第80話 決意の嘘

「いや、私がみんなと同じ額はさすがに受け取れないっしょ!」


 電車の中で今日の取り分の話をしていた時、みはるんは頑なにメンバーと同額をもらうことを拒んだ。ギャル風の見かけによらず、と言うのは既にみはるんには当てはまらないかもしれないが、謙虚な考えを持っているようだ。

 結局、俺たちはメンバー四人が8万円ずつ、みはるんが残りの2万7,400円を受け取ることになった。これでもみはるんは受け取りを渋ったが、細かい金額を分けるのが面倒だからと、半ば無理やり握らせた。


「じゃあ、このお金で京くんに何かプレゼント買ってあげるね」


「みはるん……」


「はいそこー。家でやってくださいねー」


 もうこのやり取りも鉄板になりつつあった。俺も琴さんも、玲も、ふたりの関係を鬱陶しくも微笑ましく感じていた。と思う。


「そういえば、土田さんにはなんてメッセージ送ろうか」


「それな。最初のメッセージ、めっちゃ重要じゃね? そこで俺らの将来性が見極められたりして」


「そんなんで切られるんやったら、さっきの会話で見切られとるやろ。普通に『今日はありがとうございました。詳しいお話をしたいので、今度ご都合の良い時にお時間をいただけないでしょうか』とか送っといたらええんとちゃう」


「おぉ……琴さんさすが、大人って感じでかっこいいです」


「玲ちゃんも仕事のメールの打ち方とか、今のうちに覚えとかんとこのボンクラたちと同じようになってまうから気を付けや」


「ボンクラって……」


 大学の最寄り駅に着いた時には既に日付が変わる直前。真っ先に電車を飛び降りた玲は、何だかやたらとテンションが高かった。


「よーっし、今日は飲むぞー!」


「いやいや、未成年は飲んだらダメだって」


「何や朔、お堅いこと言うて」


「そうですよ朔さん、お堅いですよ。それに、サワーとかにするので大丈夫です」


「それ全然大丈夫じゃないから!」


「え~」


「ダメったらだーめ」


「わかりました」


 玲は不満そうに頬を膨らませている。絶対にわかっていない。俺は、今日は注意しなければいけないと気を引き締めた。せっかくバンドの先が見えてきたというのに、未成年飲酒で活動自粛なんて、それこそ絶好の炎上案件じゃないか。


「らっしゃあせーえッ!」


 誰もが憂鬱になる日曜日の深夜だと言うのに、居酒屋の店員は変わらず威勢の良い挨拶で俺たちを迎えてくれた。そのテンションとは正反対に店内は閑散としていたが。


「とりあえずビールで」


「俺も」


「ウチも」


「私レモンサワー」


「ウーロンハ……」


「玲……?」


「……茶をお願いします」


「ビールさん! レモンサワーにウーロン! はい、よろこんでぇーエッ!」


 やかましい。と言いたい気持ちを抑え込んだ。


 正直、俺はビールがあまり好きではない。だが、最初からカシスオレンジやカルーアミルクに逃げるのはどうにもダサい気がして、いつもとりあえずビールと言ってしまう。気心の知れたメンバーしかいないのに、誰に対してカッコつけているのかわからないが。


「そんじゃあ、今日はお疲れ様! かんぱーい!」


「かんぱーい!」


 ガチッとジョッキを合わせると、そこからはいつもと変わらぬ飲み会だ。玲は酒が飲めない分を取り返すように肉やら魚やらを食らい、琴さんは二杯目から日本酒に切り替える。チェーン居酒屋オリジナルの安い日本酒は、エグみが強いからイマイチだと文句を垂れるのもお決まりになっていた。


「ねぇねぇ、京くんほんとにメジャーデビューしちゃうの? 有名になったら可愛い女の子に言い寄られたりするんじゃないの?」


 いつも以上に甘ったるい声でみはるんが京太郎に甘えていた。どうやらだいぶ酔いが回っているみたいだ。


「心配すんなって。俺はいつだってみはるん一筋だからさ!」


「京くん……」


 まっすぐな瞳でそう答える京太郎と、それをうっとりと見つめるみはるん。夏合宿の時の京太郎の勇姿を語ってあげようかと思ったが、ギリギリのところで良心がそれを許さなかった。チキンな自分が憎らしい。


「まだメジャーデビューも何も決まっとらんけど」


「わかってますって。でもさ、そのくらい夢見たっていいと思いません? なんせシルバー・ストーンのプロデューサーに目を付けられたんすから!」


「お前さっき『土田さんは信用できない』とか言ってたじゃん」


「え~、そんなこと言ったっけ?」


「ほんとにお前は調子いい奴だな……」


「京くんもcream eyesも、ロークレ以上に売れちゃったりして! そしたら私も週刊誌に狙われたりするのかな~。大注目のギタリストの恋人は、歌姫アシュリー・エバンズ似の美女! みたいな。やだもー、スッピンで外出れなくなっちゃう!」


「みはるんさん、スッピンで外出ることなんてあるんですか?」


「ちょっと玲ちゃん、それどういう意味~?」


「あ、ごめんなさい! ちょ、みはるんさん! ギブ! ギブです!」


 みはるんが仕掛けたチョークスリーパーに、玲はたまらずタップする。微笑ましい女子同士のスキンシップではない。ノリが完全に男子校じゃないか。


「あははは、あんたらホンマに仲ええなぁ」


「最初は色々あったけどね~」


「みはるんさんには色々相談に乗ってもらってますから」


「相談って、どんな?」


「さっくん、それは女の子同士の秘密だよ」


「へいへいそうですか」


 その後、琴さんに付き合って調子よくサワーや甘いカクテルを注文していたみはるんは、飲み会開始からわずか一時間ほどで動かなくなってしまった。もともとあまりアルコールに強くはないらしい。


「う~、気持ち悪い……」


「みはるん大丈夫?」


「ちょっとダメかも……」


「マジでか」


「京太郎、みはるん家に連れてってあげられる? ウチらはもうちょい飲んでから出よう思うけど」


「そっすね。ここで粗相してもアレだし」


 京太郎はぐったりとしたみはるんの肩を叩く。


「歩けそう?」


「……うん、何とか……」


 水を一口飲んだ後、京太郎の肩をかりながらフラフラと立ち上がったみはるんは、申し訳なさそうに頭を下げた。


「せっかくの打ち上げだったのに、何かすいません」


「別にいいって。今日も色々ありがとね」


「お金そこに置いとくから。それじゃ俺らは先に失礼させてもらうわ」


「お疲れさまでした」


「気いつけて帰りや」


 ふたりが店を出て行くのを見送った後、俺はテーブルに残っていた枝豆に手を伸ばした。


「まぁ、あんなペースで飲んでたら気持ち悪くもなりますわ」


「ほんならこっからは朔に相手してもらおか」


「ひいぃ」


「私も早く飲めるようになりたいなぁ」


「そういえば、真菜ちゃんには何時ごろ家に行くって言ってあるの? 玲もあんまり遅くなるとマズいんじゃない?」


「え? あ、あぁそれなら大丈夫です。真菜ちゃん、今日は徹夜するって言ってましたから」


「徹夜? なんでまた」


「えっと……何か今日中にクリアしなきゃいけないクエスト? があるって言ってました」


「真菜ちゃん、ゲーマーだったのか……」


 あんなおっとりした雰囲気のふかふか女子が、家では暴言を吐きながらネットゲームをやっていたりするんだろうか。想像するとちょっと笑えて来た。


「私ちょっとおトイレ行ってきます」


 玲が席を立つと、何故か琴さんは荷物をまとめ始めた。


「さてと……」


「あれ、琴さんどうしたんですか?」


「実は明日早い時間からバイト入っとったのを思い出してなぁ」


「マジですか」


「悪いけど、お会計頼むわ。あと、玲ちゃんのこと真菜ちゃんの家まで送ったってな。日曜の夜とはいえ、女の子をこんな時間にひとりで歩かせるわけにはいかんやろ」


「それを言うなら琴さんだって……」


「阿呆、ウチを誰やと思うてんの。変質者が出てきたら、股座またぐら蹴り上げたるわ」


 この人なら本当にやりそうだ。変質者さん逃げて!


「まぁウチの家はここのすぐ近くやから。ほな、後はよろしゅう」


「え、もう行くんすか? せめて玲が戻ってきてからでも……」


「はよ帰ってメイク落とさなあかんの。ウチのバイト、肌が荒れてたりするとうるさいんよ」


「そういうもんですか」


「そういうもんや。ほな、またね」


 そう言って琴さんはそそくさと店を出て行った。割り勘より少し多めのお金を残して。


「あれ、琴さんどうしたんですか?」


 トイレから戻ってきた玲が先ほどの俺と一言一句違わぬ言葉を口にしたので、俺は思わず笑ってしまった。


「明日朝からバイトあるの思い出したって言って帰っちゃった」


「モデルさんも大変なんですね」


 この時、俺はあまり驚きもしない玲に少し違和感を覚えた。


「俺らも出ようか。もう遅いし、真菜ちゃんも玲が来るの遅いと心配するかもしれないし」


「そうですね」


「ところで、真菜ちゃんの家ってどのあたりなの? ひとりだと危ないから送っていくよ」


「えっと、隣の駅から歩いて10分くらいのところですね」


「遠いな! こっからだと歩いて30分はかかるじゃん」


「あはは。いっぱい食べたんで、食後の運動にはちょうどいい感じだと思います」


「マジか~」


 琴さんにも送るように言われたし、夜道を玲一人に30分も歩かせるわけにはいかない。でも、ライブ後の疲労感とアルコールの入った体で徒歩30分はなかなにキツいように感じられた。それに俺はそこまで食べていない。


「玲さ、一回俺の家に寄ってもいい? 行く道の途中だし。荷物置いて、チャリンコ出すから」


「もちろん良いですよ。あ、でも自転車はマズいんじゃないですか? 飲酒運転、ダメ絶対」


「あ、そうか。それじゃ、荷物置くだけでいいや」


 会計時も大声の店長に見送られながら、俺たちは居酒屋を後にする。俺の家はここから歩いて5分もかからない場所にあるので、すぐに到着した。


「朔さん」


「ん?」


「私、朔さんに謝らなきゃいけないことがあるんです」


「謝る? 何を?」


「嘘をついてたことを」


 アパートの前で、玲は話し始めた。街灯の光で陰になったその顔が、どんな表情なのかは読み取れなかった。


 だが、俺はこの展開を予感していた。だって、あまりにもここまでの流れができすぎてるじゃないか。決定的だったのは、琴さんが急に帰ると言い出した時。もしものケースとして、先延ばしにしていた答えが出ないままに、予感だけはしていたのだ。


「嘘って……どんな」


「私、真菜ちゃんに連絡なんかしてないんです」

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