第46話 天才のお仕事
7月14日水曜日。cream eyes初の音源づくりは佳境を迎えていた。
玲はギターのレコーディングにかなり苦戦したらしい。俺はバイトで付き添えなかったが、京太郎が付きっきりで手伝いながら、二日間かけて何とか終わらせたそうだ。途中で演奏は京太郎がやってしまおうかという案も出たようだが、玲は頑として譲らなかったという。その姿は想像に難くない。
そんな努力の甲斐あって、無事にオケと呼ばれる楽器のパートはすべて音録りが完了した。今日からはいよいよ歌のレコーディングだ。
「あ、あ、あーあー。まーまーまー。っうんっヴんっ。マイクにこれついてるとプロっぽいですね! テレビで見たことあります」
「うん、音のバランスはオッケー。いつでも録れるよ~」
「見られてると緊張しますね」
玲はこちらにちらりと目線をやった。
「まぁまぁ、ミニライブだと思って」
「ウチもこの後コーラス録るし、お互いさまやん」
今日は京太郎と琴さんも立ち合いに来ているため、メンバー全員が集まっていた。
「玲の歌を演奏無しでじっくり聴くのって、実は初めてな気がする」
「私が歌う時って、朔さんいつもベース弾いてましたもんね」
「私は玲ちゃんの歌を聴くこと自体が初めてっすよ」
「そういえばそうだった! なんか余計に緊張してきた~」
「ふっふっふ、楽しみにしておるぞ」
姫子と玲がヘッドホンを装着し、準備は整った。
ちゃんとしたレコーディングルームであれば、防音の壁の向こう側で玲が歌い、俺たちはオケと混ざった歌をモニタリングすることができる。だが、今回は普通のスタジオを借りて歌録りをするため、オケは二人のヘッドホンからしか流れない。スピーカーから音を流すとマイクにその音が入ってしまうからだ。つまり俺と京太郎と琴さんは、玲の歌をアカペラで聴くことになる。
「これはこれでいいかもしれない」
俺がそんな独り言をつぶやくと、姫子が右手を上げた。「静かにしろ」の合図だ。ヘッドホンに手を掛けながら、玲がリズムを取り始める。
「灰色の空を――――」
最初に歌い始めたのは”Beautiful”だ。スタジオには演奏の無い、玲の歌声だけが響いていた。改めて聴いても、やはり素晴らしい歌声だ。これを聴くたびに、なぜか自分が誇らしい気持ちになる。姫子はパソコンの画面から視線を上げて、玲を見ていた。その表情には驚きが溢れていた。
「揺れる陽ろぅっ……ケホっ。ご、ごめんなさい」
「もう一回最初から歌っていいですか?」
「玲ちゃん」
「ん?」
「あなたどえらいモン持ってるじゃないの。姫子ちゃんビックリしたわ」
「ど、どえらいモンって……変だった?」
「ちゃうねんちゃうねん。その逆やねん。いや~、朔さんがストーカーしたってのも無理ないっすね。これなら納得ですわ」
「おい、人聞きの悪いことを言うな」
ひとめぼれはしたかもしれないがストーカー行為などしていない。
「ありがとう、姫ちゃん。うん、もっと気合入れなきゃ」
玲は自分の頬をパンっと叩くと、再びマイクに向き合った。
「気合が入ったのはこっちだっつーの」
そう言って姫子もヘッドホンを付けなおす。
その後、玲は驚くほどスムーズに歌録りを進めていった。歌は楽器と違い、リテイクを繰り返すほどに喉を傷めていくため、正直今日一日で終わらないことも覚悟していた。だが、そんな心配を吹き飛ばすかのように、玲はわずか一時間で3曲を録り終えてしまったのだ。
「玲すごいな! 絶好調じゃん!」
「えへへ、レコーディングの前に皆さんのオケを聴いてたくさん練習してきましたから。成果が出て良かったです」
「えらいなぁ。ウチもコーラス頑張らなあかんね」
「あ、そのことなんですけど……」
玲はモジモジしながらこちらを見ている。
「どないしたん?」
「あの、私もコーラス参加して良いですか? 練習してるときに良い感じのハモリが思いついたので……」
「なるほど。リーダー、どないする?」
「なんか前のライブから
「文句があったらリーダーなんて呼ばんわ」
京太郎と玲は頷いていた。少し照れ臭い気持ちもあったが、確かにバンドを組もうと言い出したのは俺なのだから妥当なのかもしれない。それに、前のライブの時に自分の無責任さに嫌気が差したところだった。責任のあるリーダーと言う役割を引き受けるのは、然るべきことなのかもしれない。
「わかりました。cream eyesのリーダー、謹んで務めさせていただきます」
「いよ! リーダー! 無人島を開拓しよう!」
「リーダー命令。
「さーせん」
京太郎は色々なところから怒られればいいと思う。
「コーラスだけど、玲の好きなようにやってみていいよ」
「ありがとうございます!」
「ちなみにどんな感じのを入れるの?」
「えっとですね……」
「とりあえず、一回歌ってみたらええんやない?」
「そっすね。じゃあ姫子、歌入りの曲、スピーカーから流してみて」
「お兄に命令されんのムカつくんだけど」
姫子は渋々と言った感じで、PCからミキサーへとケーブルをつないだ。先ほどの玲の歌が入った曲がスピーカーから流れ始める。
「おぉ、これだけでもかなり良い感じじゃん!」
「京太郎、静かにせえ」
「はい」
Bメロに差し掛かったところで玲と琴さんがコーラスのメロディーを歌うと、曲がぐんと広がりを感じさせるようになった。
「こんな感じなんですけど……」
「玲ちゃん、すげー良いねそれ!」
「うんうん、音源ならではの表現って感じだね。ライブの演奏と差別化出来て確かに良いと思う」
「ホントですか? ライブでは自分でコーラス出来ないので、こういうのアリなのか不安だったんですけど」
「音源とライブが全く同じやったら、音源だけ聴いてたら良いって話になってまうからね。音源は音源、ライブはライブでそれぞれの良さがあった方がええやろ」
「なるほど~」
玲のコーラスは満場一致で採用された。その後すぐにレコーディングは再開され、玲は相変わらずの絶好調でほぼ一発で終わらせてしまった。意外にも琴さんが苦戦していて、リテイクを数回出していた。少し焦った様子の琴さんの表情はとても新鮮だった。
「はい、オッケーでーす。これで全パートのレコーディングが終了! お疲れさまでした~。そしてお疲れさまでした私~」
姫子は思いっきり伸びをした後、ノートパソコンをパタンと閉じた。
「姫子ちゃん、本当にありがとうね。おかげで良い雰囲気でレコーディングができたと思うよ」
「やだなぁ朔さん、そんなに改まっちゃって。私たち、ワンナイトを共に過ごした仲じゃないっすか……」
「朔さんと姫ちゃんがワンナイト……ッ!」
「おめでとう、朔」
「こらこらこらこらー! おい、兄貴! このアホ妹になんとか言え!」
「隙を見せたお前が悪い」
「素直に感謝を伝えることも許されないのか!?」
リーダーの威厳は失墜した。元からそんなものは無かったのかもしれないが。だが、今回姫子が引き受けてくれなかったら、何も変われないまま次のライブを迎えていたかもしれないと思うと、やはり感謝の気持ちは大きかった。
「うっし。私の仕事はこっからが本番なんですけどね。玲ちゃんの歌を聴いてたらヤル気がモリモリ湧いてきましたわ! 明日から本気出す!」
「今日から本気出せよ……」
そのわずか3日後。姫子からミキシングとマスタリングを終えた音源データが皆に送られてきた。俺たちは談話室に集まり、皆でイヤホンをつけて一斉に再生ボタンを押す。
「おおおおおおおお」
「ほぁああああああ」
「ぴゃああああああ」
お腹の下の方がムズムズする。顔の表情が緩んで声が漏れる。体が自然と揺れ始める。
「これ、俺たちが作ったんだよな?」
「前に聞いた時より、何か音の厚み? 音圧ってやつか、すごいことになってないかこれ」
「すごい……普通にプロが作ったみたいになってます! なんか私歌上手くなってないですか?」
「それ自分で言う?」
「色々細かい補正も入れてくれたんやろなぁ。えぇ出来や。突貫工事でここまでやってくれた姫子ちゃんには、ホンマ感謝せなあかんわ」
全員、興奮がおさまらなかった。cream eyes初めての音源は、極上のクオリティで仕上がっていたのだ。
次のライブまで、あと10日。
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