第82話 これからの話をしよう

 SHAKERでのライブ翌日、9月13日の月曜日。この日から大学の後期授業が始まる。俺はその初日にもかかわらず、二限と三限の授業をサボタージュしていた。疲れて起きられなかったわけではない。むしろ一睡もできず、眠気もほとんど感じていなかった。

 だが、もちろん疲れていないわけではない。くたくたに疲れているのに眠れない。自分の選択が正しかったのか、もっと違うやり方があったんじゃないかと、悶々とした考えが一晩中頭を巡っていた。


「四限は英語か……出席日数足りてるんだっけな……」


 ぼんやりとスマートホンに表示される時計の時刻を眺めながら呟くと、一件のメッセージが届いた。


「朔さん学校来てないんですか? みんな談話室にいますよ!」


 送り主は玲だった。まるで昨晩の告白なんて無かったかのように、いつもと変わらない文面。画面の向こう側に、あの人懐こい笑顔が見えるようだ。

 俺がこんなにも悶々としているのに、その原因たる人物がとっくに元気を取り戻して登校していると思うと少し腹が立ったが、それは我儘というやつだろう。自分と同じようにウジウジしていて欲しいなんて、自分勝手にもほどがある。


「今起きた。四限必修だから、それに出たら談話室に行くよ」


「昨日は大変でしたからね。お疲れ様です。私も四限あるんで、談話室で合流しましょう」


 強がって嘘を交えてメッセージを送ると即座に返信がくる。それを見て、思わずため息が漏れた。そうだ、玲は「明日からまた、今まで通り」と言っていたんだ。


「しっかりしなきゃ」


 俺は俺の夢のために、玲の告白を断ったんだ。それに応えてくれた玲に、こんな体たらくを晒していられない。玲と俺のどちらがダメージが大きかったのかと言えば、そんなの考えるまでもないほど明らかじゃないか。


 買い置きしていたチョコスティックパンを牛乳で流し込み、行水がごとくシャワーを浴びる。濡れた髪のままアパートの階段を降りてポストを確認すると、そこには自転車の鍵が入っていた。ずっと起きていたはずなのに、玲が来たことにまったく気づかなかったなんて。あの子は忍者か何かなのか。


「よし、行くか」


 ライブハウスのスタッフパスをべたべた貼り付けたアルミ製のエフェクターケースを自転車のカゴに入れ、ベースを入れたナイロンのギグバッグを背負ってペダルを漕ぐ。今日は練習の予定は入っていないのだが、何となく楽器と一緒にいたい気分だった。

 9月中旬と言えど、陽気は真夏と何も変わらない。蝉も元気に大合唱中だ。自宅のアパートから大学までは自転車なら5分ほどの距離だが、そのわずかな時間でギグバッグと接する背中は汗だくになっていた。


 大学に着くと、そこには当たり前にいつもと変わらない風景が広がっていた。少し変わったことと言えば、日に焼けた学生の数が目立つようになったくらいだ。

 大学生のコミュニティはサークルや部活、またはゼミのメンバーでほとんどが形成されている。何かしらのコミュニティに属しているものは、夏休み中も合宿やら各種イベントやらで顔を合わせているため、久しぶりという感覚もあまりないのだ。

 よく「自分一人が消えても世界は何も変わらない」なんて言葉を耳にするが、まったくもってその通りなんだろう。でも、今はそんな変わらない世界がとても心地よくて、安心感を与えてくれた。


 四限の英語、出席の返事をした後、俺は即入眠した。張りつめていた気持ちというか、悶々と抱えていた思いが、日常の光景に触れたことで緩んだのだ。そうなればもう、眠気はとうに限界を迎えていたのだから仕方ない。そして当然ながら、俺がその授業中に目覚めることは無かった。


 覚め切らない瞼を擦りながら談話室のドアを開けると、そこは大学の入り口なんかとは比較にならないほどの「いつもの光景」だった。


「お疲れー」


「お疲れっすー」


 誰かに言われた挨拶を、誰にという訳でもなく返して中へ入ると、中央のテーブルにcream eyesのメンバーが揃っていた。


「来るのが遅いんだよ。待ちくたびれたぞ」


「ホンマになぁ。リーダーがそんなんやったら困るわ」


「ほら、朔さんも早く座ってください」


 促された席は京太郎の隣だ。向かい合って琴さんと玲が座っている。これもいつもの定位置。


 きっと、琴さんも京太郎も昨晩何があったのかは感づいている。特に琴さんなんて、今日は早い時間からバイトが入ってるなんて言ってたのに、当たり前の顔してそこにいるし。だが、ふたりともその事について触れようとする気配はない。俺も玲も、話すつもりはない。それはバンドメンバーの間で秘密を作っているという訳ではなかった。ただそうするのが良いのだと、全員が同じ考えを持っていたという、ただそれだけのこと。


「別に遅れたつもりはないんですけどね。みんな今日予定無いんでしょ?」


 瞼はまだ重い。今すぐ家に帰って眠ってしまいたい。


 だけど、それ以上にここにいたい。


「それじゃあ、これからのバンドについて作戦会議といきますか」

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