第14話 御茶ノ水へ行こう!

 地下鉄御茶ノ水駅の階段を登り外に出ると、背後に巨大な大学と病院、目の前に交通量の多い大きな通りが表れ、その向こうには神田川が見える。


「御茶ノ水初上陸~。ってあれ? 何だか、思ってたよりお堅い街って感じがしますね」


 はしゃぎながら改札を出た玲は、拍子抜けしたような表情を見せた。


「たしかに、渋谷とか新宿とかとは雰囲気が違うよね」


「あんまりバンドやってる人がたくさんいるって感じはしないです」


「まぁ、そこの橋を渡ればわかるよ。それでは京太郎先生、案内をお願いします」


「お、おう。お任せあれ」


 信号を渡り、神田川を跨ぐお茶の水橋を越え、さらにその先の交差点を渡ると、街の景色がガラリと変わってくる。大小様々な楽器店が通りを埋め、ショーウィンドウにはギターやベースはもちろん、管楽器やバイオリンを揃える店舗もあり、中には左利き専門店なんてのもある。


「うわーすごい! 先生、何でこんなに楽器屋まみれなんですか?」


「いや、何でかは知らないけど……」


「でもこれだけたくさんお店があると、どこに入ればいいのか迷っちゃいますね」


「と、とりあえずデカいお店に入って、どんなギターがあるのか色々見てみようか。さっき話した通り、初めての楽器選びはフィーリングが大切だから」


「Don’t think , feel.ってやつですね、師匠!」


 先生から師匠に格上げ(?)だ。良かったね。


 楽器店が並ぶ通りの中で、まずはひときわ大きな店に入ってみる。入口から店の奥まで、床だけでなく壁一面にも、色とりどり、形状も様々なギターやベースが所狭しと陳列されていた。


「種類が……多すぎる!」


 玲は興奮していた。まるで初めての上京でいきなり渋谷のスクランブル交差点に迷い込んでしまった田舎者の様に、店内をキョロキョロと見回している。


「見てください! これ、お父さんのやつと同じ!」


「あ、玲ちゃん、触る時は店員さんに声かけなきゃだめだよ」


 京太郎が慌てて声をかけると、玲はギターに近づけていた両手を引っ込めた。ノーファウルをアピールするサッカー選手のような仕草がコミカルだ。


「おっと、そうなんですね。危ない危ない」


「え、って言うか、玲ちゃんのお父さんってギターやってたの?」


「そうなんですよ。私も昨日まで知らなかったんですけど」


「へぇ~。それにしてもこのタイプとは、なかなか……」


「有名なんですか?」


「ハードコアとかメタルとか、激しいジャンルをやる人に人気のタイプだね。お父さんそういう感じの人なの?」


「いえ、普段はすっごく大人しい、いるのかいないのかわかんない感じです」


「かわいそうだから、そういう言い方はやめてあげて……」


「あ、でも、ライブの時は人が変わったように暴れまわってたって、お母さんが言ってました。お父さんはメタルバンドとかやりたくなかったって言ってたのに」


「あぁ、うん。なるほど」


 京太郎は俺にそっと耳打ちをした。


「なぁ、玲ちゃんってああ見えて、結構ステージで豹変するタイプなんじゃね?」


「談話室顔面ドラム事件の時点で、その片鱗は見せてただろ」


「たしかーに」


 ふと、この凶器の様なギターを持って暴れまわる玲を想像してみた。


「ぶふぉ!」


 二人同時に吹き出した。だめだ、インパクトは申し分ないが、やりたいバンドはこういうのじゃない。


「何の話してるんですか?」


 玲が振り返って問いかけた。


「玲にはどんなギターが似合うかなって話だよ」


「えー、絶対嘘じゃないですか」


「いいからいいから。ほら、これとかかわいいんじゃない?」


「あ、ホントだかわいい」


 ピンクの花柄のギターを前に、目を輝かせる玲。ちょろい。


「うーん、でもこんなに沢山あったら決められないです」


「何か気になるのとか無い?」


「形はこれが好きなんですけど」


 玲が指差したギターは、チェリーサンバーストのレスポールだった。


「これもどっちかってい言うと、男らしくてかっこいいギターだと思うけど」


「そうですか? だるまさんみたいでかわいいじゃないですか。もちもちしてそうですし。でも、色がどれも渋い感じなので、もうちょっと違うの無いかなって思うんですけど……ワガママですかね」


「いや、そこは妥協しない方が良いと思うよ。京太郎、何かいいの無いかな」


「うーむ、とりあえず他にも色々見てみようか」


 その後、3人で数軒の店を見て回ったが、玲がこれと思えるような一本には出会えなかった。


「すいません、優柔不断で……」


「別に良いよ。最初の一本は大事だし」


「フィーリングが大事って言ったのは俺だしね。そうだ、玲ちゃんは中古とかに抵抗は無い?」


「中古、ですか。うーん、考えたことなかったですけど、あんまり汚いのとかでなければ気にしないです。古着とか好きですし」


「それじゃそっちの方も見てみよう。掘り出し物が見つかるかもしれないしね」


 俺たちは一度、それまで滞在していた店を出た。


「よく行く店があるんだ」


 京太郎はそう言って、俺と玲を先導した。それにしても、機材が絡むと相手が女子でも普通に話せるんだな。


 メインの通りから少し脇にそれた小道に、京太郎が行きつけだと言う店はあった。先ほどの清潔な大型店とは異なり、建物自体がかなり老朽化しているように見える。「Vintageハウス ギターのDENDOU」と手書きで書かれた木製の看板が、胡散臭さを増幅させていた。


「ここ、ですか」


 玲が入店を躊躇した。たしかに、素人が踏み込んではいけない雰囲気を醸し出している。


「あぁ、大丈夫だよ。店長めっちゃ良い人だから」


 カランコロンと、軽快な音を立てる木製のベルが付いた扉を開けると、なにやら甘ったるい匂いが立ち込めてきた。どうやら楽器を管理するため、湿度調整剤がそこら中に設置されているらしい。しかし、何故ココナッツバニラのフレーバーばかりなのか。


 店内に置かれた楽器の数はそれほど多くは無いが、お手ごろな価格の中古品から高価なヴィンテージ品まで幅広い。どれも手入れが行き届いた様子で、中古とは思えないほど状態の良いものが揃っていた。ガラスのケースの中には、既に廃盤となったヴィンテージのエフェクターが並べられている。なるほど、京太郎が気に入るわけだ。


「おう坊主、また来たのか」


「どうも近藤さん」


「エディと呼べと言ってんだろ」


 スキンヘッドに髭を生やした、いかつい壮年の男性が京太郎に声をかけた。エディと名乗っているが、どう見ても日本人だ。マッチョな体に焼けた肌は、たしかに俗世と離れたような印象を受けるが。会話の感じから、京太郎が常連であることは間違いないらしい。


「ん? 何だ、今日は女連れか。隅に置けねぇな」


「ち、ち、ち違います。そういうんじゃなくて」


「何だよ、じゃあそっちのあんちゃんの連れかい?」


 何なんだ、このテキサスのハンバーガー屋みたいなノリのおっさんは。ハリウッド映画でしかそんな絡み方見たことないぞ。京太郎の言う「良い人」の信憑性が薄れていく。


「違いま」


「違いますよ、エディさん。二人とも私の先輩です」


 俺より先に、玲が臆することなく答えた。店の前で尻込みしたかと思えば、この堂々とした受け答え。彼女が胆力を発揮するタイミングがよくわからない。単に人懐っこい性格なだけだろうか。


「へえ。何だよ、いい子じゃねぇか。で、今日は何の用だ?」


「玲ちゃん……えっと、この子がギターを探してるんすよ。でもしっくりくるのが見つからなくて」


「ほう」


 近藤は玲をまじまじと見つめた。セクハラオヤジのそれ、ではなく、何かを見定めているような、鋭い眼光だった。


「お嬢ちゃん、ギターは初めてかい?」


 玲の指先を見つめながら、近藤は尋ねた。


「はい」


「何でギターをやりたいと思ったんだ?」


 なぜ買い物に来ただけで、こんな尋問みたいなものを受けなければいけないのか。止めに入ろうとしたが、それよりも早く、玲が即答した。


「変えられると思ったからです」


「変える? 何をだい?」


「自分です」


「……なるほどね」


 それを聞いた近藤は、見たことの無い銘柄の煙草に火を点け、ふぅーっと天井に向けて煙を吹き付ける。その煙草もまた、チョコレートの様な甘い香りのする独特のものだった。


「それなら、ちょうどいいモンがあるぜ」


 そう言うと、近藤は店の奥へ引っ込んでいった。ガチャガチャと音がしたかと思うと、一本のギターを持って戻ってきた。


「ほれ、こいつはGibsonギブソンのレスポールジュニアってギターだ」


 くすんだ黄色のボディを持つそのギターは、先ほどの大型店で見てきた物とは明らかに異なる雰囲気を漂わせていた。そのまま玲に手渡され抱えられると、まるで玲が元々の持ち主であったかの様に、しっくりと収まった。


「かわいい……すっごいかわいいし、かっこいい! 朔さん、京太郎さん、私、これが良いです!」


 即決。どうやら玲もお気に召したようだ。だが、機材マニアの京太郎は黙っていられなかった。


「……ミスターエディ、このギターの詳細を教えて欲しいんすけど」


「1956年製のフルオリジナルだが」


「は?」


「だから、1956年製のフルオリジナルだ」


「いやいやいやいやいやいやいやいや、ちょっと待ってよ近藤さん! 56年製のレスポールジュニア? しかもフルオリジナルぅうう?? それって、どちゃくそ貴重なヴィンテージ物じゃねーですか! そんなん最初の一本目にオススメする馬鹿がどこにいるんすか!」


「馬鹿とは何だ馬鹿とは。あとエディだって言ってんだろ、泣かすぞてめぇ。大体、レスポールジュニアは元々エントリーモデルとして発売されたギターだ。初心者に売って何が悪い」


「こんな貴重品、学生の身分で手が出るわけねーでしょ? 一体いくらで売りつける気なんすか!」


「5万円」


「はぁああああぁああああああ!?!? 5万円んんんん??? はぁああああ????」


 さすがに俺にも発狂する京太郎の気持ちがわかる。1956年製という紛れもないヴィンテージ品。しかも状態を見る限り、ほとんど傷や錆が見当たらない、所謂デッドストックと呼ばれる完璧な保存状態。

 ちなみにフルオリジナルとは、販売当初からパーツを一切交換していない状態のことを言う。楽器の各パーツは使用・保存するにしたがって摩耗したり劣化したりするため、ヴィンテージギターとなればどこかしらでパーツの交換があって当たり前なのだ。

 

 要するに、このギターは楽器の目利きができるわけではない俺から見ても、100万円をくだらないことは明らかだとわかるほどの逸品なのである。


「こいつはな、委託品なんだよ」


「委託品?」


「つい昨日のことさ。どっかの婆さんがコイツを持ち込んできてな。旦那が後生大事にしまいこんでいたらしいんだが……旦那が死んじまって、婆さんにはこのギターの価値がわからなかったんだろうな。粗大ゴミを出す感覚で、ウチに持ってきたんだとよ」


「そんなことあります?」


「実際あったんだからしょうがねぇだろ。で、婆さんに言い値で売ってやるって聞いたら、タダでも良いとか言ってよ。さすがにそれはできねぇから値段を決めてくれって伝えたら、5万円だとよ。まぁ大方、うちの店に置いてあった一番安いギターが5万円だったから、適当にそれに合わせたんだろ」


「マジですか……」


「売らねえで俺の物にしちまおうと思ってたんだがな。気が変わった」


 近藤は咥えていた煙草を灰皿に押し付けて火を消すと、玲を見つめた。


「そんなに貴重なんですか? このギター」


「ま、否定はしねぇな」


「何でそんな物を私に?」


 近藤は新しい煙草に火を点け、カウンターの椅子に腰かけると、器用に輪っかの形に煙を吐き出して見せた。


「お嬢ちゃん、ギターを始めたのは“自分を変えるため”って言ったよな。誰のためでもない、自分のためだと」


 無言で頷く玲。


「これは俺の持論だが、音楽ってやつはエゴイストがやった方が面白いもんができると思ってる。誰かのためとか、世の中のためとか、そんな理由だったらそいつは出しゃしなかったさ。最初はそもそも売る気も無かったしな。それに、俺はもうバンドをやってるわけじゃねぇ。ただでさえそいつは、今までどっかの爺さんに何十年もしまい込まれてきたって言うじゃねぇか。この先もコレクションとして飾っておくだけじゃ不憫だろ?」


 近藤、いや、エディはそこまで言うと、初めて笑顔を見せた。


「思う存分、そいつを暴れさせてやれ。その代わり、絶対に途中で投げ出すんじゃねぇぞ」


 玲はしっかりと相手の目を見て、力強く応えた。


「はい、がんばります!」


 がっしりと握手を交わす二人。


「何かすごいのが手に入っちゃったな」


「はい、がんばって練習しますね」


「ケース取ってくるから、ちょっとそこで待ってな」


 ドカドカとまた奥へと引っ込んでいくエディに、京太郎が声をかけた。


「あ、近藤さん、念のため試奏しそうさせてもらっても良いっすか?」


「エディだと……まぁ、好きにしな。その辺のアンプ、適当に使っていいぞ」


「あざまーす。玲ちゃん、ちょっとそれ借りていい?」


 京太郎はスツールに腰掛け、玲からギターを受け取ると、無造作に開放弦をジャランと鳴らしてみた。


「おぉ……これマジでヤバイかも」


 アンプにつないでいない状態のソリッドギターとは思えないほど、大きな音が響いた。ギタリストが俗になどと言うヤツだ。

 続いて京太郎は、店内に置いてあったコンボタイプのMarshallマーシャルの真空管アンプにギターを繋ぎ、簡単なリフを弾いてみた。その音は、太くハリがあり、かといってこもることは無く、高音の響きも心地よい、素晴らしい音色だった。ベーシストの俺ですら、一聴しただけでその価値がわかるほどに。


「師匠、どうですか?」


「これにケチをつけられるギタリストなんていないよ。俺が欲しいくらい」


「お前が買うなら100万円だな」


 ケースを抱えたエディが冗談めかして言う。


「ひでぇ……」


「そうだ坊主。お前が前に欲しがってたやつも手に入ってるぞ」


「え? マジですか?」


 ギターのハードケースと一緒に、エディはひとつのエフェクターを持ってきていた。


「ほれ、Shredシュレッド Masterマスター


 それは、京太郎が敬愛するオックスフォード出身のギタリストが使用しているというエフェクターだった。既に廃盤となっており、現在では入手が困難な品だ。


「おおおおおお、さっすがこんど……じゃなくてエディさん!」


「タイミングが良かったな」


「いくらっすか?」


「24,000円」


「適・正・価・格! 玲ちゃんにはあんな破格でギター売ったのにぃ」


「当然だバカヤロウ」

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