【第八章】プット・ア・スペル・オン・ミー
第83話 オープン・セサミ
「あの人、また私の連絡先を勝手に……」
「申し訳ありません、こちらの話です」
「事情は把握いたしました。次の木曜日の17時からでご都合いかがですか? 場所は赤坂の……」
俺は先日のライブの時に土田さんからもらった連絡先へメッセージを送った。内容はまんま琴さんの受け売りだが。しかし、返信してきたのは「川島 都」と名乗る人物だった。メッセージの内容を見るに、土田さんは勝手に川島さんの連絡先を俺たちに教えたらしい。
「また、ってことは初めてじゃないんだ」
「なんか苦労してそうやなあ。この人」
「
「雅な名だな」
「あ、ジコ坊」
「あぁ、あの人じゃね? ほら、土田さんと一緒にいたデキる女系の人」
そういえばあの時、俺たちに声を掛けてきた土田さんの隣に女性がいた。眼鏡をかけてて、やたらとスタイルが良かったように記憶している。
「土田さんの愛人じゃなかったんだ」
「愛人って、川島さんがですか?」
「いや、なんでもない。それより、木曜日はみんな空いてる?」
「ウチは平気」
「私も大丈夫です」
「その日はバイトが……」
「よし、じゃあ問題ないな」
「無視! まぁシフト代わってくれる人探すけどさ」
大物プロデューサーである土田さんではないものの、メジャーレーベルの人とのアポイントより優先すべきバイトなどバンドマンには無いだろう。俺はすぐさま「木曜日の17時で問題ありません」と返信をした。
「それでは木曜日の17時、よろしくお願いいたします。当日は土田も同席するよう伝えておきます」
川島さんからはすぐに返信が届いた。現時点でまだまだ無名のバンドである俺たちに対してもしっかりとした敬語を使ってくるあたり、仕事ができる人なんだと感じさせる。琴さんの言っていた「仕事のメールの打ち方」の勉強にもなりそうだ。
「どんな話になるんだろう。うちと契約しませんか? とか? くぅー! スターへの第一歩!」
「いきなりそんな話になるかなぁ」
「ちょっとドキドキしちゃいますね」
「さっきのやり取りでそこまで期待できるのはある意味才能やわ」
「琴さんったら、夢が無いなぁ」
「阿呆、ウチは現実を見とるだけや。まぁ、過度な期待はせん方がええやろ」
「琴さんに言われると重みが違う」
逸る気持ちを抑えながら、俺たちは木曜日が来るのを待つことにした。どんな風に話が展開していくのか、期待せずにはいられない。だが、行ってみた結果こちらの意にそぐわない提案をされることもあるだろう。かつて琴さんがそうされたように。
「お前がやってるバンド、何か話題になってるらしいじゃん」
「一ノ瀬さんのバンドの曲聞きました~」
こんな感じで、バイト先やゼミなんかで話しかけられる機会が増えた。正直、バンドやサークル外での俺は社交的とは言えない人間で、腹を割って話せる友人はいない。それなのに、これまでほとんど話す機会の無かったような人からも絡まれるのは何とも居心地が悪かった。
「ボーカルの子って彼氏いる? 今度紹介してくんない? ドラムの子でもオッケーだけど」
これは論外。
「今のうちにサイン貰っとこうかな。そしたらプレミアつくっしょ」
そんな期待をされても苦笑いしか返せない。
宝くじに当たると親戚が増える、なんて話を聞いたことがあるが、これもその一種なんだろうか。
SHAKERでのライブは、SNS上では賛否両論だった。否定的な意見の多くは、玲の最初のMCに集中していた。「オタクを馬鹿にしている」だの「調子に乗ってる」だのと言った感じだ。「写真盛りすぎ。実物は全然可愛くなかった」なんて理由で叩く人もいた。
それらの書き込みに対して、玲はこう言っていた。
「良い気分はしないですけど、いちいち気にするのはやめました。朔さんも言ってたじゃないですか。200人中190人に嫌われてでも、自分たちを好きになってくれる人に向けてライブをしようって」
きっと玲がこう言えるのも、好意的な意見が多数見られたからだろう。「歌声に圧倒された」だったり「グッときて泣きそうになった」だったり「MCから真剣な気持ちが伝わってきた」だったり、読んでいてとても励まされる内容だった。
好意的な意見を述べてくれているのは、200人中の10人だけではなかった。いくら覚悟を決めていたとはいっても、大多数から否定されれば自信を失ったかもしれない。今回は否定的意見より好意的意見の数が上回っていたので、否定的意見も受け流すことができたのだと思う。
否定的意見も、音楽的な部分に触れているものが無かったことは自信につながった。cream eyesはバンドなのだ。その本質は、玲や琴さんのビジュアルでも、メンバーのキャラクターでもMCでもない。一番大事な部分が傷つかなければ、俺たちは前を向ける。
そして、木曜日がやってきた。
「お疲れ。さすがに今日は遅刻しなかったか」
「当たり前だろ。俺を誰だと思ってんだ」
「あんたが京太郎やから心配しとんのやろ」
「うぅ~、ライブ前より緊張します」
地下鉄の赤坂見附駅の改札前で待ち合わせをした俺たちは、期待と不安を胸にエスカレーターを登る。西日が強烈に差し込む出口は、新しい世界への扉の様に思えた。
「いらっしゃいませー。何名様ですか?」
川島さんとの待ち合わせ場所はお洒落なカフェ、ではなく、なぜか中華料理屋だった。年季の入った建物だが、中々に高級そうな雰囲気に少し委縮してしまう。
「待ち合わせをしてたんですけど」
「こちらへどうぞー」
俺が応じると、店員は台帳のようなものを確認した後、満面の営業スマイルで奥の個室へと案内してくれた。
個室に入ると、やはりと言うべきか、SHAKERで見たキャリアウーマン風の女性が円卓に座っていた。この人が川島さんで間違いないだろう。だが、何か様子がおかしい。
「し、失礼しまーす……」
恐る恐る声を掛けたのは、川島さんが脚を組んで手を額に当て、明らかにイラついていたからだ。
「あ、もう時間? ごめんなさい。さ、座って座って」
俺たちの到着に気づいた川島さんは、慌てた様子で笑顔を作り着席を促した。
「あらためて自己紹介させていただきますね。私はシルバー・ストーン・レコードの川島
スカウト。その単語に心が躍ったのは俺だけではない。京太郎と玲はわかりやすく目を輝かせていたし、琴さんでさえ口元が緩んでいた。
「よろしくお願いします。cream eyesのベース、一ノ瀬 朔です」
「ギターの椎名 京太郎です」
「ドラムの二宮 琴です」
「玉本 玲です。ボーカルとギターを担当してます」
立ち上がって順繰りに挨拶をすると、川島さんは微笑ましいものを見るような目であらためて着席を促す手ぶりを見せた。
「先日のライブ、とても良かったです。注目の集まるステージで、堂々と演奏しきったあなたたちの演奏には花があった。土屋も随分気に入っていたみたいですよ」
大手レコード会社のスカウト担当からの賛辞。これに喜ばないバンドがいるだろうか。
「あ、ありがとうございますったぁッ!!」
「朔さん!?」
喜びのあまり着席のまま全力で頭を下げたら、円卓に思い切り鼻と額を打ち付けてしまった。なんたる失態! いきなり間抜けな姿を晒して、変な印象を与えてしまったかもしれない。痛みより焦りの感情が上回る。俺は鼻を打ち付けたことによって強制的に溢れてくる涙を抑えながら、恐る恐る顔を上げた。
「ぷっ」
川島さんは完全に笑いを堪えた顔をしていた。全身がプルプル震えている。あれ、この人見かけによらず
「す、すいません……」
「い、いえ、気にしないでください。そ、それより、ぷっ、顔、大丈夫ですか」
「大丈夫です。全然平気です」
「ぷぷ、そうですか」
そこまで堪えるならむしろ笑い飛ばしてくれた方がありがたいのだが……
「そ、そういえば!」
俺は無理矢理話題を戻そうとした。
「今日は土田さんはいらしてないんですか?」
その言葉に、川島さんの顔が一気に険しくなる。何かマズいことでも言ってしまったんだろうか。
「申し訳ありません。土田は今日は来れません。ただ、あなたたちに伝えて欲しいことがあると、つい先ほどメッセージが届きました」
メンバー一堂に緊張が走る。さぁ、鬼が出るか蛇が出るか。
「ど、どんな内容なんでしょうか」
ゴクリと唾を飲み込む音が響く。
「実は、本当にさっき届いたばかりなので私もまだ内容を確認できていないんです。まったく、あの人は本当に……オホン。メッセージに動画が添付されているので、開いてみますね」
勝手に連絡先をばら撒かれたり、何だか苦労の多そうな人だ。
川島さんは手にしたタブレットをテーブルに置き、添付の動画ファイルを開いた。そこには、土田さんが映っていた。
「やぁ。君たちがこれを見ているということは、きっと僕はそこにはいないんだろう」
完全にふざけている。この人、本当に大物プロデューサーなんだろうか。
「僕から君たちに伝えることはひとつだ」
おちゃらけた雰囲気から一転し、場に緊張感が漂う。
「君たちの目指す場所が
「は? 今この人なんて言った!?」
川島さんがキレた。
「ではまたどこかで会おう。なお、このメッセージを再生したデバイスは、3秒後に自動的に爆破する。3、2、1……」
「きゃあぁああああ!!」
叫び声を上げて川島さんがテーブルの下に隠れる。俺たちはただ茫然とその様子を見ていた。
「なーんてね! うっそー! やーい引っ掛かった引っ掛か」
そこまで再生された後、動画は川島さんの拳によって、タブレット端末の物理的破壊と言う名の強制終了を迎えることになった。
「ふぅ……ふぅ……」
「あ、あの。川島さん……?」
「ふぅ……すいません。取り乱しました」
「は、はい」
血走った目で座りなおす川島さん。色々聞きたいことがあるはずなのに、何を言えばいいのか何もわからなくなってしまった。
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