた。
「なんでみんながここに?」
「ウチが呼んだんよ。ちょいと初心を取り戻そう思うてな」
「初心を……」
俺が状況を飲み込めないままでいる中、琴さんはさっさとドラムの椅子に腰かけ、京太郎はギターを担いだ。玲はギターを持たず、マイクを手にして立っている。
「えーっと、これは」
「思い出しませんか? 初めてこの4人で演奏した時のこと」
玲がそう言った瞬間、目の前に春の日の光景が蘇る。
「初心を取り戻すってそういう……」
俺は自分がここに連れてこられた理由を理解した。
そして、ナイロン製のギグバッグから愛器の
「じゃあ、やりますか」
演奏するのは、cream eyesのオリジナル曲ではない。まだ4人に名前の無かった頃、この場所で奏でたコピー曲、森野 久麻の「楽園ツアー」だ。
初心を取り戻す。その初心とは、何だったか。
玲に出会って、その歌声に惹かれて……いや、それよりももっと前。どうして俺は音楽を始めたんだっけか。
ビートを刻みながら考えを巡らせてみる。そんなに大した理由ではなかったはずだ。少なくとも、今みたいに世界征服なんて考えたこともなかった。
女の子にモテたかった。キャーキャー言われてみたかった。チヤホヤされたかった。この辺りはあった。間違いない。何て浅くて幼稚な考えだろう。恥ずかしくもあるけれど、そんな馬鹿な自分が少し愛おしくも感じた。
でも、それよりもっと単純な理由がある。
俺は音楽が好きなんだ。
だからギターで挫折した時も、ベースに持ち替えて練習を続けた。
だから琴さんのドラムに衝撃を受けた。
だから京太郎のギターに可能性を感じた。
だから玲の歌に心が震えた。
だから、この4人でバンドを組んだのだ。
自分たちで作り上げた音楽を奏でるのは、ただひたすらに楽しかった。曲が出来上がる度に、自分たちは天才なんだと、誰にも負けないと思っていた。
「あぁ、そういうことか」
頭の中にバラバラと散らばっていたパズルのピースが揃うような、そんな感覚。唐突過ぎて、リズムが崩れるほどに。
演奏が終わり、皆を見る。多分、俺も同じ顔をしていたと思う。
「何か色々なことが一気に起こったけど、結局俺はただ楽しいから音楽をやって来たんだよな。そのことを最近忘れてた気がする」
皆は黙って俺の話を聞いてくれていた。
「誰かに認められたいとか、どうやったら客にウケるかとか、最初からそれを求めていたわけじゃないんだ。俺は、自分が最高だと思う音楽を、最高だと思うメンバーと
頭の中で組みあがっていくパズルを言語化するのは難しい。ちゃんと伝わっているんだろうか。
「だから俺は、自分が純粋に好きだと、楽しいと思える音楽がやりたい。聴いてくれる人にもそれを押し付けたい。その結果、受け入れてもらえないなら仕方ない。だけど、俺は俺たちが良いと思った音楽が受け入れられないなんて、そんなことは無いと思うんだ」
じっと聞いていた玲が、口を開いた。
「どうしてそう思うんですか?」
その質問は、予定調和のものだ。琴さんも京太郎も笑っているじゃないか。俺の考えはちゃんと伝わっていた。それだけじゃない。みんな、同じ思いを持ってくれていたのだ。
「根拠なんて無いさ」
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