第79話 天才を殺した男

 土田つちだ 雅哉まさやという人物についてネットで調べてみると、嫌でも目に飛びこんでくるワードがある。それは「天才を殺した男」という蔑称だ。


 Rolling Cradleの中心人物であり、天才と呼ばれたボーカル&ギターの進藤 アキラの自殺は、今でもその真相が明らかになっていない。遺書の類が見つかっておらず、音楽活動も順風満帆だったため、動機が不明だからだ。


 だが、大衆の見解はこうだ。


 繊細で芸術家肌の新藤は、商業主義の土田によってその才能を食いつぶされ、音楽業界に絶望して自ら命を絶ったのだ、と。何の根拠もない噂話である。実際、残されたRolling Cradleの元メンバーたちは、雑誌のインタビューでその噂をはっきりと否定している。

 だが、真実が明らかにされない中、ファン達は天才を失った原因をどこかに求めなければ、誰かに矛先を向けなければ、心のやり場が無かったのかもしれない。土田氏本人が噂をはっきりと否定していないことも、それを助長しているように思える。


 そんな悪評が立ったためか、それまで数多くのミュージシャンを手掛けていた土田という人物の名前は、事件以降ぱったりと世に出てくることが無くなってしまった。


「何かすげー経歴」


「今でもネット上じゃ戦犯扱いですね。自殺報道の直後は、この人がプロデュースしたアーティストの不買運動まで起こったってウィキに書いてあります」


「ただの噂話がそこまでいくのか……って言うか、不買運動くらったアーティストは完全にとばっちりだな」


「自殺報道はウチも嫌っちゅーほど目にしたけど、そんなことが起きてたんは知らんかったわ」


 事実かどうかもわからない物事に正義感を振りかざして攻撃する、そんな匿名の恐ろしさは5年前から変わらないようだ。


「なんでそんな人がここにいたんだろう」


「ネットで話題になってる俺らを偵察に来た、とかかな」


「なんかそんな感じではなかった気がしますけど……」


「せやなぁ。彼女を待たせたら~とか言うとったし。何かのついでに見に来たって感じやろな」


「でも名刺くれたってことは、少しは俺らのこと気に入ってくれたってことですよね。シルバー・ストーンのプロデューサーとか、繋がり持てるなら最高の相手じゃないっすか」


「うーん、本当にそうか?」


 京太郎は怪訝けげんな表情を浮かべていた。


「確かにシルバー・ストーンは大手だし、バンドで行くなら一番良いとこだと思うよ。でも、この土田さんって人は信用できんのかな? ロークレの噂だって、火の無いところに何とやらって言うじゃん」


「まぁ、そうかもしれないけどさ」


「いきなりやってきて『どんなバンドが良いバンドだと思うか』なんて、何か変人っぽいよ。この人が本当に商業主義でやってるなら、ネットでちょっとバズった俺たちを使い捨てるつもりで声を掛けたのかもしれないし」


 珍しく京太郎が慎重だ。確かに、俺たちを一時の勢いに任せて押し出そうとしているのなら、将来を預けることはできないという意見には同意できる。だが、


「だからって、こんな機会をみすみす逃す手は無いだろ? 大手メジャーレーベルのプロデューサーと接触できる機会なんて、今後あるかわからないんだから」


「きっと土田さんはギョーカイ人なんですよ。だから、きっと普通の人とは感覚が違うんだと思います。それに、噂だけで人を判断するのは良くないですよ」


「玲ちゃんが言うとなんか説得力があるな」


「それわかる」


 玲はこれまでも、初対面の年上男性に対して的確な評価を下していた。エディ然り、シンタローさん然り。先入観に捕らわれない見る目があるのだと思う。


「まぁ、なんにせよ話を聞いてみるのがええんとちゃうの。せっかく連絡先ももろたんやし。そもそも、どういうつもりでウチらに声かけたんかもまだわからんしなぁ」


「そうですね。今度どこかで話をさせてもらえないか、メッセージを送ってみます」


「よろしゅう」


 話がひと段落したところに、ライブハウスのスタッフがやってきた。


「遅くなってすいません。清算、いいですか?」


「あ、了解です」


 俺たちがスタッフルームに入ると、そこにはにやけた斎藤さんが待ち構えていた。


「お疲れ様。今日のライブについては後で話すとして……君たち、ひとつ大事なことを忘れてやしないかい?」


 そう言って、斎藤さんは分厚い封筒を差し出した。


「はい、今日はcream eyesを見に来たお客さんが213人。そこからノルマ分の20枚を引いて、君たちの売り上げは193人分だね」


 このことが頭から抜け落ちていた俺たちは、斎藤さんの言葉を理解するのに幾ばくかの時間を要した。そうだった。俺たちは、この事実にもっと喜んでもいいはずだったんだ。


「ひゃくきゅうじゅうさんにんかけるせんはっぴゃくえん」


「あら~、京太郎くん算数できるの? 偉いね~。答えもわかるかな?」


「28万5,400円!」


「はい馬鹿~。じゃあ次、玲ちゃん……ってスマホ使うの禁止!」


 斎藤さんの制止よりも、玲がスマートホンを操作するスピードが勝っていた。193人×チケット代1,800円の答えは……


「えっと、34万7,400円……ってえぇ! すごい大金!」


「何言ってんの。正当な対価だよ。え? いらない? そんじゃこのお金、私がもらってもいい? ラッキー!」


「ええわけないやん」


「琴ちゃん、素のツッコミ辛いからやめてくれる?」


 飾り気のない茶色い封筒の中を覗くと、テレビドラマでしか見たことのないような大金が詰まっていた。


「ふおぉおおおお!!」


 手が震える。今までは、ライブハウスにお金を払ってライブをのが当たり前だったからだ。過去にも収益がプラスになることはあったが、その額は微々たるもので、せいぜい打ち上げ費用の足しにされるのが精いっぱいであった。

 だが今回は、単純にみはるんを含めた五人で割っても、一人当たり7万円近くの収益を得ることができる。これは、俺が週4日でシフトに入った月のバイト代に匹敵する。


「これだけあれば……」


 お金とは、欲望を叶える力だ。


「新しい音源やグッズが作れる!」


「焼肉食べ放題……」


「マルジェラの新作バッグ買えるやん」


「気になるエフェクターがあったんだよ」


「……」


 バンドメンバーがお互いに顔を見合わせる中、斎藤さんがやれやれと言った風に割って入ってきた。


「まぁ皆で好きに使えばいいんじゃない? ただ、ひとりで売り上げを総取りしようとしてる人がいるから気を付けてね」


「誰のことを言うてんのか、さっぱりわからんなぁ」


 語るに落ちるとはこのことか。


「さて、ライブの話だけど……」


 斎藤さんがライブを振り返って俺たちにくれたアドバイスはみっつ。


 ひとつ目は、何かグッズを作ること。CDでもバンドTシャツでもタオルでも何でも良いから、ライブを見てバンドを気に入ってくれたお客さんが手元に残せるグッズが必要だと言う。物販スペースでの交流にも役立つし、手元に何も残らないとお客さんの印象にも残りにくいからだそうだ。

 ふたつ目は、東京以外の地域でライブをすること。今日これだけのお客さんが来てくれたのは、ひとえにネットで話題になったからだ。だが、ネットで情報を見た人の中には東京まで足を運べない人もいる。話題の熱が冷めてしまう前に、より多くの人に自分たちをアピールするべきだとのこと。地方のライブハウスにはSILVETが懇意にしているところにブッキングしてくれるそうだ。

 みっつ目は、自主企画でワンマン、もしくはツーマンライブをすること。ツアーファイナルは、やはりただのブッキングでは特別感が出ない。それに、ワンマンライブやツーマンライブで会場を満員にできれば、バンドにも箔が付く。できればそのタイミングで新作音源の発表なんかがあるとより良いだろうとのこと。


「演奏自体は、もう私から言うことはあんまり無い感じかな。もともと演奏のクオリティは悪くなかったし、ライブ後の対応もだいぶ良くなってたから。初めてのライブの時からは見違えたね。成長が見られてお姉さんは嬉しいよ……ま、一言目でお客さんに喧嘩売った時はヒヤヒヤしたけどさ」


「あれは……朔さんが『媚びを売るなら喧嘩を売ろう』って言ってたので」


「え? 俺のせい?」


「あはは。まぁしがらみのないインディーズバンドなんて、そんくらい生意気な方が丁度いいよ。優等生のロックなんてつまんないもん。でも、君たちはまだまだペーペーの駆け出しだってこと、忘れちゃだめだよ」


「そうですね。忠告ありがとうございます」


 この先を案じて、調子に乗るなと釘を刺してくれる人は貴重だ。俺たちみたいな注目のされ方をしたバンドには、便乗しようと擦り寄ってくるか、叩き潰しに来るかのどちらかの人間が多い。斎藤さんは、今でも俺たちにフラットに接してくれている。それがとてもありがたかった。


「それにしても全国ツアーか~。俺らも本格的に売れっ子になってきた感じがするなぁ」


「阿呆。ツアーなんて中堅バンドなら珍しくもなんともないわ。そこで何を残せるかが勝負やん」


「何言ってんすか琴さん。cream eyesなら余裕ですよ。何を残すかって? そんなん『爪痕つめあと』に決まってるじゃないっすか……へへッ」


「うわぁ……」


「きっとみはるんさんなら『京くんかっこいい!』って言ってくれると思いますよ」


「玲ちゃんちょっと辛辣過ぎない?」


「あはははは」


 清算を終えてフロアに戻ると、時刻はもう23時に近かった。


「この後打ち上げとか行きます? ちょっと遅くなっちゃいましたけど」


「行くなら一旦大学の方に戻りたいわ。終電なくすんは面倒やし」


「俺もそれに賛成。みはるんもそれで良いよね?」


「京くんがいるならどこでもオッケーだよ」


「玲はどうする? ってかまだ終電ある?」


「私も打ち上げ行きたいです。宿は真菜ちゃんの家に泊まらせてもらおうかなって」


「うし、そんじゃ一旦戻りますか」


 こうして、俺たちは一度大学の最寄り駅まで戻ることになった。解決しなければならない問題がもうひとつあることに、誰もが気づかないふりをして。

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