第10話 証明するハコ

 4人でやって来たのは、8枚の扉が並んだ大学の地下。そのうちのひとつ、音楽練習室6と書かれた扉を開くと、そこにはドラムセットやギターアンプ、各種PA機器等が所狭しと並べられていた。


「ここは?」


「ここは音楽練習室。学生部から許可を得た団体が使用できる防音のスタジオだよ。うちらのサークル、サラダボウルに所属してる人は、この部屋を無料で使うことができるんだ。事前に使う時間と順番を決めとく必要があるけどね。ちなみにみんなはハコって呼んでる」


「私、スタジオって初めて来ました」


 玲は興味深そうにキョロキョロと辺りを見渡す。バンド活動をしたことの無い人間にとってみれば、見慣れない物も多いだろう。


「じゃあちょっと準備するから、そこに座って待ってて」


「はーい」


 玲は丸椅子にちょこんと座った。先刻までのローテンションに比べると、幾分元気を取り戻した様子に安堵した。


「わぁ、ギター! かっこいいですね!」


 愛機であるジェットグローのRickenbacker4003を取り出すと、玲はキラキラとした瞳でそれを見つめていた。


「あ、これね。これはベース」


「ギターとどう違うんですか?」


 やはりこの質問が来たか。


「えーと、ベースってのは、名前の通り低音を担当する楽器で……」


 スタタンッと、鋭いスネアの音が響く。


「まぁまぁ、細かい話は後にしとこ」


 それまで後ろに結んでいた髪をほどいて、琴さんが声をかけた。

 彼女が座る赤ラメの派手なドラムセットはGRETSCHのもの。琴さんが周囲の(主に予算的な意味での)反対を押し切って、サークル費で購入させたらしい。

 当時1年生だったはずの琴さんに、一体どんな権限があってそんなことができたのか、当時を知らない俺にとっては謎である。


「琴さんとやるの、新歓以来っすね」


 京太郎が感慨深そうに語りかけた。手にしたfenderフェンダー USA製のキャンディアップルレッドのテレキャスターから伸びたシールドケーブルは、アルミ製のケースに詰め込まれた大量のエフェクターに繋がれている。バイトの給料の大半が注ぎ込まれたそのケースは、見る人が見れば宝の山に映るだろう。


「京太郎さんのギター可愛い~」


「あ、あ、あ、あざす」


 玲の方を見ずに返事をした京太郎は、エフェクターからギターアンプへシールドを繋ぐ。


「なんだかワクワクしちゃいます」


 俺もベースアンプにシールドを繋ぎ、ポーンポーンとハーモニクス音を鳴らしながら、チューニングを施す。三人の準備が整った。


「曲は?」


「Hyper Music」


「んじゃそれで」


「ほな、いこか」


 京太郎がファズのスイッチを踏むと、ギターアンプからハウリングのノイズが響き出す。カッカッカ、と琴さんのスティックがカウントを3つ鳴らした直後、部屋は一気に音の波に包まれた。

 ドラムの生音が響かせる爆音と、350Wのベースアンプから放たれる重低音、それにギターサウンドが合わさったアンサンブル。ありきたりの編成だが、生演奏でしか得られない、どんなに高級なヘッドホンやスピーカーを使っても得られない、腹に直接響く音楽の鼓動がそこにはあった。


 玲は驚愕の表情を見せていた。ハコまでの道すがらに効いた限り、今まで彼女にとっての音楽と言えば、家にあったCDや配信サイトからダウンロードした楽曲を聴くのが関の山だったからだろう。音楽とは、泣けるとか、格好いいいとか、メロディが良いとか、盛り上がるとか、そういう明確な判断基準で評価されるものだと、玲は思っていたに違いない。

 今この場で演奏されている音楽は、これまで玲が好んで聴いていたものとは全く異質なものであるはず。それなのに、迫力に圧倒され、胸の鼓動が否応なしに高鳴っていく。こんな音楽があるなんて、玲はこの瞬間まで知らなかったのだ。


「すごい」


 玲の口から思わず言葉が漏れたが、それすらも音の波はさらっていく。やがて演奏が終わるまで、玲はそれ以上声を出すことができなかった。


「すごい……すごいすごいすごーい!」


 スタンディングオベーションだ。この3人で合わせるのは約1年振りだったため、上手くできたことに胸を撫で下ろした。


「どうだった?」


「すごいです! 私、感動しちゃいました!」


「そら僥倖やねぇ」


「そんじゃ、次は玲も参加してみようか」


「え?」


 俺は中央に置かれたマイクスタンドを指差した。


「ちょ、ちょっと待ってください。いきなりそんな……」


「まぁまぁ、ウチらのことはカラオケの機械やー思うてくれたらええから」


「いやいやいやいや、無理です無理です無理です無理無理むーりー」


「大丈夫やって、案外何とかなるもんよ」


「ひいいいいい」


 椅子に座っていた玲の腕を、琴さんが引っ張ってマイクの前に立たせた。こういう時、その強引さが羨ましくなる。


森野もりの 久麻くまの楽園ツアーって知ってるよね?」


 森野 久麻(通称モリクマ)は、若者を中心に人気を集める女性シンガーソングライター。独特の言葉選びとサブカルチャー的な雰囲気を纏ったソリッドなバンドサウンドが特徴で、売れ筋のアーティストに逆張りをしたがる大学生バンドマンからも支持が厚い。

 楽園ツアーはそんな彼女の代表曲であり、あの日玲がカラオケで歌っていた曲だ。


「あ、モリクマ好きです」


 マイクの前で硬直していた玲の表情が、少しだけ緩む。


「良かった。この曲でダメって言われたら詰んでた」


「別に上手に歌えなんて言わんよ。好きなようにやってみ」


「だ、大丈夫だよ。玲ちゃん」


 玲は少し俯いた後、決意を込めたように言った。


「わかりました」


 それを聞いた京太郎が、印象的なイントロのアルペジオを奏で始めた。4小節目からドラムとベースが加わり、さらに4小節後、Aメロが始まる。玲は大きく息を吸い込んだ。


「!!!」


 玲が歌い始めたその瞬間、琴さんと京太郎の目の色が明らかに変わる。そう、そうなんだ。この歌声、これをまた聞きたかった。

 しかも今度は、カラオケの味気ない伴奏ではない、自分たちの演奏での歌。これを最高と言わずになんと言う。俺は何だか、自分のことの様に誇らしく思った。


 曲が終わるまで、玲はずっと3人に背を向けていた。きっと、歌っている姿を見られるのが恥ずかしかったのだろう。でも俺には、それがまるでステージに向かって歌う姿の様に見えていた。


「ホンマ驚いたわ。話しとる時と随分印象が変わるもんやねぇ」


「いや、マジでびっくりした。うん。朔が入れ込む気持ちもわかるわ」


 演奏が終わり、感想戦。京太郎にとって、テンパるのを忘れるほどの衝撃があったようだ。


「だから言ったでしょう?」


「何で朔が偉そうにしてんねん」


 頭を叩かれた。


「ど……どうでしたでしょうか」


 玲がようやく振り返る。顔は林檎の様に真っ赤で、足は小刻みに震えていた。


「サイコーだった!」


 俺のクソダササムズアップが決まると、玲はようやく緊張が解けたようだった。


「バンドで歌うって、サイコーなんですね!」


 少しはにかんだ笑顔の玲を見て、これからの未来に心が躍った。

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