第11話 アイスクリーム・イン・ザ・サラダボウル

ハコの扉がノックされ、サラダボウルの会長である三年生の賢一けんいちさんが入ってきた。隣にいるのは、同じく三年生の奈々子ななこさんだ。


「あれ、新しい入会希望者?」


「おっすー、朔ちん。京ちゃん。あ、琴っちもいるじゃん。あれ、もう酔ってる?」


「酔ってへんわ。何やいきなり、ご挨拶やねぇ」


「あはは、メンゴメンゴー」


「ケンさん、奈々子さん、お疲れ様です。えっと、この子は……」


 俺が紹介するより先に、玲が行儀よくお辞儀をして答えた。


「玉本 玲です。これからよろしくお願いします」


 ハッとして玲を見る。


ってことは……」


「はい。私、決めました。このサークルに入るって」


「おおおおおお」


「そらあんなん聞かされて、やっぱやめますー言われたらウチでも流石に凹むわ」


 噂好きの奈々子さんが首を突っ込む。


「なになに? 何の話?」


「あんたには教えてやらへん」


「え~、そんなこと言わないでよぉ」


 猫なで声の奈々子さんを琴さんが軽くあしらうと、その照準は別の相手を捉えた。


「ねぇねぇ、京ちゃん教えて~」


 そう言って、奈々子さんは京太郎の肩に手を回した。当然、京太郎と言う人間の特性を知ったうえでやっている。


「へぃ!? はわわわわ、えっと、はぅう、ほ。っほほへれ、近っ」


 こうかはばつぐんだ! ただ、奈々子さんが望んだ情報が得られるかは別として。


「あははは、ウケる―」


 ケラケラと笑う奈々子さんをよそに、ケンさんはガサゴソと鞄から用紙を取り出すと、それを玲に手渡した。


「入会希望ってことだね。ありがたい。僕はサラダボウル会長の宮藤みやふじ 賢一って言います。それじゃ、この入会希望用紙に名前と連絡先を書いてもらって……」


「ケンさん、その用紙いつも持ち歩いてるんですか?」


「そりゃあこの時期はね」


 玲は用紙を受取ると、何だか嬉しそうな笑みを浮かべていた。


「サラダについて、説明は聞いてるよね」


「いえ、実はあんまり」


「え? スタジオ使ってたんじゃないの?」


 ケンさんが俺たちの方を驚きの目で見た。そういえば、玲にサークルのことを詳しく話すのを、全員すっかり忘れていた。京太郎は目を逸らして口笛を吹き、琴さんは舌を出しておどけている。


「ケンさんすいません。話の流れでとりあえずここに来ることに……」


「まぁ、それで入る気になってくれたのなら結果オーライだけど」


 懐の深い男だ。さすが、満場一致で会長に選出されただけのことはある。


「あ、バンドをやるってことは聞いてます」


「そりゃそうだ」


 ケンさんは笑いながら説明を始めた。


「えっと、うちのサークルは年に数回学内ライブを行ってます。楽器初心者とか、バンドを組んだ経験の無い人もたくさんいるよ」


「朔さんたちも初心者だったんですか?」


「いや、朔たちは全員経験者だね。あんまり縛りの無いゆるいサークルだからかな、会員のスキルはほんと幅広いんだよ」


「あ、やっぱいきなりあんな風にできるわけじゃないんですね」


「ははは、それは練習次第かな。学内ライブじゃコピーバンドが多いから、それで経験を積んで、オリジナルを始めるって人も多いしね」


「コピーバンド?」


「既存の楽曲を演奏するバンドってこと。だから学内ライブじゃライブ毎にメンバー変わるんだよ。演奏する曲が好きな人同士で組むってわけ」


「何か面白そうですね!」


 玲は目をキラキラさせていた。きっとこれから始まるバンド活動を、楽しみにしてくれているのだろう。そう思うと俺も嬉しかった。


 ちなみに、最初からプロを目指したい上昇志向の強い人は、機材も充実している「軽音楽部」に所属することが多い。こちらは学校が承認している部活動なので、活動に対して補助金も出る。その分メンバーは基本的に固定で、初心者がいない分、部員も少ないらしい。


「あの、会長さん、用紙に担当パートって欄がありますけど、今はできない楽器でもいいんですか?」


「もちろん。さっきも言った通り、サラダは初心者大歓迎だからね」


「よかった」


「え? ボーカルじゃないの?」


 俺は少し戸惑って問いかけた。


「えっと、それはそうなんですけど……せっかくだから、新しいことに挑戦してみたいなって思うんです。ギターとか弾けたらかっこよくないですか?」


「あぁ、そういうことか。うん、良いんじゃないかな」


 玲がギターを持って歌う姿を想像してみた。あまりしっくりこなかったが、ボーカルがギターを弾くことができれば、バンドとしての選択肢は増える。それに、ここで彼女のヤル気を削ぐ理由も無いだろう。


「へ~、ボーカルかぁ。それじゃ奈々子のライバルだね」


 奈々子さんが悪戯っぽい笑顔で玲に話しかける。それにしても、一人称が自分の名前と言うのは、何歳まで許容されるものなのだろうか。


「ライバル?」


「あぁ、奈々子もボーカリストなんよ。歌う専門やけど」


「そゆこと~」


「そうなんですね。でも、同じボーカルだとライバルなんですか?」


「そりゃそうだよ! ボーカルはバンドの花形だもん。みんなが誰と組みたがるか、誰を求めるのかっていうのは、ボーカリストにとって大切なことよ」


 奈々子さんは、ある意味会長のケンさん以上にサークルの象徴的存在だ。歌の実力はそこそこと言ったところだが、ステージ上で雰囲気を作ることに長けており、どんな曲を歌わせても様になる。女性ボーカルのバンドを組もうとした場合、名前の挙がる筆頭である。

 また、良い具合にほどほどの可愛さを持つ奈々子さんは、多くの愚かな男たちに「俺でもいけるかも」という淡い幻想を抱かせる。まぁその幻想は、奈々子さんに7歳年上の彼氏 (車持ちのエリート会社員)がいるという残酷な真実の前に、ことごとく打ち砕かれていく訳だが。かわいそうに。


「は、はぁ。でも私はそんな競うつもりは……」


「その心配はいらんよ、奈々子」


 遠慮がちな玲を差し置いて、琴さんがニヤリと笑いながら言葉を挟んだ。


「何で? 琴っち」


「モノが違うわ」


「ちょ、ちょっと琴さん!?」


 玲が猛禽類に捕捉された小動物の様に慌てている。無理もない。いきなり先輩に喧嘩をふっかけたようなものなのだから。


「ふーん、琴っちがそんな風に言うなんて珍しい。新歓ライブ、楽しみが増えたかも。それじゃあ奈々子たちも気合入れて練習しなきゃ! ね、賢一!」


「ん? あぁ、そうだね。それじゃあ玉本さん、用紙の記入が終わったら、提出お願いね」


「ちょっと賢一! 話聞いてんの!?」


「聞いてる聞いてる」


 ケンさんの背中を平手でバンバン叩いている。結構痛そうに見えるが、ケンさんはもはや気にする様子もなかった。慣れてしまっているのだろうか。


「え、えーと……がんばります」


 思いもよらず奈々子さんへ宣戦布告することになった玲の、頼りない決意表明だった。


「とりあえず、外に出ようか」


 自分たちの楽器をいそいそと片付け、俺たちはハコの外へ出た。地下の廊下を歩いている途中、最初に琴さんを糾弾したのは京太郎だった。


「いやいやいやいや琴さん、何ケンカ売ってんすか」


 京太郎は奈々子さんの様な、パーソナルスペースにガンガン侵入してくるタイプの女性が大いに苦手だ。できるだけ蚊帳の外でいたかったのだろう。


「だってその方がおもろいやん。最初に突っかかってきたんは向こうやし」


 悪びれもせずに言う。この人は基本、自分が面白いか面白くないかが判断基準のため、暖簾に腕押しだ。玲がサークルに来てくれたのは、紛れも無く彼女のこの行動原理が功績なのだが。


「あれを突っかかって来たって受け取るの、多分琴さんくらいですよ」


「あんな風に言っちゃって、大丈夫だったんでしょうか」


「あはは、かんにんな。でもまぁ、奈々子はあれでサッパリした性格やから、心配あらへんよ。あの子も最近張り合い無さそうやったし、お互い良い刺激になればWinウィン-Winウィンっちゅーやつや」


「それなら良いんですけど」


 奈々子さんと琴さんは犬猿の仲。というわけではなく、タイプの違う者同士、こういうコミュニケーションの取り方がお互い性に合っているらしい。

 端から見るとひやひやするシーンもあるが、当人同士が本気でいがみ合ってるところは見たことが無い。あれで一応、お互いを認め合っているのだろう。


「あの人、張り合いとか求めてるんですかね」


 俺は奈々子さんのモチベーションの事など考えたことが無かった。いつも男子勢からお姫様の様に扱われていて、本人もそれを良しとしていたように思えたし、不満があるようには見えなかった。

 実際、不満など無いのかもしれない。その不満の無さが、モチベーションの低下を招いていると、琴さんは感じていたんだろうか。


「さぁ、知らんけど」


 女同士の友情というのはよくわからない。


「せや、玲ちゃんのサラダボウル入会記念に、なんか食べてこか」


 話の流れをぶった切って、唐突に琴さんが提案した。


「あ、良いっすね」


「私も行きたいです」


 京太郎と玲も乗っかった。俺にも断る理由は見当たらない。


「何にします?」


「せやなぁ、せっかくやから、玲ちゃんに決めてもらおか。京太郎の奢りやから、遠慮せんでええよ」


「ホントですか? えっと、どうしようかな……」


「ちょちょちょ、何で俺の奢りなんすか」


「そら京太郎なんやからしゃあないやろ」


「横暴な! 奢りなら年長者の琴さんが……」


「ぁあん?」


「ごめんなさい」


「いいじゃん、お前めっちゃバイトで稼いでるし」


「あれは機材を買うためですー」


「年のこと言うなら、ウチとあんたは同い年やん。留年してんのやしな」


「留年じゃなくて浪人! はぁ」


 少し考えた後、玲は笑顔で口を開いた。


「そうだ! えっと、もう日も暮れちゃってるんであれなんですけど」


「何でもいいよ」


「アイスクリーム希望です!」


 それは偶然にも、全員の大好物だった。俺と京太郎、琴さんの三人は顔を見合わせ、声を揃えて言った。


「異議なし!」

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