第62話 夜に溶けて

 合宿初日の夜。この日は宿泊する宿が管理する屋外スペースでバーベキューが行われていた。皆楽しそうに肉を焼き、酒を飲んで騒いでいた。

 そんな中、俺と京太郎と秀司の三人は、「私は覗き魔です」と書かれた紙を貼られ、石畳の上に正座をさせられていた。それだけならまだしも、腕を体の後ろで組まされ、左右の親指を結束バンドで結ばれている。テロリストに拘束されたかのような状態だ。


「反省した?」


 晒し物にされた俺たちに語り掛けてきたのは奈々子さんだった。


「反省はしています。でも、後悔はしていません」


 俺は奈々子さんの目をまっすぐ見つめて返答した。


「あはは。ウケるんだけど。で、奈々子の水着姿を見てどう思ったの?」


「……すごく……大きかったです……」


「ん~? 大きかったって、何がかな~?」


 ニヤニヤしながら詰問してくる奈々子さんを見て確信した。この人、級のサディストだ。


「お……お、お……」


「お?」


「まぁまぁ、後輩をいじめるのもそのくらいにしときなって」


 俺たちに助け舟を出したのはケンさんだった。そして手に持っていた肉串を、正座三人衆の口へと突っ込んだ。


「フガフゴ。オイシイ……オイシイ……」


「いじめるって何よ。こっちは被害者なんだからね」


「別に奈々子は見られるのが嫌なわけじゃないだろ」


「そうだけどさ。それより賢一、あんたも何で簡単に三人に突破されてんのよ」


「いや、普通に三対一は無理だって」


 そんな会話をしながら、奈々子さんとケンさんはその場を去っていった。あんな仕打ちをした俺たちを気遣ってくれるなんて、その慈悲深き心に涙が出そうになる。ケンさん、あなたが会長で本当に良かったです。


 二人と入れ替わるように、男たちが集まってきた。


「で、どうだったんだ」


「誰が良かった?」


「写真は無いのかよ」


 下衆な奴らだ。俺たちが成果を得るためにどれだけの犠牲を払ったのか、今この状況を見ても理解できないのだろうか。甘い汁だけを吸おうなんて、虫が良いにも程がある。


「残念だがそんなもんは無い。あるのは俺たちに刻まれた記憶だけだ」


「なんだよ~。で、誰が良かった?」


「みんな良かったよ。最高だった」


「俺は真菜ちゃんがけっこう良い体してると思うんだけど、実際どうだったん」


「……その先は君たち自身の目で確かめてくれ!」


「昔の攻略本かよ! ケチだなぁ。京太郎はどうだったんだよ」


 女子の水着姿に貴賎なし。と、言いたいところだが、一瞬躊躇ってお茶を濁した。リスクを負った俺たちにタダ乗りされるのが気に食わなかった、というのももちろんあるのだが。


「師匠とシュウくんはともかく、朔さんがあそこにいたのはちょっと意外でした」


 男たちが京太郎と秀司に絡みに行ったとき、玲がススっと近づいてきた。とりあえず差し出された肉には食いついておく。


「誰の水着が見たかったんですか?」


「別に特定の誰かって訳じゃないけど」


「私の水着も見たんですか?」


「そりゃ、まぁ」


「どうでした?」


「どうって……可愛かった、けど」


 思ったより(主に胸のあたりが)着痩せするタイプだね。とは口が裂けても言えない。ましてや、玲の水着姿が一番興奮した、なんてなおさらである。


「えへへ、そうですか」


 玲は満足そうな顔をして、もと居たテーブルへと戻っていった。何だったんだ今のは。


 バーベキューが終わると、ようやく俺たちの拘束も解除された。考えてみれば、秀司は女子の水着を見ることができていないのに俺たちと同じ罰を受けていたのは不憫にも思えたが、あえて口には出さなかった。あえてね。

 既に宿の中で飲みなおす人、スタジオに入る人、部屋でゲーム大会をする人、大浴場に向かう人と、晩餐後の過ごし方は人それぞれだ。ちなみに、俺たち三人は大浴場への接近が禁止されてしまった。男湯と女湯は隣り合っているので、前科者である以上受け入れざるを得ないのだが、正直かなり残念だ。


「とりあえず一回部屋に戻るわ。さすがに疲れた」


「俺はこの後練習あるんでスタジオ行きます。朔さんはどうします?」


「秀司も掛け持ちしてたんだ。俺もこの後マリッカの練習でスタジオ行くよ」


「朔、マリッカやんの?」


「あぁ。一年生の間ではけっこう人気らしいぞ」


「お前あの女にあんなこと言われて、よくコピーなんてやる気になるなぁ」


 そう言えばマリッカの莉子に初めて会った時、「冴えないヤツ」と言われたことを思い出した。玲のことを「ちんちくりん」呼ばわりしたことも。あの時はたしかに腹が立ったが、その場で琴さんが制裁を加えてくれたためか、今ではもう憎むような気持ちは無くなっていた。


「そう言えばそんなこともあったなぁ」


「え、朔さんと京太郎さんって、マリッカのメンバーと知り合いなんすか?」


「いや、知り合いって程じゃないよ。ボーカルの子とギターのイケメンと、少し話をしたことがあるだけ……イケメンとはその後もまぁ、色々あったけど……」


「マジっすか!? 莉子ちゃんめっちゃ可愛いっすよね! 良いなぁ。どこで会えるんすか?」


 確かに莉子は可愛かった。姫子も秀司と同じようなことを言っていたことを思い出す。独特の雰囲気を持っているが、刺さる人にはたまらないのだろう。


「たまたま街で会っただけだから、どこで会えるかなんてわからないよ」


「そっすか~。俺も会いたいな~」


「性格キツそうだったけど」


「そこが良いんじゃないっすか!」


「お、おう。そうか」


 秀司や姫子の反応からいって、俺や京太郎が思っている以上にマリッカは人気があるようだ。


「とりあえず、練習行ってくるわ」


 俺たちはそこで別れ、それぞれの夜を過ごすことにした。


「いや~、マジでムズイなこれ」


 マリッカのコピーバンドは想像以上に苦戦していた。ベースはメンバーがサポートだからかそれほど複雑ではないのだが、とにかくドラムと併せるのが難しい。


「んあーッ! このドラム、どうやって手足二本ずつで叩いてんのか理解不能なんですけど! 腕がこんがらがってもう!」


「マリッカのドラムって元ロークレのジャンボらしいじゃん」


「え、そうなんすか?」


「あの人技巧派で有名だし、たしかオープンハンドだったよな。だから完コピしようとしなくて良いって。音数減らしても良いから、ノリ重視でやってこう」


「くっそー。でも了解っす」


 オープンハンドとは、主に左利きのドラマーが取り入れる奏法だ。通常は右手でハイハットを刻み、左手でスネアを鳴らすクロスハンドと呼ばれる奏法が一般的だが、オープンハンドの場合右手と左手が逆になる。オープンハンドとクロスハンドでは手の運びが異なるため、オープンハンドのフレーズをクロスハンドで叩くのは難しかったりするらしい。


「歌も難しいです……音の上げ下げが激しいし、息継ぎのタイミングをどこで取れば良いのかも……」


「多少ピッチ甘くても良いよ。このボーカルは雰囲気の方が大事だから」


「ギターも、なんかよくわかんないけどめっちゃムズイっす! あと、イントロの音とかどうやって作ってんのか全然わかんないっす!」


「これはオクターバー使ってんのかな……音作りは後で京太郎にも相談してみて」


 自分以外全員一年生という編成だったため、このバンドは必然的に俺が引っ張っていかなければならない。こういう状況になると、今まで組んできたバンドでいかにメンバーに助けられてきたかを実感する。


「ちょっと休憩しよう」


 スタジオの外に出ると、玲が廊下のベンチに座ってジュースを飲んでいた。


「お疲れさま」


 自販機でお茶を買って、玲の隣に腰かけた。


「お疲れさまです。膝、痛くないですか?」


「一応大丈夫。でもお腹は減ったかも」


「あはは。お肉恵んでくれる人、少なかったですもんね」


「そっちの練習はどう?」


「なかなか上手くいかないですね。私がギター弾けてないってのももちろんですけど、今まで組んだことない人と併せるって難しいです」


「こっちもけっこう厳しいわ」


「最近自分のギター調子良いと思ってたんですけど……ちょっと調子乗ってたかもです」


「cream eyesの演奏は、琴さんと京太郎の二人が盤石だからね。何だかんだでそこに頼ってた部分が大きかったってことかも」


「なるほど。じゃあこれは、私たちに与えられた試練なわけですね。クリアできればレベルアップ間違いなし!」


「意外とゲーム脳だな……」


 玲はジュースを一口飲んで立ち上がると、頬をパンっと叩いて気合を入れた。


「よーし、絶対レベルアップするぞ~」


「おう、お互い頑張ろう」


 右手の拳を上げると、玲は満面の笑顔でそれにちょこんと拳を合わせてきた。スタジオに戻る玲を見送って、俺も自分の練習へと戻る。


「俺もレベルアップしなきゃだな」


 こうして、濃厚な合宿初日は終わりを迎えた。それは凪いだ夜の海のように穏やかで、この後俺たちに降りかかる出来事など想像できないほどに。

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