第64話 晩夏の夜の夢
その日の夜、cream eyesのメンバーが集まったスタジオで、玲は興奮気味にまたスマートホンの画面を見せてきた。
「これ見てください!」
「今度は何?」
そこに表示されていたのは、先ほどのtaku氏の投稿だった。
「さっきのやつじゃん。これがどうかしたの?」
「これのシェア数を見てください~!」
「シェア数……ええっと……ご、537!?」
「そうなんです! すごくないですか? takuさんの他の投稿見ても、シェア数って多くて30件くらいなんですよ。でも私たちの写真の投稿はめっちゃ伸びてるんです!」
「マジだすごい!」
「うわーすげぇなtakuさん! やばいドキドキしてきた。これ、俺ら有名人になっちゃうんじゃない? マジでモテちゃうんじゃない?」
「……大丈夫なん?」
3人が浮かれている中、琴さんは珍しく不安そうな表情を浮かべていた。
「大丈夫って、何がです?」
「ウチはSNSやらんからようわからんのやけど、最近よく聞く炎上ってやつちゃうん?」
「いやいや琴さん、シェア数が多い
taku氏の投稿には10件ほどのコメントがついており、その全てが「すごく良い写真!」とか「女の子かわいい! 今度ライブ見に行こうかな」等の好意的なものだ。炎上しているという心配は無いだろう。
「そもそも炎上するような内容じゃないっすからね」
「……まぁ、それならええんやけど」
「よっしゃー気合入ってきた! 玲、さっそくさっき言ってたフレーズを聞かせてよ」
「あ、はい! えっと……」
玲は椅子に座ってギターを鳴らした。シンプルだが爽やかで夏らしい曲で、今までの曲とは違うポップさがある。ギターに合わせて聴こえてくる玲の鼻歌も小気味良く、とても耳障りの良い曲だ。
「お~、良い感じじゃん」
「本当ですか? よかった~。自分で作った曲をメンバーに披露するのって、何だかめちゃくちゃ緊張しますね」
「それわかる。ボツにされたらどうしようとか、変な気使われたらどうしようとか思うよね」
「それです! ようやく師匠や朔さんの気持ちがわかりました」
「夏に作った曲、って感じがええねぇ。あ、お世辞ちゃうよ? ほんなら、今日はその曲中心にやってこか」
「了解っす!」
他のバンドの練習が入っていなかった1時間を使って、玲が作った曲の大枠ができあがった。まだ歌詞は無く、summer memoryを略した「サマメモ」という少し恥ずかしい仮タイトルがつけられた。
そしてその夜、21時にサラダボウルの会員たちは宿の駐車場に集まっていた。
「はーい、それじゃあ今からペアを組んでもらうんで、一人ずつクジを引いてくださーい」
ケンさんが皆に呼びかける。この日は肝試しが企画されていたのだ。海から逆側に15分ほど歩いたところに山道があり、そこに少し入ると廃墟がある。ちなみに、ケンさんが中に入るために土地の管理者に許可を取ったらしい。さすがだ。
「廃墟の中にこの光るピックが置いてあるので、それを取ったらクリアです」
「はぁ。まさかこの年になって肝試しをやらされるとはなぁ」
クジ引きの結果、俺のペアは琴さんになった。だが、心底ダルそうに溜め息をついている。
「琴さん、もしかしてお化け苦手なんですか?」
「阿呆、ウチを誰やと思うてんの」
「そうですよね。琴さん、お化け怖がるようなキャラじゃないですもんね」
「なんや朔、知らんのか」
「え?」
「ウチの実家お寺やから。坊主の娘が化生を怖がっとったらあかんやろ」
「え、琴さん
「
寺社仏閣にまるで興味の無い俺には名前を聞いてもピンと来なかったので、とりあえず手元のスマートホンで検索をかけてみた。そして腰を抜かしそうになった。
「うわ、めちゃくちゃデカいお寺じゃないっすか! えーっと、ケンリツは承平4年……っていつですか?」
「
「千年以上前!?」
「由緒正しきお寺なんやで」
「へ~、知らなかった……じゃあ琴さんはそこの巫女さんだったんですか?」
「朔、あんた寺と神社の区別もつかんのか……」
「へ?」
「もうええわ。はよ行ってさっさと終わらせるで」
そう言って琴さんは俺の手を引いてズンズンと進んで行った。肝試しやお化け屋敷の醍醐味と言えば、怖がる女子に抱き着かれるなどのお色気ハプニングだが、この様子では期待できそうにない。
だが、真っ暗な山道の入り口に着くと、琴さんは急に歩みを止めた。
「朔、先行って」
「え、何でですか?」
「ええから」
言われるがままに前に立って階段を登ると、ほどなくして廃墟が見えてきた。
「けっこう雰囲気ありますね……」
ぼろぼろの壁に割れたガラス。当然中は真っ暗で、手にした懐中電灯以外の光源は無い。用意された会場とはいえ、廃墟とはやはり気味が悪いものだ。
「あれ、琴さん?」
中に入ろうとしたところで、琴さんがいないことに気が付いた。振り返ると、まだ山道のところに立っている。
「何してるんですか~? 早くクリアしちゃいましょうよ~」
「そんな汚いところやっぱ入りたないわ。足疲れたし。割れたガラスとか落ちてて危ないし。ほら、ウチサンダルやから。朔、さっさと行ってピック取ってきて」
「琴さん……?」
廃墟のある敷地に一歩も入ってこない琴さんを見て、さすがに確信した。そして、またとないチャンスに恐怖とは違う感情でゾクゾクと身体が震えた。
「いやいや、そんな不正はダメですって。自分が先に行きますし、足元照らしながら行けばそんな危なくないですから」
「嫌や」
「琴さん」
「嫌や」
「やっぱ怖いんですよね?」
「嫌や」
傷のついたCDのように同じフレーズを繰り返す琴さんがなんだか面白くて、俺の嗜虐心は限界までくすぐられていた。
「ほら、行きますよ」
「いーやーやー!」
腕をつかんで無理矢理連れて行こうとすると、小さい子供の様に暴れ始めた。俺はもう笑いが止まらなかった。
「あっはははは! 琴さんめっちゃ怖がってるじゃないすか! お寺の娘さんなのに~」
「うっさい! 怖ないわ! 足が痛いの!」
「じゃあここで待ってますか? 懐中電灯はひとつしかないですから、真っ暗な中で待ってもらうことになりますけど」
「……」
「どうします?」
「……」
「まぁ、ぶっちゃけ俺はどっちでも良いんですけど」
「……一緒に行く」
「よし、じゃあ決まりですね」
琴さんは俺のシャツの裾を思いっきり引っ張りながらついてきた。本当に小さい子供を連れているような気分になる。シャツが伸びないかと思ったが、当初期待していなかった肝試しの醍醐味をこんな形で味わえるとは、俺は幸運だと思った。そして何より、怖がる琴さんは可愛かったのだ。
「えっと、ピックがあるのは奥の居間ですよね」
「知らんて。ほんまはよ終わらせよ? な?」
「俺もそのつもり……」
その時、ガシャンという何かが割れるような大きな音が廃墟に響いた。
「おわぁああ!!」
「きゃあああああ!!!!」
二人して大絶叫。そしてその場に固まってしまった。
「ね……ネズミでもいたんですかね」
「知らん知らん知らん知らん! も~~~嫌やぁ! 帰る!」
琴さんは両手で俺のシャツの裾を掴んで、上下に激しく引っ張り始めた。
「ちょっと琴さん! シャツ伸びるから!」
「嫌やぁ! 帰る~! 帰るの~!」
完全にパニック状態だ。暗くてよく見えなかったが、琴さんは今にも泣き出しそうな顔をしていた。いや、もしかしたら泣いていたのかもしれない。俺はひとまず琴さんを落ち着かせなければと思い、両肩に手を置いてゆっくりと語り掛けた。
「琴さん、落ち着いて聞いてくださいね。今すぐ帰っても良いんですけど、そうしたら俺らは肝試しも満足にクリアできないヘタレの烙印を押されます。俺はそれでも良いですけど……いや、覗き魔にヘタレの称号まで加わるのはちょっとアレですが……琴さんは嫌ですよね?」
「……うん」
「じゃあもう少しだけ頑張りましょう。大丈夫。すぐ終わりますから。目つぶって、俺にくっついて歩けば怖く無いでしょ?」
「……わかった」
琴さんは消え入りそうなか細い声で返事をすると、目をギュッとつぶって俺の背中にくっついてきた。正直めちゃくちゃ歩きづらい。でも、とても良い匂いがした。
「はよ終わらせてな」
「わかってます」
改めて進行方向に懐中電灯を向けると、居間と思われる部屋はすぐそこだった。考えてみれば当然だ。ゲームに出てくるダンジョンでもあるまいに、廃墟とはいえ元々はただの平屋。玄関から居間までの距離なんて、普通に歩けば10秒もかからない。
散らかった部屋の真ん中に小さな台が置いてあり、ケンさんの言っていた光るピックはすぐに見つけることができた。
「琴さん、ピックありましたよ」
「ほんまに? ほんならはよ帰ろ」
琴さんは背中にくっついたまま、ぐいぐいと体を押してくる。背中に感じる控えめだが柔らかな感触を、こっそりと堪能していたことは言うまでもないだろう。
廃墟の敷地から外に出ると、琴さんはパッと体を離した。そして急ぎ足で山道を降りていく。
「……朔、今日のことは」
「わかってます。誰にも言いませんよ。ってか言っても誰も信じてくれないと思いますし」
舗装された道に戻ってきたところで、京太郎と奈々子さんのペアと対面した。
「おっつー琴っち&朔ちん。廃墟の具合はどうだった~?」
「お疲れさまです。いやぁ、けっこう雰囲気あって怖かったですよ。奈々子さんはこういうの平気なんですか?」
「あはは、奈々子は全然ヨユーだよ。でもさぁ、さっきから京ちゃんがさぁ」
奈々子さんの後ろに隠れる様に立っている京太郎の顔は、わかりやすく青ざめていた。こいつもか。
「朔はいいよな。ペアが琴さんなら怖いもんなんてねーだろ」
「まぁ、そうだな。おかげで無事クリアできたよ」
「なによー、京ちゃんは奈々子が相手じゃ不満なわけ?」
「あだだだだ」
奈々子さんの背中バンバン攻撃が京太郎に炸裂すると、隣にいた琴さんにようやく笑顔が戻ってきた。
「まぁ、ほどほどに頑張り。あぁ、足元にガラス散らばっとるから要注意やで」
「ご忠告どうも。ってあれ、琴っちなんか顔赤くない? 大丈夫?」
「……山道登るのがしんどくてなぁ。まぁ、ゆっくり歩いて戻れば大丈夫や」
「そう? 無理しないでね。朔ちんは琴っちが辛そうだったら肩を貸すように。あ、でもくれぐれも変な気は起こしちゃだめだかんね」
「わかってますよ」
そして、俺と琴さんは京太郎&奈々子さんペアと別れた。
「ん? そういえば琴っちは山道を降りて来たんだよね……?」
奈々子さんの声は聞こえないふりをして、再び宿に向かって歩き出す。来るときは気付かなかったが、街灯のほとんど無い田舎道の空には、どれが夏の大三角かわからないほどたくさんの星が瞬いていた。
「星がきれいですね」
「……朔、あんたその台詞の意味わかっとんのか?」
「意味?」
「はぁ。まぁええわ」
途中の自動販売機で、琴さんはお茶を買ってくれた。
「ありがとうね」
「良いもの見せてもらいました」
「……忘れて……」
琴さんは顔を覆ってうずくまった。思いがけず弱点を知ったわけだが、やはり自分だけの秘密に留めようと思うには十分ないじらしさだった。
翌朝、廃墟でのあの音がどうしても気になった俺は、再び現場に戻っていた。だが、あの時俺たちがいた玄関付近には、何かが割れたような形跡など一切見つけられなかった。
「誰かが片付けたのかな」
その後、ケンさんに肝試し後に誰か廃墟を片づけたのか聞いてみたが、そんなことは誰もしていないとの回答だった。
「マジか……」
沸き上がる恐怖を紛らわせるため、俺はスマートホンでSNSをチェックしてみた。だが、そこで見たものに度肝を抜かれ、曖昧な恐怖心などすぐに吹き飛んでしまった。
「シェア数……6,232!?」
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