第57話 黄金色
ステージに上がったBELLBOY'sの三人は、肩の力が抜けた自然な表情をしていた。
「ボーカルとドラム、逆だと思ってた」
周囲からそんな声が聞こえてくる。恰幅の良い(有り体に言えばデブい)晴馬がボーカル&ギター、繊細そうな要がドラムだからだろう。野球でいうキャッチャー、サッカーでいうゴールキーパーのイメージに近いかもしれない。これは俺が在籍していた頃もよく言われていたことだ。偏見甚だしいが、それが
ドラムはなぜかデブの役割だと思われている節があるが、現実は異なる。cream eyesだってドラムはモデル体型の琴さんだし、そもそもバンドのパートの中ではドラムが一番運動量が激しいのだから、
まぁ、どっしりとした佇まいが安定したリズムを生んでくれそうというイメージは、俺にも分からんでもないのだが。
「俺がドラムだと思った? 残念、ボーカルでした」
晴馬お決まりのオープニングMCはほとんどの観客に受け流されていたが、一部の人にはツボにはまったようでクスクスと笑い声が聞こえてきた。ほんの数ヶ月前まで、自分もこの微妙な空気をステージの上で味わっていたことを思い出す。懐かしさと共に、残念に思う気持ちが湧き上がって来るのを感じた。俺が抜けた後も、依然と変わらないライブを繰り返すのだろうか、と。
そんな思いを掻き消すように、BELLBOY'sの演奏が始まる。一曲目は新曲、と言うか、俺の知らない曲だった。そしてその曲は、俺の不安ともはがゆさとも言えない微妙な気持ちをあざ笑うかのように、意外な展開を見せた。
ツインボーカルだ。晴馬と透くんの二人が、時に交互に、時にハモリ、時に力強くユニゾンで曲を歌い上げていく。しゃがれ気味な晴馬の歌声と、名前の通りクリアな透くんのハイトーンボイスが、絶妙なバランスで噛み合っていた。
ツインボーカルのバンドというのは、日本では比較的珍しい。あったとしても、男女の混声だったり、ミクスチャー系でメロディとラップと言った具合に役割を明確に分けている場合がほとんどだ。純粋に男声でのツインボーカルは、俺のライブハウス出演経験の中では出会った記憶が無かった。
ボーカル二人のキャラクターが相反しているのも面白い。小柄で中性的な見た目の透くんとガタイの良い晴馬が並んで歌う姿は、さながら美女と野獣だ。透くんは男の子だけど。それでいて息の合った歌を聴かせてくれる。
「なんだ、すごく良いバンドになったじゃないか」
そう呟いた時、またしても身勝手な寂しさを感じた。でも、それと同時に安堵もした。
スリーピースバンドは、もともとやれる表現が限られている。俺と一緒に続けていたら決して導き出せなかったであろうツインボーカルという選択肢は、BELLBOY'sに唯一無二の魅力を与えていた。それが何だか嬉しい。
ライブの途中、晴馬と目が合った。
「どうだ、これが新しいBELLBOY'sだ。お前がいなくたって、俺たちはこんなに堂々と歩けるんだぜ。だから上から目線での余計な心配すんな」
ステージ上のあいつの目は、雄弁にそう語っていた。
「ありがとう!」
そう言って最後の曲を終え、ステージを降りてきたBELLBOY'sのメンバーを、次に出番を控えた俺は舞台袖で出迎えた。
「恐れ入ったか」
タオルを首に巻いて汗だくになった野獣は、得意気な顔でそう言った。
「恐れ入らねー」
「そうかい」
「でもまぁ、良かったよ」
「そうかい」
すれ違いざま、晴馬は右手の拳を突き出してきた。俺はそれに自分の拳を合わせる。
「お前こそ、ちゃんと見てろよな」
「あぁ、ボーカルちゃんを視姦してやるよ」
「死ねデブ!」
「生きる!」
そんなやりとりを、要と透くんが笑って見ていた。
「ほら、はよ行くで」
琴さんに尻を叩かれて、俺は晴馬と別れた。手早くセッティングを済ませてステージを降り、舞台袖でメンバーに気持ちを伝えた。
「今日はちょっと、感情が先行しちゃうかも」
「リズム隊がそれ言う?」
「しょうがないじゃん。たまには我儘言わせてよ」
「あはは、今日は良いグルーヴが生まれそうやねぇ。せやな、朔もたまには好きなようにやったらええよ。あんたはちょっと周りを見すぎるきらいがあるから」
「ありがとうございます! そんじゃやりたい放題やらせてもらいます」
「二人もちゃんとついて来るんやで」
「仕方ないなぁ。でもまぁ、望むところっす。やったりますよ」
「ま、任せてください! 朔さんのやりたい放題について行きます!」
「よっしゃ! そんじゃいつものいこうか」
4人の手を合わせ、声を上げる。女性陣から制汗剤だろうか、石鹸の爽やかな香りがふわりと広がった。
姫子作曲のSEに乗ってステージに上がると、そこには大勢のお客さんが詰めかけてくれていた。50人はいるだろうか。その顔ぶれは、見知ったものばかりではなかった。今までのどこかのライブを見に来てくれたのだろうか、ネットで音源を聴いて興味を持ってくれたのだろうか。
何にしても、知り合い以外の人が自分たち目当てに来てくれる、という状況がたまらなく嬉しい。この状況に至ることの難しさを、俺は嫌というほど身に染みてわかっているから。
感慨深くフロアを眺めていると、開場前に配ったフライヤーを手にしている人の姿が見えた。俺からフライヤーを受け取ってくれたサラリーマンの姿もあるではないか。
何だかもう、演奏前から胸がいっぱいだ。自分たちの努力が実を結んでいくことが、これほどまでに気持ちを充実させてくれるのかと、心の底から実感していた。
「こんばんは、cream eyesです。私たちの音楽を、愛してください」
玲の言葉にお客さんが歓声で応えてくれる。否が応にもボルテージが上がっていく。
晴馬、要、見ているか? 俺たちが高校生の頃からずっと憧れていたライブの景色がここにあるぞ。cream eyesはすごいだろ。玲の歌声に言葉を失うだろ。琴さんのドラムに踊らずにはいられないだろ。京太郎のギターリフは最高のセンスだろ。俺のベースだって、随分とレベルが上がっただろう。
でも、このバンドがここまで来れたのは、きっとBELLBOY'sでの経験があったからだと思う。
道は違えたけれど、俺はこれからもBELLBOY'sを好きでいるから。お前たちの音楽を変わらず愛し続けるから。だから俺たちの音楽のことも、どうか愛してほしい。
俺は叫んで、弦を弾いて、溢れる思いを奏でる音に吐き出した。伝われ、伝われ、伝われと。今までのライブの中で、一番汗をかいた。一番喉が枯れた。一番感情的になった。
曲が終わるたびに聞こえてくる拍手と歓声に確かな手ごたえを感じながら、今年一番暑い夜は更けていく。
加速していく時間に取り残されたくなくて、不細工でも必死に手を伸ばして掴み取った今を、大事に抱えて離さないように。きっとステージにいる全員が、同じ思いでフロアに響く歓声を聞いていた。
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