第65話 バズる
合宿三日目。
俺は宿に戻ってすぐに玲と琴さんを呼び出し、京太郎を叩き起こした。
「ふわぁ。なんだよ朔……俺は朝メシいらねーから、寝かしといてくれよ」
「朔さんも見たんですね」
「玲はもう確認済みか」
「二人とも怖い顔して、どないしたん」
俺は京太郎に、玲は琴さんにそれぞれSNSでのtaku氏の投稿画面を見せた。
「シェア数6,327……って、めちゃくちゃ増えてんじゃん! すげー」
さっき見た時よりも100件ばかり増えている。ものすごい勢いだ。
「これどうなんだろう。放っておいていいのかなって」
「変な風に広まってなければ良いんですけど……バンドのアカウントの方も、フレンド申請が1000件以上来ちゃってちょっと追いきれなくなってきました」
「ちょっと待って、俺も自分のアカウントから見てみるわ。どれどれ~」
京太郎は自分のスマートホンを素早く指でなぞった。
「今のところ好意的なコメントばっかり……ん?」
「京太郎、何か見つけたんか?」
「あ~……これはちょっとマズいかもっすね」
三人で京太郎のスマートホンを覗き込む。
「こいつK大の玉本 玲じゃん。カラオケの部屋にいきなり入ってきた男たちの誘いにホイホイ着いてくクソビッチ」
「K大か。あそこチャラい奴多いし納得」
「は? 俺の天使がビッチとかふざけたこと言ってっと○すぞ」
「ビッチとか俺得なんだけど」
「今からカラオケ乱入してくる」
「ってゆーか全然可愛くなくない? 実物見たら絶対ブス」
「嫉妬乙」
100件を超えるtaku氏の投稿のコメント欄で、こんな書き込みがされていた。
「何か一部が荒れてんなぁ……ってゆーか、このビッチとか言ってんの、
「ひでぇなこれ……しかも個人情報まで出てるし。学校名とか名前は隠してるわけじゃないけど……って、玲、どうした!?」
ふと玲を見ると、胸を押さえて息苦しそうにしている。
「はぁッ……はぁッ……」
「お、おい! 大丈夫か!?」
玲はその場に膝をつき、倒れこんでしまった。
「玲! どうしたんだよ!」
「京太郎、急いで紙袋かビニール袋持ってきて!」
「は? 何でこんな時に?」
「ええから、はよ持ってこんか!」
「わ、わかりました!」
「玲! 玲ッ!」
騒ぎを聞きつけて、俺たちのいた休憩スペースに人が集まってきた。
「何? どうしたの?」
「玲ちゃん倒れてんじゃん! 大丈夫なの!?」
「ちょっと通して! どいてどいて!」
人込みを掻き分けて、ビニール袋を片手に持った京太郎が戻ってくる。
「これでいいっすか?」
「あぁ。ようやった」
琴さんは京太郎からビニール袋を受け取ると、それを玲の口元に被せた。
「玲ちゃん、落ち着いて。長~く息を吐いて、ゆっくり呼吸するんや」
「はッ……ハッ……」
玲の呼吸は先ほどよりも浅く早く、そして苦しそうだ。俺は何が起きたのかわからず、ただ琴さんの処置を見守ることしかできなかった。このまま玲が死んでしまうのではないかと思い、体中から血の気が引いていくのを感じた。
「玲……どうしたんだよ……」
「あんたも落ち着き。大丈夫やから」
「はぁ……すぅ……はぁぁ」
琴さんの言う通り、しばらくすると玲の呼吸は少しずつ落ち着いてきた。
「はぁ、はぁ……すい……ません……」
「玲ちゃん、謝らなくてええから。今はゆっくり息をして」
「はい……」
玲はうなずくと、またゆっくりと深呼吸を始めた。その時点で、口を覆っていたビニール袋は外された。
「ちょっと真菜ちゃん」
「は、はい!」
琴さんに呼ばれて、玲と同部屋である一年生の真菜ちゃんがやってきた。
「悪いんやけど、玲ちゃんを部屋まで連れてって、休ませてあげてくれる?」
「わ、わかりました」
「あ、あと玲ちゃんのスマホはちょっと預からせてもらうから」
「スマホですか? は、はい。わかりました」
「玲ちゃん、立てる?」
「……はい、何とか」
「大丈夫なのか? 玲」
「すいません。ちょっと休めば大丈夫だと思います」
玲は真菜ちゃんの肩を借りて、自分の部屋へと戻っていった。
「琴さん、玲ちゃんに何があったんすか? 病院とか行かなくて平気なんすか?」
「過呼吸やろうな。落ち着いたんなら病院は行かんでもええと思うよ」
「なんでいきなり……」
「多分さっきの書き込みを見たせいやろなぁ。自分に対する純度100%の悪意に触れてもうたら、玲ちゃんやなくても具合ワルなるわ」
「何だよそれ……」
SNS上に流れる汚い言葉たち。「クソビッチ」なんて言葉で罵っていた奴は、一体どんな顔をしてそれを書き込んだのか。どうせ、ただ単に自分たちのグループから玲が抜けたのが気に食わなかっただけなんだろう。もう書き込みのことなんか忘れているかもしれない。
許せない。
何の根拠も無い暴言を、安全地帯から放り込んできやがって。何で玲が苦しまなきゃいけないんだ。あいつが何をしたって言うんだ。
絶対に許せない。
くそが、くそが! くそが!!!! ぶっこ……
「……く。おい朔!!」
京太郎に肩を揺すられて、我に返る。周りを囲んでいたサラダボウルの会員たちは、いつのまに散り散りになっていた。
「お前までそんなんでどうすんだよ。今にも人を殺しそうな顔してたぞ」
「朔、気持ちはわかるけど、まずは落ち着き」
「…………すみません」
深呼吸で気持ちを落ち着かせる。ピークは過ぎたように思うが、それでも怒りの感情が湧き上がって止まらない。拳を強く握りこんでいないと、何かを手当たり次第に殴ってしまいそうだ。
「一応他には変な書き込みはないみたい。今のところ」
「これだけ拡散されたら、アンチの一人も沸いて来るもんや。いちいち気にしてたら埒が明かんわ」
「だからって……許せないっすよ」
「そんなん当たり前や。でもな、朔。ネットでのこういう書き込みは、止めることなんてできんねん。玲ちゃんもショックやったと思うけど、乗り越えなきゃあかん。もしウチらがメジャーデビューでもしたら、こんな内容の声を聞く機会は今とは比べもんにならんのやから」
「そうかもしれないですけど……琴さんは悔しくないんですか? 玲はただ頑張ってるだけなのに、こんな酷いこと書かれて」
「阿呆か、そんなん悔しいに決まっとるやろ! できるんなら書き込みした奴をしばき倒しに行きたい気分や。せやけど、そんなことしても何にもならんやろ。第一、そんなくだらん奴らいちいち相手することこそ阿呆らしいと思わん?」
琴さんの言っていることは理解できる。それが正しいということも。でも、心のモヤが晴れない。
「朔が怒るのは当然だよ。俺だってムカついてる。その気持ちを押さえつける必要は無いと、俺は思う。でも、ぶつける相手はこいつらじゃないとも思うんだ」
京太郎は穏やかな口調で言った。
「朔言ってたじゃん。プロを目指そうって。こういう怒りの感情も、音楽で表現しちまうのがプロなんじゃないかな。それに、ロックってそういうもんじゃん?」
「怒りを音楽で表現……」
「玲ちゃんはショックだったと思う。名指しで酷いこと言われたんだから。だから今こういう言い方は良くないのかもしれないけど、この状況ってチャンスだとも思うんだよ」
「せやな。形はどうあれ、cream eyesの名前はそれなりに広まったんやから。ほら、これ見てみ」
琴さんが見せてきたのは、SILVETの斎藤さんからのメッセージだった。
「次のライブのチケット何故か完売したんだけど! ただのブッキングライブなのに、琴ちゃん何か知ってる?」
ブッキング担当が「ただのブッキングライブ」と言ってしまうのはどうかと思ったが、無名のバンドが集まるライブで、チケット完売という事態はそうそう無いのだろう。
「おぉ、すげー!」
「まぁ、多分この日のライブに集まるんは、うちらの音楽になんか興味無い奴らがほとんどやろうけどな」
「そんなの」
「そんなんお客さんやない、とでも言うつもり? そもそも普段のライブからして、うちらの音楽に興味持って来てくれてる人がどんだけおんねん。最近増えてきてるとは思うけど、せいぜい10人か、多くて20人やろ。あとはうちらのお客さんやない人ばっかやん。SILVETのキャパは200人。それが完売したんや。今はうちらの音楽に興味無くても、一度に200人の前で
「……」
「まぁ、今すぐ気持ちを整理しろって言っても無理かもな。とりあえず飯食って、落ち着いたら玲ちゃんのとこにお見舞いに行こう。コンビニでアイスでも買ってさ」
俺には、何が正しいのかがわからなくなっていた。
有名になればアンチが出てくる。それはわかる。
SNSでの投稿が拡散されて、知名度が高まった今はチャンスでもある。それもわかる。
でも、それでも、それが玲を傷つけて良い理由にはならない気がした。京太郎も琴さんも、何であんな風に切り替えられるのだろう。こんな風にいつまでも怒りを抑えられない俺が間違っているのだろうか。
朝食に出されたクロワッサンは、少しも喉を通らなかった。
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