第45話 今夜は寝かせない

 レコーディング2日目、録音パートはベース。今日は姫子の自宅での作業だ。姫子は京太郎の妹であるうえにかなり癖のある人物ではあるが、女子の部屋に二人っきりというシチュエーションに若干のときめきを覚えた俺を責められる男はいるまい。


 ドラムとは異なり、今回ベースやギターはアンプの音をマイクで拾うのではなく、アンプシミュレーターやDIダイレクトボックスという機械に楽器を繋いで録音を行う。プロのレコーディング環境ではアンプの音を拾うのが一般的かもしれないが、インディーズバンドの俺たちには自宅録音の方がコスト面でも技術面でも都合が良い。そのため、スタジオに行かなくてもレコーディングが可能なのだ。


「おほん。それでは朔さん、時間無制限3本勝負、いってみましょうか」


「その言い方やめてくれない?」


「今日は両親帰ってこないんだ……」


「その台詞が許されるのは美少女の幼馴染だけだぞ」


 そもそも姫子は一人暮らしなのだから両親が帰ってこないのは当たり前である。


 今回音源として作成するのは「Beautiful」「The Catcher in the Route246」「残光」の3曲。俺が作曲した「リバース・ラン」が採用されなかったことは少し悔しかったが、作品の統一感を出すためと考えれば納得できた。


 昨日の琴さんのレコーディングは、鬼気迫るという言葉を体現するかのような気迫だった。それに見合った演奏をしなければしばき倒すと脅されているため、少しも気を抜くことはできない。

 時刻は午後3時。モニター用のヘッドホンを装着し、機材のセッティングを済ませたら、いよいよレコーディングスタートだ。


「最初はBeautifulからいきますね~」


 ベースのフロントピックアップに右手の親指を乗せ身構える。無機質なクリック音が鳴り始めると、その音の向こうに琴さんの息遣いが聞こえたような気がした。

 タイミングを合わせて演奏開始。琴さんのドラム音は、ヘッドホン越しでもすさまじい迫力だった。これをあの細身の体で奏でているのだから、本当にどうなってるのかわからない。ただ俺はその迫力あるドラムに負けないよう、一心不乱に弦を弾いた。


「はい、オッケーでーす。じゃあモニターで出しますね」


 録音された音を聞いてみる。ドラムとベースのみの音源は、いかにもデモ音源と言った感じで何だか愛着がわいてくるのは俺だけだろうか。ただその音を聞いた時、何か物足りなさを感じた。


「何かが足りない気がする……」


「そりゃまだギターも歌も入ってないんすから、音が足りないのは当たり前じゃないすか」


「そうなんだけど、そういうのとは違う感じで何かが足りない気がするんだよな。うーん」


「音圧ならマスタリングで上がりますよ」


「そうでもなくて……あのさ、俺のベース聴いてどう思った?」


「どうと言われましてもね~、私作曲も音源づくりもやりますけど、楽器の演奏に関しては素人っすからね~」


「何でもいいよ。感想聞かせて」


「うーん、普通に良いと思いましたよ。フレーズも凝ってる感じがしました。あ、あとベースの指弾きってエロいなって思いましたね。その指使いでアレをこうしてこうなって……ふワァーオ」


「普通に良い、か……」


「ちょまちょまちょまー! 突っ込んでくれないんすか? マジトーンで返されると恥ずいんすけど」


 普通に良い。この言葉を聞いて、俺は名前も知らない「白昼堂々」のベーシストのことを思い出していた。琴さん曰く、良くも悪くも無難で目立たないと称されていたベーシスト。メジャーデビュー直前、プロ目線で切り捨てられたベーシスト。


「普通に良いってことは、特に印象には残らないってことだよね」


「いや、そんなどいひーなこと言ってないっすよ! え、あれっすか? 朔さんって被害妄想激しいタイプ?」


「もうちょい音ゴリゴリにしてみる。他にもいろいろ試してみて良い?」


「ゴリゴリ? いろいろ試す? 朔さん、大胆っすね……」


「もうちょいGAINゲインを上げてっと……」


「無視! バンドマンはこれだから!」


 それまで俺は、できる限り曲の雰囲気に合わせてベースの音を作ってきた。「Beautiful」で言うと、あまりアタック感を強調しすぎないコンプレッサー強めの音作りといった感じに。


 だが、琴さんのドラムは違う。曲調を無視しているわけではないが、聞いていて「これ琴さんが叩いているな」とわかる。自分の主張があると言うか、芯のある音というか、演奏の向こうに琴さんの息遣いを感じるのだ。俺のベースには、それが足りない。

 今まで意識したことが無かった、音に宿る自分の存在。それを見つけられれば、きっとこの物足りなさは埋められるはずだ。幸い時間ならたくさんある。手を尽くしてみる価値はあるだろう。


「やれることは全部やる」


 最近はこれが自分の中でスローガンのようになっていた。姫子には悪いが、とことん付き合ってもらうことにする。


「もう、しょうがないっすね」


 同じ曲を繰り返し、その度に音作りや弾き方を変えて「自分らしさ」を模索する。それは暗闇に手を伸ばすのと同じことだった。それでも何度も、何度も、何度も繰り返し、変えては繰り返した。


「さ、朔さん……そろそろ私、限界が……眠気しゅごいのぉお。勝てないぃいい」


 ふと時計を見ると、レコーディング開始と同じ3時を指していた。およそ12時間、食事とトイレ以外ろくに休憩も取らずにベースを弾き続けていた。弦を押さえる左手も、弦を弾く右手も、指先が真っ赤になっている。こんなのはベースを始めたころ以来だ。


「あぁ、ごめんごめん。でも、おかげで納得するテイクが録れたよ」


「マジですか。それは良かった。細かい調整は後でやっときますんで、すんません、私、寝ます」


「ありがとね。お疲れさん」


 ベッドに倒れこむ姫子を見届けると、俺自身も急激な眠気に襲われた。そして、床に座り込んで、ぼんやりと今日の自分の演奏を聞いてみた。心地よい疲労感に包まれて微睡まどろむと、音の向こうに自分の輪郭がぼやけて見えた。


「これなら、しばき倒されなくて済むかな」


 俺はそのまま、床に倒れこんで眠ってしまった。


 翌日、浴室から聞こえるシャワーの音で目を覚ました。ベッドの上には脱ぎ捨てられた寝巻が無造作に置かれている。


「あいつ、服脱いでる途中で俺が起きたらどうするつもりだったんだ……」


 すぐ隣で女子がシャワーを浴びていると思うと、得も言われぬ感情が巻き起こってしまうため、独り言で気分を落ち着かせようと試みたが、効果はいまいちだ。姫子の部屋にはテレビが無いため、スマートホンをいじって気を紛らわす。

 15分ほどでシャワーの音が止まり、濡れた髪の姫子が浴室のドアから顔だけ出してきた。俺が目を覚ましていることに気づくと、にやりと笑って話しかけてきた。


「朔さん、私のシャワーシーンを想像して興奮してたっすか」


「ばばばば馬鹿な事言ってんじゃありません!」


 クールに返すつもりが、声が裏返って動揺がまるわかりだ。台詞もなぜかおかん口調になっていた。


「朝ごはん、パンしかないっすけど」


 姫子はクスクス笑いながら、高校時代のものと思われる小豆色のダサいジャージにTシャツという姿で浴室から出てきた。


「十分だよ。ありがとう」


 琴さんや奈々子さんならともかく、同じく純潔を貫く者であるはずなのにどうしてこんなにも手玉に取られなきゃいけないのか。腑に落ちない思いを抱きながら、俺はチョコスティックパンを齧った。


「それじゃ、細かい調整はこっちでやっときますから。私、この後授業あるんで学校行かなきゃいけないんすけど、朔さんもそのタイミングで出てもらっていいっすか?」


「いや、俺は先に出るよ。一応こっちも授業あるし、こっからだと時間もかかるし」


「了解っす。とりあえず今日録った音源は皆さんに送っときますね」


 姫子の部屋から大学へ向かう途中、早速音源が送られてきた。イヤホンでそれを聴いてみると、なかなかどうして、かっこいい音が取れているではないか。自分で演奏しておきながら、これが自分の音なんだと思うと感慨深い思いがした。


 俺は授業の後、談話室には向かわずバイトへと直行。手ごたえはあったが、あれを聞いたメンバーがどんな反応をするのか一抹の不安を抱きながら。


 休憩中にスマートホンを見ると、京太郎からメッセージが入っていた。


「人の妹の家から朝帰りとか、何してくれてんの」


 なんだかんだでちゃんとお兄ちゃんしている京太郎を微笑ましく思いながら、メッセージを返す。


「やましいことは何も無い」


「当たり前だ馬鹿」


「音源聴いた?」


「聴いた」


「どうよ」


「朔のベース、なんか音がいかついんだけど」


 わかってもらえたことが嬉しかった。それと同時に、受け入れてもらえるか怖さが顔をのぞかせる。


「琴さんに負けないようにって思ったらそうなった」


「良い感じじゃん。俺は前よりこっちの方が好きだな」


 休憩室で小さなガッツポーズ。それを見計らったかのように、cream eyesのメッセージグループに相次いで着信が入った。


「音源聴きました! 朔さんのベースの音かっこいいですね!」


「ええやん。京太郎もこないな感じでよろしゅう」


 休憩後のバイトではにやけ顔がおさまらなかった。バイト仲間に気持ち悪いと詰られたが、それすらも心地よい。


 感じた手ごたえは、確信へと変わっていった。

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