第81話 ホントのきもち

 その言葉がどういう意味を持っているのか、さすがにわからないなんてことはない。昔漫画かアニメで見たラブコメの鈍感主人公のように、聞こえなかったことにして逃げられる状況でもない。そもそも、俺はこの場から逃げたいのだろうか。


「なんでそんな嘘を」


「……わかりませんか?」


 わからないわけがない。でも、確信を持ったのは今日なんだ。午前0時を過ぎているから正確には昨日なのだが。いや、そんなことはどうでもいい。気持ちの整理が間に合っていないんだ。


「ごめんなさい。きっと朔さんは困るだけだってわかってるんです。でも、この気持ちをはっきり伝えておかないと、私はもうどこへも進めなくなってしまう気がして……だから、言わせてください」


 その先を聞いて、俺はどうすればいいんだろうか。どうしたいんだろうか。


 玲は、今どんな顔をしているんだろうか。どんな思いで、どんな決意で、今ここにいるんだろうか。


 ふたりの間に、重い沈黙が横たわっていた。













「朔さんのことが好きです」













 その言葉に、心臓の鼓動が一気に加速する。それはもう、胸が突き破られるかと思うほどに。


 予定調和の言葉だった。それなのに、実際に言われてみるとその衝撃はすさまじい。心のどこかで、きっとまだ自惚れなんじゃないかという思いがあったのかもしれない。

 あぁ、なんて苦しいんだろう。呼吸のやり方を忘れそうだ。胸が痛いとはこういうことか。玲は、いつからこんな思いを抱えていたんだろうか。


「えっと……」


 答えを返さなければいけない。でも、言葉が出てこない。


「ごめんなさい。こんなこと言われてもやっぱり困りますよね。朔さんは、純粋にバンドメンバーとして私と接してくれていたのに」


「そんなこと……」


 そんなことはない。のだろうか。俺にとって、玲はどんな存在だ? バンドメンバーで、大切な仲間で、玲が傷つけられた時には抑えがきかないほど悔しくて……

 俺は玲のことが異性として、一人の女性として好きなのだろうか。抱いていた感情は、恋だったのだろうか。


「私、バンドを続けたいんです。朔さんが最初に言ってくれたみたいに、プロを目指したい。だからこんなこと言ったらダメだって思ってたんです。でも、どんどん感情が膨らんで、大きくなって止められなくて……朔さんに彼女ができれば吹っ切れるかも、なんて思ったりもしたんですけど、いざ牡丹さんと楽しそうに話している姿を見たら、やっぱり胸が苦しくて……」


 玲の声は震えていた。だがその表情はまだ見えない。


「俺も、玲のこと」


 玲はかわいい。負けず嫌いだけど、明るくて、優しくて、ノリが良くて、一緒にいて楽しい。玲と出会う前、彼女にするならこんな女性ヒトが良いと想像したこともあったっけ。


 俺は、玲と同じように心の中でブレーキをかけていたんだと思う。初めて玲を見たとき、恋人になりたいとは思わなかった。一緒にバンドを組んで、あの歌声と一緒にどこまでも行きたいと思ったんだ。だから、恋をしてはいけないと、ブレーキをかけていた。

 ただ俺のブレーキは玲よりよっぽど強力で、自分自身もブレーキをかけていることに気付かないほどだったんだろう。だから、今この場面になってようやくそのことに気付いたんだ。





 それなら、これ以上悩む必要はないじゃないか。





 だから、言ってしまおう。





『俺も、玲のことが好きだよ』





 メンバー同士が付き合っているバンドなんていくらでもある。それでメジャーデビューを果たしたバンドだってある。俺たちがそれをして何が悪い。


 玲は小さくうなずいて、俺の言葉を受け入れてくれた。


『とりあえず、部屋に入ろう。もう夜も遅いし、体が冷えるといけない』


 玲を自分の部屋に招き入れたあと、まったく掃除をしていないことを思い出し、少し後悔した。でも、きっと玲はそんな俺も受け入れてくれるだろう。だって、俺たちは恋人になったのだから。


 そしてその夜、俺たちは初めて結ばれた。


 翌日、琴さんと京太郎に報告をすると、ふたりとも祝福してくれた。サラダボウルの面々にも、むしろ今まで付き合っていなかったのかとからかわれた。気恥ずかしかったが、悪い気はしなかった。


 バンド活動はその後も順調に続けられたが、全国ツアー以降は観客の動員数も右肩下がりとなり、その後は低空飛行を続けることになった。そしてそのまま浮上することなく、琴さんの大学卒業を機にバンドは解散となった。だが、これはこれで楽しかったと思う。

 その後、俺も大学を卒業して就職し、お金を貯めて26歳の時に玲と結婚した。ふたりの子どもにも恵まれ、愛する妻と一緒に、たまに楽器をつま弾きながら、不自由のない平凡だが幸せな日常を手に入れたのだ。


 目指していたメジャーデビューはできなかったけれど、これも一つの幸せのカタチ。そう、俺は今、幸せなんだ。




 完。

























 ではない! 断じて違う!


 その未来が悪いものだとは思わないが、俺の望んでいたものはそうではない。それは玲も同じはずだ。だからこそ、こんなにも、苦しんでいるんじゃないか。


 だからそう、俺が言うべきなのは、こうだ。


「玲の気持ちはすごく嬉しいよ。ありがとう。でも、その気持ちには応えられない」


 口にした瞬間、とてつもない後悔の念が沸き上がってくる。苦しい。つらい。でも、これで良いんだ。


 その時、初めて暗がりに沈んでいた玲の表情がはっきりと見えた。


「朔さんなら、そう言ってくれると思ってました」


「そっか」


「そうです。だから明日からはまた、今まで通りお願いしますね。私は、自分の思いに決着ケリをつけられたので満足しましたから」


 そう言って笑う玲を見て、俺は安堵するとともに、また強く胸を締め付けられる思いを感じた。


「そういえば、この後どうする? さすがにウチに泊めるわけにもいかないし……」


「あ、その件なら大丈夫ですよ。あれ、嘘ですから」


「嘘? あれ? どれ?」


「真菜ちゃんに連絡してないって話です」


「え、あれ嘘なの!? なんで?」


「ああやって言えば、朔さんの下心がくすぐれるかなって」


「玲、お前……なんて恐ろしい……ッ!」


「あはは、ごめんなさい。でも、朔さんにそんな駆け引きは必要なかったですね」


 これが駆け引きというヤツなのか。それなら本当に勘弁してほしい。あそこで鼻息荒くして、「部屋、入りなよ」とか言おうものなら、その後どんな展開が待っていたのか想像するのも恐ろしい。


「あ、朔さん」


「……今度は何」


「見送りはいいので、自転車だけ借りてもいいですか? さすがに今から歩いていくのはしんどいので」


「あぁ、もう好きにしてくれ」


「えへへ、ありがとうございます。明日、ここの駐輪場に返しておきますね。鍵はポストにいれておきます」


 俺はカゴ付き6段変速のスーパーサイクル(という名のママチャリ)の鍵を玲に手渡した。サドルの位置が合わなかったため、5センチばかり下げて。


「それじゃあ、今日はお疲れさまでした。本当に、ありがとうございました」


「あぁ、この時間もけっこう車は通るから、気を付けて行くんだよ」


「はい」


 ゆっくりと走り始めた自転車は徐々に加速して遠ざかっていく。街灯や自動販売機の明るさのおかげで、闇に紛れて見えなくなることはない。


 角を曲がる直前、玲はこちらを振り向いて何か言いかけたように見えた。だが、そのまま何も言わずに去っていった。

 別れ際の玲は、もういつもの玲だった。そう、必死に見せようとしていた。だったら俺も、いつもと同じように接するべきなんだと思った。


 大丈夫。きっとまた明日から、今までと同じように笑いあえるはずさ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る