第44話 伝説を打ち破れ

「いや~琴姉さんはんぱないっす!」


 ドラムの音録りをしながら、姫子は感嘆の声を上げた。


 今日はレコーディングの初日。セオリー通りにドラム、ベース、ギター、メインボーカル、コーラスの順で録音していくため、今日は琴さんの番だ。京太郎はバイトで不在だが、俺と玲は付き添いで見に来ていた。

 姫子の自宅にレコーディングの機材は一式揃っているが、ドラムだけは学生アパートの一室で鳴らすわけにはいかない。そのため、スタジオまで足を延ばしていた。


 琴さんのセッティングはロック寄りなワンタム。基本的にはスタジオにあるPearlパールのドラムセットを使用する。持ち込み機材はGRETSCHグレッチのスネアとYAMAHAヤマハのペダルだ。

 スタジオではドラムレコーディング用のマイクを貸し出してくれるため、姫子がそれを丁寧に取り付けていた。マイクはミキサーに繋がれ、ミキサーから姫子が持参したオーディオI/Fインターフェースに繋がれ、さらにそこからノートPCへと繋がれている。冒頭の姫子の台詞は、セッティングを終えた琴さんがのフィルを叩いた時に漏れたものだ。


「ほんじゃ、始めよか」


 そう言って琴さんは姫子が用意した高そうなヘッドホンを装着した。姫子がノートパソコンを開いてサウンドチェックを始める。


「琴姉さん、全体でしばらく叩いててもらっていいっすか」


「はいよ」


 琴さんがドラムを叩き始めると、姫子はミキサーのフェーダーをいじりながらパソコンの画面とにらめっこを始めた。


「姫ちゃん、それ何してるの?」


「ん? これはねぇ、音量の調整をしてるんだよ。私の持ってるオーディオI/Fは2chチャンネルしかないから、ドラムの音を録音するときはミキサー経由で音量を調整しないといけないの。録音用のマイクは今回、バスドラ、スネア、ハイハット、タム、フロア、ライド、全体に2本と合計8本も立ててるからね~。う~んゴージャス! 本当は8chあるオーディオI/Fがあれば良いんだけど、バカ高いし、私は普段そんなにチャンネル数使わないからコスパ悪いんだよ。だから今回はこれで勘弁してね。ま、音のバランスに妥協はしないから、任せて任せて~」


「おーでぃおいんたー……2ちゃんねる? ここは酷いインターネッツですか?」


 玲の頭が活動限界を迎えていた。頭から煙が出ているのが見えるようだ。


「玲、無理しなくていいぞ。レコーディングの知識と演奏の知識は別物だから」


 姫子はそのまましばらくにらめっこを続けた後、琴さんに演奏ストップの合図を出した。


「とりあえず軽く音録ってみたんで、一回聞いてもらえます?」


「はいな」


 琴さんはヘッドホンに耳を傾ける。姫子も持参したもう一つのヘッドホンで音を確認していた。


「もうちょいバスドラ押し出してくれへん? あとスネアのハイをちょい上げて。あとはこのままでええわ」


「了解です~」


 琴さんはもう一度全体でドラムを叩き、姫子はミキサーの微調整を行った。


「これでどっすか」


「ええやん。バッチリや」


「おっしゃ! それじゃ録っていきましょ~。カウント4つでクリック流れるんで」


 いよいよ琴さんのレコーディングが始まる。俺と玲はスツールに腰かけてそれを見守っていた。


 改めて第三者目線で見てみると、琴さんのドラムは本当にかっこいい。叩く姿もそうだが、音の一粒一粒が意志を持っているような、そんな芯の強さを感じるのだ。琴さんのドラムは非常に出音が大きいが、それはフィジカルが強いからではない。むしろ力んだ感じの無い程よい脱力と、長い手足を活かしたしなやかなスティック捌きによって、ここまでの力強さを生み出しているのだろう。


「オッケーでーっす! ホント、琴姉さんのドラムはかっこいいっすね。私も好きで良くライブハウスとか行きますけど、そこら辺の男たちなんか目じゃないっすよ」


「おだてても何も出んけど」


「そこは素直に喜んどいてくださいよ~。もう、ツンデレなんだからぁ」


「やっぱあんたら兄妹やな」


「え、やめてくださいよ。あんなチェリーボーイと一緒にされるのは勘弁です」


 この前処女宣言してたのは誰だったかと突っ込みたかったが、さすがに女性陣の前でそれを言ってしまったら全てが終わる気がして言えなかった。


「琴さんほどのドラマーがこんなところで燻っているなんて、勿体なさすぎです」


「ははは、ありがとうね。そんなら素直に受け取っておくわ」


「琴さんってマシュー様と昔バンドやってたんですよね? 琴さんがマリッカのドラムだったら、もっと早くブレイクしてたんだろうな~」


「それは天地がひっくり返ってもありえへんことやけどな。そういえば、マリッカのドラムって今どんなやつがやっとるん? ベースはサポートやって言うてたけど」


「あれ、知らないんですか? 最初はドラムもサポートだったんですけど、最近正式メンバーが加入したんですよ。今のドラムはダンボです。山元やまもと・ダンボ・真一しんいち


 予想外の名前が出てきたため、俺は思わず立ち上がって叫んでしまった。


「ダンボ!? ダンボって、あのダンボ? 元ロークレの?」


 山元・ダンボ・真一。伝説のバンド、Rolling Cradleのメンバーで、現在はスタジオミュージシャンとして数々のアーティストのバックでリズムを支えている超一流ドラマーだ。

 ロークレは、非業の最期を遂げたギタリストの新藤しんどう アキラばかりが神格化され持て囃されているが、熱心な音楽ファンの間ではダンボこそが真の天才だと言う声も多い。特にバンド経験者ほど彼の功績を讃える傾向がある。それほど、彼のプレイヤーとしての才能はずば抜けていた。


「そうっすよ~。元Rolling Cradleのドラマーのダンボっす。何でも、今マリッカの面倒見てるマネージャーがロークレと繋がりが深いらしくて、その紹介で加入したって言われてますね。琴姉さんもかっこいいっすけど、ダンボのドラムも相当渋いっすからね~。個人的には甲乙つけがたいって言うか~」


「なるほど、そういうことやったんか」


 琴さんは小さな声で、しかし恐ろしいほどはっきりと呟いた。


「まっさんのやつ、久しぶりに会うて朔を勧誘したんは、ウチよりええドラマーを見つけたからってわけか。ぜーんぶわかってもうたわ。ふふ。くっくっくっく」


「こ、琴姉さん? 目がめっちゃ怖いんですけど」


「もう一回」


「え?」


「もう一回頭から録り直すで」


「え、でもさっきのテイクで十分って言うか……」


「うっさい。ウチが満足するまで付き合って」


「は、はいぃ」


 琴さんに気圧けおされた姫子には頷く以外の選択肢が無かった。あれはしょうがない。誰だってそうする。俺もそうする。


「琴さん、すごい気合ですね」


「あれを気合と捉えて良いものか……」


「そこ! 集中できんから黙ってて!」


「ごめんなさい!」


 それから琴さんは鬼が宿ったかのようにドラムを叩き続けた。俺と玲と姫子は、その姿にただただ圧倒されるばかりであった。その時の琴さんは恐ろしくもあったが、頼もしくもあった。


 そして、俺はこの感じをもう知っている。「負けたくない」と強く思う気持ちを、もう知っている。


「お、お疲れさまでしたぁあ……」


「今日はこんくらいで勘弁したるわ」


「いやいや、どこの悪役のセリフですかそれ」


「朔、あんた同じリズム隊として、腑抜けたベース弾きよったらしばき倒すからね」


「怖すぎるんですけど」


「さ、朔さん、頑張ってくださいね。殺されないように」


 色も知らないまま殺されるのは御免だ。次は俺の番、気合入れていかなければ。

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