第4話 ひとめぼれ
「それ、一目惚れと違うん」
琴さんは茶化す様に笑った。
「ち、違いますって。とにかく、めちゃくちゃスゴイ歌だったんです。なんとかして、あの子をサラダに入れる方法、無いですかね」
とっさに否定してみたものの、これはもう一目惚れと言えるのかもしれない。恋慕の感情とは違うと思うが、あの子の歌をまた聞きたい。いや、一緒にバンドをやりたい。そんな思いが泉のように沸き上がり、高揚を抑えることができない。きっとあの時耳にした歌声は、一小節にも満たなかったはずなのに。
「ふーん、歌ねぇ。朔はその子とバンドがしたいん?」
「そうですけど」
「コピーやなく、オリジナルで?」
「はい」
「ベルボはどうすんの」
「え~と、それは……これから考えます」
“ベルボ”とは、一緒に上京した友人と俺が高校時代から組んでいるバンド、
「まぁええわ。後先考えるよりも、今はその子に夢中ってわけやね」
「夢中って言うか、その、なんか、カラオケで歌うだけじゃ勿体ないって思ったと言うか」
「朔がそんな風に熱くなるなんて、よっぽどやったんやろねぇ」
「それは間違いないです……多分」
琴さんがふふっと笑う。
「せやなぁ。お隣さんに、もういっぺんお邪魔してみるしかないんちゃう? そんで素直に、あんたの歌声に惚れた! って言うしかないやろ。まぁ、うちやったら即通報案件やけども」
「通報されるのはちょっと……もうちょいモラトリアム期間満喫したいですから。次に大学で会ったときに、上手く声をかける方法を考えたいんですよ。琴さんなら同じ女性だし、美人だし、一緒なら変なナンパみたいには思われないかなって思うんですが」
「あら、美人やなんて、嬉しいこと言うてくれるやん。で、その子、知ってる子なん?」
「いや、まったく」
「ん? そんなら、なんで同じ大学ってわかるん?」
「あ」
なぜその可能性を考えていなかったのか。大学近くのカラオケ屋にいたからって、同じ大学の学生とは限らない。同じ大学であれば、学内でまた会う機会があるかもしれないが、そうでないなら、再会できる可能性はどのくらいあるだろう。
「何や、それも確かやないんか」
「いや、でもここに来てるってことは、少なくともこの辺に住んでる人なんじゃ」
「たまたま友達ん家とかに遊びに来ただけかも知れへんし」
「あばばばば」
俺は頭を抱えた。それと同時に、部屋の扉が開いた。
「なんだよ朔、琴さんに潰されてると思ったのに。なんでテーブルの上で正座なんかしてんの。罰ゲーム? そういうプレイ? それにしても、うへぇ、酷い有様だなこりゃ」
やつれた顔をして12号室に入ってきた京太郎は、部屋中に転がる無残な亡骸を見て、眉をひそめていた。
「あはは、今日はみんな付き合いが良いねぇ。京太郎まで来てくれるなんて、お姉さん嬉しいわぁ」
「いや、琴さんにこれ以上付き合う気はねーですけど……」
「まぁまぁ、ええからええから」
琴さんの手招きに渋々応じ、京太郎はかろうじて空いていた座席の隙間に尻を滑り込ませる。
「今な、朔の恋愛相談に乗ってたところなんよ」
「ちょ、琴さん!?」
「はぁ? 恋愛相談んん? 朔が? はぁ? 生意気じゃね?」
童貞あらため京太郎は憤慨した。自分と同じステージに立っているはずの俺が、抜け駆けするなど許さないと言わんばかりに。
「あはは、そらそう言うよなぁ。朔ってば、あんまし女の子に興味示さんし、もしかしたらそっちの気があるんかなぁって、サラダの女子みんなで噂してたしなぁ」
「そんな噂が! 酷すぎる! 断じて違う!」
「で、誰なんすか、朔の相手は。可愛いんすか。可愛かったら殺す!」
「だから、恋愛相談じゃないから」
仮に恋愛相談だったとしても、その相手が可愛かっただけで殺害される謂れはない。
「ほら朔、京太郎にも話したりな」
「琴さん、面白がってません?」
「そらこんなんおもろいに決まってるやん」
「いーから、早く話せよ、朔」
「……実は……」
事の経緯を、京太郎に掻い摘んで説明した。
「ふむ、つまり隣の部屋には可愛い女子がたくさんいるから、そこに突撃してハーレムを作りたいってことだな?」
「お前、何聞いてたの?」
「あははは、まぁ、大体そんなとこやね」
「琴さーん」
京太郎は目を瞑って腕を組み、少しの間何か考えて、そして口を開いた。
「うん、俺にできることは何もない。がんばれ、朔」
「知ってた」
相手が女子の集団と言うことであれば、京太郎が戦力外であることは明白である。同じサークル内でさえ、まともに会話できる女子は、飲みの席で絡まれては潰されるを繰り返した琴さんくらいなのだから。もはや京太郎にとって、琴さんは性別を超え、畏怖すべき存在となっていた。
「あはは、あんたらほんまに仲ええなぁ」
琴さんは朗らかに笑うと、テーブルに置かれたストレートの焼酎を飲み干して立ち上がった。
「よしよし、何や気分も良うなってきたし、お姉さんが一肌脱いだるわ」
何とも頼もしい言葉とは裏腹に、嫌な予感しかしなかった。
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