第61話 太陽がいっぱい
こちらは三人、相手は一人。数的優位はこちらにある。ここを通すわけにはいかない、とケンさんは言ったが、突破するだけなら訳は無い。
「散開!」
京太郎が指揮を飛ばす。それと同時に三人がバラバラの方向に散らばって走り出した。そう、一人で散らばる三人を同時に捕らえることなど不可能である。
「それでいいのかい?」
ケンさんはその場から一歩も動かずにそう呟いた。そしてその手には、スマートホンが握られていた。
「くッ……! 全員止まれ!」
指揮官の指示により、俺たちは足を止めた。ケンさんは余裕の表情を浮かべている。
「別に俺が直接君たちを捕まえる必要なんてないのさ。ただ一本、女子の誰かに電話かメッセージを送るだけで事は足りるんだからね」
もし女子の誰かが、俺たちがビーチに侵入していることを知ったらどうなるか。当然、水着で遊ぶ計画を撤回するだろう。それは女子も、俺たちも望まない結末だ。
「ケンさん、俺たちはあなたと争いたくない!!」
「それは俺だって同じさ。だから、今すぐここから引き返せと言っているんだ。さぁ、今ならまだ間に合う。君たちだって、みすみす
「ケンさん……どうして、あなたは……!」
ケンさんだって男だ。どうして俺たちの邪魔をするのか。会長と言う責務ゆえの正義感がそうさせるのか、それとも……
「朔、秀司、悩んでいる暇はない! ここで覚悟を決めろ!」
タイムリミットは刻一刻と迫っていた。女子たちがビーチに現れる前に海の家に辿り着けなければ、そもそもの計画が破綻する。ケンさんはただ、その時間まで俺たちをここに張り付けにしておくだけで勝利が決まるのだ。
「やるしか……ないのか……?」
拳を握りしめたその時、秀司が俺の肩を優しく叩いた。
「朔さん、京太郎さん。今までありがとうございました。俺、おふたりとここまで一緒に来れたことを誇りに思います」
「秀司、お前何を言って……?」
「俺の事、忘れないでくださいよ! そして必ず目的を遂げてください!」
そう言って、秀司は単身でケンさんへと突っ込んでいった。
「うぅうううぉおおおおおお!!!」
「やめろ秀司!」
伸ばした手は虚しく空を切る。届かない。俺はこんなにも無力なのか? ただ一人の仲間も救えないほどに。
「くそ、まさか捨て身の特攻に打って出るとは……!」
ケンさんも意表を突かれたようだ。咄嗟に臨戦態勢を取った際に、その手からスマートホンが零れ落ちた。
「朔!」
脱力した俺の腕を京太郎が掴んで、そしてそのまま走り出す。
「あいつの覚悟を無駄にする気か!」
「あぁ、そうだよな……俺たちは、目的を遂げる!!」
秀司のタックルが決まり、ケンさんはそのまま倒され揉み合っていた。俺の狙いは、その脇に落ちたスマートホンだ。
「いっけぇぇええええええええええ!!!!!!!」
加速したまま体制を低くし、野球選手のアンダースローの様な美しいフォームで俺はスマートホンを掬い上げた。揉み合う秀司の右手親指が、確かに上がるのを視界の端に捉えながら。
「振り返るな!」
京太郎が力強く吠える。俺たちは全速力で、前だけを向いて走った。林の向こうにある、
「秀司! お前の覚悟、決して無駄にはしないからな!」
佐々木 秀司。19歳の誕生日を目前に控えた純粋な青年は、どこまでも濃く深い夏空の下で、その命を浜辺に散らしたのだった。
「はぁっ、はぁっ……着いた」
険しい道のりだった。それでも俺たちは辿り着いた。そこはまだ誰もいないサンクチュアリ。
俺たちは立入禁止と書かれた黄色いテープを乗り越え、その中へ入っていく。その足取りに迷いは無かった。
「壁もしっかりしているな。ここの窓からなら海がよく見えるし、そう簡単に見つかることは無いだろう。よし、事前のリサーチ通りだ」
「秀司、どうなったかな」
「あいつは勇敢だった。ここから戻ったら、せめて花を手向けてやろう」
「そう……だな……」
俺たちが感傷に浸っていると、予想外の事態が発生した。あとは女子が向こうの道からビーチに入って来るのを待つばかりと思っていたのに、手にしたケンさんのスマートホンから声が聞こえてきたのだ。
「も……し? ……んいち! ど……たの!? 賢一! なんで何も言わないの!?」
「……ッ!」
ケンさんはあの時、体制を崩したわけではなかった。女子たちへの通話ボタンを既に押し終えて、わざとスマートホンを落としたのだ。こうなることを予測した、罠だったのだ。何て抜かりの無い人だ。
「賢一が応答しない。きっと、誰かに襲われたんだ」
「誰かって、誰!?」
「そら男子の誰かやろ。まぁ、大体の予想はつくけど」
スマートホン越しに女子たちの会話が聞こえてくる。
(ど、どうする?)
俺は京太郎にアイコンタクトを送った。状況から言って、事前に男子の侵入を危惧した女子が、ケンさんに見張りを依頼していたことは明らかだ。そのケンさんから着信があったのにも関わらず応答しないということは、ケンさんに何かアクシデントが起きたと考えるのが妥当だろう。このままでは、女子が警戒して引き返してしまう。
(静かに)
京太郎は人差し指を口に当て、俺に音を出すなと指示を出した。そして、ゆっくりとスマートホンを俺から取り上げる。この状況で、一体何をするつもりなんだ。
「もしもし、奈々子? ごめんごめん。スマホを間違えて操作しちゃってさ。男子はみんな海ではしゃいでるから、とりあえず今は大丈夫だよ」
声帯模写。しかも完璧なレベルの。
「あ、賢一? なんだ、いきなり電話かかってきて反応無いからビックリしたじゃん」
「だからごめんって。って言うか、俺もここにずっといるのしんどいんだけど」
「ダメよ。賢一が見張り役を引き受けるって言ったんでしょ」
「はいはい。そうでしたね」
「それじゃ、引き続きなんかあったら連絡してね」
通話が途絶えた。それは俺たちの危機が去ったことを意味する。京太郎はスマートホンを静かに床に置くと、無言でガッツポーズを決めた。
「何だよお前、何だよお前! いつの間にそんな技を身に着けたんだよ」
「俺自身驚いてるよ。ぶっつけ本番でやったら、なんかできたんだ。俺にこんな才能があったなんて……」
「ぶっつけだったのかよ? マジかよ、すげえな!」
火事場の馬鹿力なら聞いたことがあるが、土壇場でこんな無駄な才能を発揮する人間がいるとは驚きだ。
「おっと、静かに! 女子たちが来たぞ」
俺は素早く窓からはみ出ていた体を移動させた。そして、はやる気持ちを抑えながら窓の向こうを覗き込む。
「おおおお」
俺と京太郎は思わず小さな声を漏らした。この状況下で声を漏らすことがどれほど危険なのかはわかっている。それでも抑えることができなかった。
俺たちの視界に飛び込んできたのは、Tシャツ一枚を身に纏った20人あまりの女子たちだ。もちろんTシャツの下に水着を着ているということは分かっている。だが、見た目的にTシャツ一枚しか着ていないように見えるということが重要なのだ。露わになった太ももから足首までのラインが、太陽の光を受けて眩しく輝いているように見えた。
「やばい、興奮してきた」
「し、静かにしろよ朔ぅ。バレちまうだろぉ」
俺たちの姿は、客観的に見て相当気持ち悪かったと思う。だが、今の俺たちを誰に責められよう。普段見慣れた女子の姿も、そのTシャツの下に身に着けているのが水着だけだと思うと、得も言われぬ背徳感と高揚感が込み上げてくる。端的に言って、辛抱たまらん。
「さぁ、早くそのTシャツを脱いでくれ!」
俺たちの思いはひとつだった。Tシャツから覗く生足も素晴らしいが、望むものはその先にある。
「へ~、ほんとにプライベートビーチみたい! こんなとこがあるなら、もっと前から来てれば良かったよ~」
「ほんまやなぁ。海のすぐ近くまで来て入るのはおあずけなんて、あんまりやもんな」
「あ、私ビニールシート持ってきたんで、皆さん荷物はここに置いてくださいね」
「気が利くねぇ、さすが玲ちゃん」
「えへへ」
「ほな、行こか」
俺たちは溢れそうな思いをなんとか胸に押し込めて、女子たちの動向を見守った。そして、最初にTシャツを脱いだのは奈々子さんだった。
「よっしゃー、泳ぐぞ~!」
でかい! 何がかは言うまでもない! ただでかぁい! 走るとさらにもうさらにアレがアレしてそれ!
奈々子さんに続くように、続々と女子たちがその肢体を晒していく。そこはもう、控え目に言って肌色パラダイスという他にどう形容すれば良いのかわからない、眼福の光景であった。
どこに腰が付いているのかと問いたくなるほど長く美しい脚を誇る琴さん、適度な肉感がすさまじく男受けしそうな一年生の
(玲のやつ、あんなに着痩せするタイプだったのか……この視線泥棒め!)
小柄な体には不釣り合いとも思えるその胸部装甲は、単純な破壊力で言えば奈々子さんには劣るものの、貫通力では他の追随を許さない。普段からのギャップという意味では、お前がナンバーワンだと言いたくなる代物だった。
ふと、京太郎の方に目をやると、小さなバッグをがさごそと漁っている。何を探しているのかと思えば、その中から双眼鏡を取り出した。花見の時にも使っていたあれだ。
(ここからでも見えるが、まだ距離がある。俺はもっと先を見させてもらうぜ)
いつもであれば、今ここでしか使わないであろうガジェットを持ち込んでいる京太郎をキモいと詰るところだ。だが、今日に限っては尊敬の念を抱くことを禁じ得ない。
(頼む! あとで俺にもそれを貸してくれ!)
(焦るなって。俺がたっぷり楽しんだ後、お前にもおこぼれをくれてやる)
(かたじけねぇ)
密約を交わした後、俺は窓から体をずらして京太郎に場所を譲った。その位置から、京太郎は双眼鏡を覗き込む。
そして、悲劇は起こった。
ここまでの京太郎は、神がかり的ともいえる完璧なムーヴで事を成してきた。綿密に計画を練り、立ち塞がる困難を覚悟と勇気を持って乗り越え、秀司という尊い犠牲の元、ようやくここまで辿り着いた。
だが、最後の最後で欲が出た。もっと見たい、もっと満足したいと。その
夏の日差しは俺たちが思っていたよりも強烈で、太陽はちょうど海の家の窓から正面の位置にあった。京太郎が窓に双眼鏡をかざし、そのレンズを覗き込んだ瞬間、激しい反射光がビーチに向かって放たれたのだ。
「!? そこだぁあああ!!!!」
光にいち早く気づいたのは奈々子さんだ。そして、スイカ割り用に設置されていたスイカを、ロベルト・カル○スと見紛う強烈な左足で蹴り飛ばした。スイカは砕け散りながらも猛スピードで一直線に窓へ向かって飛んでいき、その奥にいる京太郎の顔面にぶち当たった。
「ぐはぁッ!!」
京太郎はたまらず後ろに吹っ飛ぶ。そしてそのまま失神した。
「あそこ! 誰か覗いてる!」
奈々子さんの号令と共に、女子たちが一斉に海の家を取り囲む。その判断力と行動のスピードは並ではなく、俺には撤退ルートを模索する時間すら与えられなかった。
詰みだ。そして、罪だ。
徐々に狭められていく包囲網の中で、俺はただただ放心する他になかった。もうこの運命から逃れることはできない。俺は磔刑に処され、古の魔女の様に石を投げられることだろう。
だが、不思議と後悔は無かった。だって、そこには仲間とのかけがえのない絆があったから。
「観念しなさい!」
立入禁止のバリケードを突破してきた奈々子さんたちに対して、俺は抵抗する素振りも見せず、両手を上げて投降した。傍には鼻血を出して倒れる京太郎。
困惑の表情を浮かべる玲に、俺はふっと笑いかけた。何も心配することは無い。俺は大丈夫だから、と。
俺たちは夏の太陽に惑わされて、焼かれて、そして果てたのだ。俺はきっと、いや、俺たちはきっと、この夏を生涯忘れはしないだろう。サークル内での信頼とか、失ったものは大きいけれど、これは俺たちにとって、間違いなく灼熱の青春だったのだから。
この後、凄惨な制裁が俺たちを待っていたのは言うまでもないが、それを語るべきは今ではない。
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