第84話 契りの杯
川島さんが拳で語る武闘派であることが判明したところで、背の高いウェイターがドリンクを運んできた。手にしている物はオレンジジュースにウーロン茶、薄い緑がかったものはジャスミン茶だろうか。大事な話をする場なので、当たり前だが全てソフトドリンクだ。
「お兄さん、紹興酒持って来てくれるかしら」
ウェイターは川島さんの要求に困惑の表情を浮かべていた。おそらく、当初のオーダーと異なる注文だったのだろう。
「いいから。砂糖も一緒にお願い。あ、あと適当に前菜から料理を持って来てちょうだい。5人分ね。このお店の中でうんと高級なヤツ」
川島さんは怯む様子が無い。もはや何かを吹っ切ったような顔をしている。
「かしこまりました」
丁寧に頭を下げて、ウェイターは個室を出ていった。それを見送った後、川島さんはテーブルに置かれた水を一気飲みし、グラスをテーブルの上に叩きつけた。グラスが割れるんじゃないかとひやひやするほどの勢いで。
「ごめんなさいね。変なところを見せてしまって」
「あ、いえ……えっと……」
「せっかくだから、パーっと食べちゃいましょう。お酒も好きなだけ飲んでいいですよ。お金のことは気にしないでください。全部あの
「今変なルビがついていたような」
「気のせいです」
「あの、今日の話は」
「もともと今日は
「また」
「気のせいです」
おそらく、土田さんは川島さんの上司にあたる人なんだろう。先ほどの動画メッセージと川島さんの純粋すぎるリアクションを鑑みるに、この人が今までどんな目にあってきたのか、何となく想像がつく。
「やべえよ。川島さんめっちゃキレてんじゃん」
「だな……どうするよ?」
「どうするってお前……どうすんの?」
俺と京太郎がひそひそと話をしている中、切り込んだのは琴さんだった。
「さっきの話、どこまで本気なんです? マリッカのツアーに同行せえ、とか言うてはりましたけど」
「どこまで? そうよね、あなたたちはまだ知らないものね。あの悪魔のことを……」
「悪魔?」
「えぇ、悪魔。どこまでも何も、あの人がああ言ったからには全部本気。きっともう、各地のライブ会場に話はついてるはずです。土田 雅哉というネームバリューに期待を持って来てくれたのかもしれないけど、あの人に目をつけられた以上、覚悟をしてもらわなければならないわね。わぁ、私寝る暇あるのかしら」
そこへ、紹興酒と小皿に盛られた茶色いザラメの砂糖が運ばれてきた。
「悪いけど、飲ませてもらいます。なぜって、飲まなきゃやってられないから。くっくっく。そう、あの人全部本気なのよ。だからもう、ここから先の後始末は全部私がやらなきゃいけないの。ふふ、ふふふふふ……」
琥珀色の紹興酒を注いだグラスに、スプーンで一杯、また一杯と砂糖を加えながら、川島さんは自虐的に笑った。笑ってるんだよな、これ。
「やべぇよ……やべぇよ……」
「朔さん、私怖いです……」
「怯むな! これは……これはチャンスなんだ! 多分……」
注いだ紹興酒を飲み干した川島さんは、またしてもダンっとグラスをテーブルに叩きつけた。そして少しの間俯いていたかと思うと、目を見開いてこちらを睨みつけてきた。
「大体あなたたちはねぇ!」
「は、はいぃ!」
たった一杯で川島さんの顔はリンゴのように真っ赤になっていた、瞳孔も開いている。
「あ、これあかんやつやね」
酒席において怖いものなしだったはずの琴さんが、珍しく弱音を吐いた。
「なーんでまだCDの一枚も作ってないのよ! ぺーぺーのアマチュアなんだから、まずは手に取れるモノを出しなさい! クオリティにこだわるなんて100年早いのよ! 音源を配信? しゃらくさい。しかも無料? 馬鹿じゃないの!? 自分たちの作品に金を払わせないなんて、ミュージシャン失格よ!」
「ひぇええ。すいません……」
「せっかく良いライブをしてるのにもったいない。どうせSNSでバズったことだって、不本意だとか思ってるんでしょ。自分たちの音楽が認められたわけじゃない、とか言っちゃってさ。わかるのよ、私。でもねぇ、世の中なんの光も当たらないまま埋もれて消えていくバンドがどれだけあると思ってるの? どんな形であれ、全力でチャンスを掴みに行きなさいよ! 愚痴垂れるのは相応の地位に立ってからにしなさい!」
最初に感じたクールな印象はもう完全に消えていた。ものすごい勢いでまくしたてる川島さんは止まる気配が無い。
「今回のライブ前、メジャーレーベルでもインディーズでも芸能プロダクションでもいいわ、どこか一社にでもライブを見に来てくれって連絡した? してないよね? たまたま私たちが見に来てたから良いようなものの、あのチャンスをその日限りで潰す可能性だって十分あったのよ? あなたちはまだ、本気でプロを目指すってことがどういうことかわかってないのよ。本当もったいない。何でみんなこうなのかしら。自分たちの作品に自信があるんでしょ? プライドがあるんでしょ? それならチャンスに乗じて堂々と売り込みなさいよ。誰かが拾ってくれるのを待ってるだけじゃ、可能性を捨ててるのと同じなんだからね!」
「は、はい……」
何も言い返せなかった。川島さんが会話できる状態であったかはともかく、言われていることは全部その通りだったからだ。俺たちはチャンスを掴むために全力でライブに向き合ったつもりだった。しかし、向き合ったのはその時のライブだけで、その先を見ることはできていなかったのだ。
レーベルや芸能事務所に声を掛けるなんて発想すらなかったし、SNSでの盛り上がりを不本意に感じていたのも本当だ。話題になることを肯定的に捉えるようにはしていたものの、望んでいた形ではないとどこかで思っていた。それに少しの後ろめたさを感じていたことも事実。
「それに比べればマリッカは、って言うか、マシューくんはその辺よくわかってたわね。彼らは才能もマネジメント能力もそこらのバンドの比じゃないわ。土田さんは何でもっと力を入れてくれないのかしら……」
「あ、あの!」
俺たちへのダメ出しはもっともなのだが、それとは別にひとつ聞いておかなければいけないことがある。
「何かしら?」
「川島さんや土田さんは、マリッカにも関わっているんですか?」
一緒にツアーを回れと言うからには、噂されるマリッカのメジャーデビューに深く関わっているのは間違いないだろう。それに、マリッカのドラマーはたしか……
「当然よ。マリッカをシルバー・ストーンにスカウトしたのは私ですから」
ものすごいドヤ顔だ。何だか、土田さんがこの人をからかいたくなる気持ちがわかるような気がした。
「まぁ、もともとインディーズでは話題のバンドでしたし、マシューくんから直接売り込みに来たのを土田さんと一緒に見に行っただけなんですけど。土田さんは直接プロデュースしているわけではないけれど、ダンボさんを紹介したり色々手を貸してくれているわ」
「やっぱり」
マリッカの現在のドラマーである山元・ダンボ・真一は、Rolling Cradleの元メンバーだ。若手の注目株とはいえ、メジャーデビュー前のバンドメンバーに加わるにはビッグすぎる名前だと思っていた。だが、土田さんが関わっているのならそれも納得できる。
「でも、ロークレのメンバーを紹介するくらいなのに、土田さんは直接プロデュースしてるわけじゃないんですか?」
「そうなのよ! 本当まったく……あの人『マリッカは俺が手を出すまでもなく売れる』とか言って、あんまり興味が無いみたいなんです。ダンボさんを紹介したのも、マシューさんたっての希望があったからですし」
それを聞いた琴さんの右眉が、ピクリと動いたのを俺は見逃さなかった。
「土田さん、新藤さんの事件以降すっかり情熱を失くしちゃったみたいなんです。私は元々ロークレの大ファンだったし、他の土田 雅哉プロデュースのアーティストも大好きだったから、早く情熱を取り戻して欲しいのに……」
紹興酒をグラスに注ぎながら語る川島さんの瞳には、涙が溢れてきているのが分かった。あぁ、この人は土田さんのことが好きなんだな。わかりやすい。
「でもね、あなたたちを見たときは違ったわ。あの人、すごく楽しそうだったから」
サングラス越しの表情でそんなことわかるのだろうか。と思ったが、口に出すのはやめておいた。きっと近くで見てきた川島さんだからこそ、わかることがあるのだろう。
「そう思ってもらえたなら、嬉しいです」
「そこ! そういう
「えぇ……」
「謙遜は日本人の美徳だけど、プロのミュージシャンとしてやっていくなら控えめな性格は損なだけよ。ちょっと不遜なくらいでちょうどいいの」
「確かに、まっさんは謙遜とは無縁のタイプやからなぁ」
「まっさん?」
「あぁ、琴さんはしげ……じゃない。マシューさんの知り合いなんですよ」
「まっさん……まっさん、まっさん? ぷぷっ、あーっはっはっは! まっさん! なにそれ! あの超絶ハーフイケメンがまっさん!? 和風すぎ! あははは!」
琴さんのまっさん呼びが川島さんのツボに入ったらしい。この人やっぱり
「あははは、はぁーあ」
「あの、聞いてもいいですか?」
今度は玲が手を挙げた。
「マリッカの皆さんは今回の話を知ってるんでしょうか?」
「知らないわ。マリッカへの連絡係は私ですから」
「向こうが拒否したらどうなるんですか?」
玲の言うことは一理ある。いくら土屋さんが業界の大物だとしても、マリッカの直接のプロデューサーでないのなら、大事なレコ発ツアーの計画に口出しする権利は無いんじゃないのだろうか。
「もちろん、マリッカ側が拒否したらこの話は無かったことになります。でも多分彼らは、と言うかマシューくんは断らないでしょうね」
「確信があるんですね。私たち、まだ何の実績もないのに……」
「……マシューくんと土田さんは、なんだか波長が合うみたいですから」
そう言う川島さんの表情は、少しだけ寂しそうだった。わかりやすい性格の川島さんでも、この時の表情の意味はまだわからなかった。
「まぁ、そんなことはともかくれすね」
再度グラスを空にした川島さんは、すでに呂律が怪しくなってきていた。
「あなたたちは、さっきの話に乗りますか? 降りますか? 正直、私はマリッカだけでも手一杯なのでどちらでもかまいません。降りると言うなら、土田さんに諸々の尻拭いをしてもらいますから」
想像していた展開の斜め上を行く話に面食らったのは確かだが……俺がメンバーの表情を伺うと、皆聞くまでもないと言いたげな顔で頷いた。
「乗ります。こんなチャンスを逃す手は無いですから。でも、俺たちで本当に良いんですか?」
「だから、そういう謙遜は……」
「大事なマリッカのレコ発ツアーが俺たちの話題で潰されちゃいますけど、本当にそれで良いんですか?」
マリッカは俺が(勝手に)ライバルだと認めたバンドだ。ただの前座、引き立て役になる気持ちなんてさらさら無い。勝ちたい相手だから
「へえ」
川島さんは意外そうな顔をして、三杯目の紹興酒をグラスに注いだ。あれってそんなにグイグイいけるような酒なんだろうか。
「川島さん」
琴さんが空のグラスを差し出す。
「ウチにも一杯もらえます?」
「お、俺にもください!」
そしてそれに京太郎が続いた。
「俺にも、お願いします」
俺も初めての紹興酒に挑戦することに決めた。そう、これはさながら契りの盃なのだ。ともに困難に立ち向かうと決めた者同士が、同じ酒を酌み交わす儀式だ。
「わ、私にも!」
「玲はダメ」
「むぅー」
未成年の玲の前には、最初に運ばれてきていたウーロン茶を置いておいた。
「今くらいは私も……」
「彼女は未成年?」
「そうです」
「じゃあダメですね」
川島さんにまだ理性が残っていて助かった。ここで玲にも勧められたら、さすがに止められない。
「一ノ瀬さん。あなたの目、ハッタリで言っているんじゃないと感じました。土田さんが目を付けたあなたを、私も信じてみることにします」
そこへウェイターが一品目の料理を持って現れた。不満げだった玲の顔が、みるみる輝きを取り戻していく。
「
「先ほども言ったように、今日の支払いは土田さん持ちですから、好きなだけ食べてください。その代わり、あなたたちにはそれ相応の期待を背負ってもらいますからね」
俺たちはグラスを手に、力強く頷いた。ここでこの高級中華に手を付ければ、きっともう後戻りはできないのだろう。だが、例えどんなに困難な道であろうと、それが正しいと信じて進むのだ。望むべき場所へ、最短距離でひたすらに。
「それでは、私たちのこれからの未来に……」
川島さんが音頭を取った。
「乾杯!」
「いただきます!」
一人、空気を読めない者が紛れ込んでいたようだ。
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