第58話 スタンダード

 ステージを降りた俺たちは、フロアのお客さんにアンケート用紙を配り配信中の曲を案内して回った。物販スペースでは、京太郎とみはるんがお客さんに対応している。


「アンケートお願いします」


 BELLBOY'sの3人にアンケート用紙を差し出すと、要がまとめて受け取ってくれた。晴馬は笑っているような怒っているような、なんとも言えない表情をしている。


「すごいっすね、cream eyes。お客さん多いし、演奏のクオリティも高くって」


「ありがとう。透くんの歌とベースもすごい良かったよ。俺がいたころとは全然違うバンドになっててビビったわ」


 最初に話しかけてくれたのは透くんだった。


「二人とも意固地っすよね。本当は良かったって言いたいくせに。晴馬さんはともかく、要さんまで」


「おい。晴馬さんはともかくってどういう意味だ」


「言葉通りの意味だろ。融通効かなそうな顔してるぜ、お前」


「言うじゃねえか、朔。お前ちょっとお客さん呼べたからって調子乗ってんな?」


「集客は正義だからな。さぁ、さっさとアンケートを書け。そして俺たちを褒め称えよ」


「あぁ、書いてやるよ。”ボーカルちゃんが時折見せる脇が最高にエロかったです”ってな」


「キッッッッッッッモ!!」


「晴馬さん、それはさすがに引くわー」


 晴馬はゲラゲラ笑った。その顔も実にキモかったが、懐かしい気もした。


「まぁまぁ二人とも、今日はお互い良いライブをした。それで良いじゃないか」


 大人な対応でたしなめてくる要は、何だかとても嬉しそうだ。


「晴馬、打ち上げ行くか?」


 俺の誘いに対して、晴馬と要はまた何とも言えない表情を見せる。そして顔を見合わせてから、口を開いたのは要だった。


「悪い、朔。俺らは帰るよ。透を送ってかなきゃなんないし」


「送る? なんでまた」


 いくら透くんがかわいい男の娘……じゃない、男の子だからって、箱入り娘じゃあるまいし、送迎が必要な理由がわからない。


「今の時間からだと、家着くころには補導される時間になっちゃうからね」


「補導?」


「18歳未満は23時以降ひとりで外出しちゃダメなんだよ。知らないの?」


「18歳未満……? え、透くんっていくつなの?」


「15っす」


「犯罪じゃん!」


 確かに幼い顔立ちをしていると思ったが……せいぜい玲と同じ18歳くらいだと思っていた。玲も童顔だから感覚が麻痺していたのだろうか。


「何だよ犯罪って」


「いや、だって……え、15歳って高校生?」


「中三っす」


「マジか……やっぱ犯罪じゃん」


「犯罪じゃねーから。人聞き悪いこと言うな」


 自分が中三のころを思い返してみる。初めてベースを手にしたのがその年だった。まだ簡単な曲のコピーが精いっぱいで、オリジナルのバンドをやろうなんて考えてもいなかった頃だ。そう考えると、その年で周りと遜色なくステージに立ってみせた透くんは相当にスゴイ。


「お前らとんでもない有望株を引き抜いたな。ちゃんと責任取れよ」


「責任取れとか、お前にだけは言われたくねーっての」


「そりゃそうか」


 そう言って笑いあった後、BELLBOY'sの三人はSHAKERのブッキング担当に呼ばれてスタッフ控室へと入っていった。今日のチケットノルマの清算と、今後の活動について話をするために。


「ベルボのやつらと仲直りしたんか」


 琴さんは真っ赤なカクテルを片手にご機嫌な様子だった。


「仲直りできたんすかね。よくわかんないっす。でも、今度あいつらメシにでも誘ってみますよ」


「そっか。そら良かったなぁ」


 晴馬と要が打ち上げに来ないと言ったのは、何も透くんの補導対策のためだけではないと、さっきの微妙な表情を見せられれば俺でもわかる。あいつらだってまだ心の整理がついていないのだ。

 一度ほどけてしまった関係は、そう簡単には元に戻らない。だけど、俺たちはお互いの音楽を通じて認め合うことができた。あとはゆっくり時間をかけて、また糸を結びなおしていこうと思う。


「さっくーん、こっちこっち!」


 ほとんどのお客さんが会場を出ていった後だというのに、みはるんのいる物販コーナーには5~6人の人だかりができていた。京太郎を除くと、そこにいるのは皆ギャル風な女性だった。


「やっと来たか。朔のこと待ってたんだぞ」


「紹介するね。彼がさっくんこと一ノ瀬 朔くんです」


「え?」


 呼ばれるままに物販スペースに近づくと、突然その場にいた人たちに紹介をされた。


「お疲れさまでした~」


「ステージで見るより案外かわいい顔してるね」


「ライブかっこ良かったですよ~」


「何か右手の指の動きとかセクシーだったよね。っていうかエロイ」


「わかる~!」


 わけがわからない。突然のモテ期到来か?


「え、え、え、ナニコレナニコレ」


「何って、この前さっくんと約束したじゃん。かわいい女の子連れて来るって」


 そういえば初めて会った日にそんなことを言っていたような……


「あはは、何かテンパっててウケるんですけど」


「ねぇねぇ、彼女いないってホントなの? バンドマンなのに?」


「ねー。バンドマンってチャラい人っていうか、女たらしが多いんじゃないの? みんなヒモみたいな生活してるイメージなんだけど」


「えーっと……」


 それは違いますお嬢さんがた。確かにそういう人間もいるかもしれませんが、それは極々一部の特殊な存在なのです。今を生きる大半のバンドマンは、陽の当たらないところで育ってきた陰の者たち。女性の扱いに慣れてなどいないのです。尻に敷かれることはあっても、ヒモになるなんてとてもとても。


 頭の中を言葉が早口で駆け巡ったが、それが声として発せられることは無かった。ギャルに質問攻めにされるなど、今までの人生で一度としてなかったのだから。


「朔さーん、ちょっと来てもらえますかー?」


 たじろいでいると、控室の方から声が聞こえてきた。それはさながら、カンダタの目の前に現れた蜘蛛の糸。


「あ、あぁ、今行くー! ってな訳で、ちょっとすんませんね」


「あ、さっくん待ってよぉ!」


 俺は控室へと逃げるように飛び込んだ。そこでは玲がクスクスと笑っていた。


「何かあったの?」


「だって、朔さんがおかしくって」


 見られていた。玲は用があって呼んだわけではなく、俺に助け舟を出したのだ。さっきのは本当の意味で救いの声だったのだ。


「……見てたのか」


「はい、一部始終」


「あれは……しょうがないだろ」


「モテモテだったじゃないですか」


「どう見てもからかってるだけだろ」


「そうですか?」


「そうだよ」


「へ~」


 玲はニヤニヤしている。


「みはるんさん、朔さんのために友だち呼んだって言ってましたよ」


「いやまぁ、それはありがたいんだけどさ」


「朔さんって、彼女欲しくないんですか?」


「はい?」


「だって、さっきも可愛い女の子たくさんいるのに全然そういう感じ見せなかったじゃないですか。普段もそういう話してないですし」


「別に彼女が欲しくないなんてことは無いさ。いや、むしろ欲しい。めっちゃ欲しい」


「あはは、それならもっと積極的にいっちゃえばいいじゃないですか。朔さんならすぐに彼女出来ちゃいますよ。優しいし、かっこいいし」


「マジで言ってる?」


「マジのマジです」


 そこまで言われると悪い気はしなかった。俺は男としての自己評価が低すぎるのかもしれない。綺麗な体であることにも若干の負い目を感じているし。


 控室からもう一度物販スペースを覗いてみると、先ほどはあまり意識しなかったが、みはるんフレンドのギャルたちは皆整った顔立ちをしている。


「俺、がんばっちゃおうかな」


「その意気です。ファイトです」


 きっと、この日は色々なことが上手くいっていたからそう思えたのだろう。

 不安材料だったみはるんが良い子だとわかった。晴馬と要とまた話ができる関係に戻れた。汗だくになってフライヤーを配ったことが実を結んだ。ライブがとても良い出来だった。


「いやー、さっきはごめん。良かったらさ、せっかく来てくれたんだしみんなでご飯でも行かない?」


 だから、勘違いしたんだ。今日の自分なら、何もかもうまくやれるって。


 その日の夜、打ち上げの席で俺は絵に描いたように調子に乗って酒を飲みまくり、一人では歩けなくなるほどに泥酔したらしい。打ち上げ後半の記憶は曖昧で、目覚めるとカラオケの一室で玲に介抱されていた。時計を見ると、時刻は午前5時を指している。


「ドンマイ」


 携帯には京太郎からのメッセージが入っていて、それと一緒に俺が大暴れでみはるんフレンドをドン引きさせている写真が添付されていた。


「すみませんでした」


 目にも止まらぬ早さで土下座すると、玲に笑われた。


 体中がベトベトで気持ち悪かった。二日酔いで頭がぐわんぐわんしていた。結局女の子の連絡先のひとつも手に入れられなかった。

 だけど、それさえも全部楽しいと思えた8月の終わり。

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