属性は何を選択すればお嫁さんにしてくれますか?

明野れい

第1話 柳屋凪のプロローグ

 それは、文化祭の演劇の役決めをした日の夜のこと。


「……なんだ、これ」


 自動販売機にコインを投入しようとしていた手を止めて、俺は左斜め上を見上げた。

 そこにあったのは、キューピッドのオブジェだった。

 それがなんなのかはよくわからないけど、古今東西街というのは来歴も意味もわからないオブジェがそこら中に溢れているものだ。

 それに、オブジェということにすれば全裸や放尿中の人間の像を街の目抜き通りに置くことも許されるわけで、キューピッドなんてその中では相当マイルドな部類に入る。

 だから別に特段気にするようなものでもないと思うんだけど……だけど、あえて言わせてもらいたい。

 

「なんで自販機にキューピッド……?」


 そう、俺がコインを投入しようとしている自販機のその隣。もう1台の自販機の上に、そのキューピッドは設置されていた。

 

「そもそもここの自販機って1個じゃなかったか?」


 疑問に思いながらも俺は止めていた手を動かし、コーラとミルクティーを購入した。それから買った飲み物を持って、キューピッドの自販機の前に立ってみる。

 それほど明るくない街灯に照らされた自販機は、他にもいろいろおかしかった。


「瓶……」


 普通なら缶やペットボトルを模したものが並べられているはずのディスプレイには、栓でしめられた小瓶がずらりと並んでいた。

 手のひらサイズの瓶の色は透明で、きれいな砂とかを入れて飾ったりするのに使うような感じのもの。

 それに硬貨や紙幣の投入口の横にある、普通ならメーカーのロゴやキャンペーン情報が掲示されている長方形のスペース。そこにも何やら不思議なことが書いてあった。


『属性を変えてしまえば、愛しのあの人も思うがまま』

 

 ……属性?

 意味がわからず、首を傾げながら1歩近づいてみるとそれぞれの小瓶にも何かが書いてあるのが見えた。

 左上の瓶から順に、「ツンデレ」、「クーデレ」、「ヤンデレ」……と続いている。

 他の段を見てみても「幼なじみ」とか「ドジっ娘」とか「眼鏡」とか「委員長」とか、そんな感じのことが書かれた瓶が並んでいた。

 ……要するに、漫画やアニメのキャラクターの性格とかそういう意味での「属性」ってことか。

 とするとこの「属性を~」の文言は、「自分の性格、属性を変えれば好きな人に気に入ってもらえるよ」ってことを言いたいわけだな。

 そんな文言が書いてある自販機に、属性が書いてある瓶が入っている。

 ということはつまり……これは属性を売る自販機?

 

「ははは」


 思わず声を上げて笑った。

 手の込んだいたずらだ。いや、個人でやれる範囲を明らかに超えてるからドッキリ系TV番組の企画かな。

 そんな風に考えながら、俺は小瓶の1つに目を留めた。

 その瓶に書いてあった属性は、「妹」。

 

「妹、ねえ……」


 俺はつい数分前の出来事を思い返し、大きなため息をついた。

 

 

「ちょっとコーラ買ってくる」


 ソファにごろ寝でゲームをしている妹の氷美菜ひみなに声をかけつつ、その脇を通り過ぎる。


「にい、私ミルクティー」


 お前はミルクティーではなく俺の大事な妹だ……なんて小学校の先生みたいなことは言わない。

 尊敬すべき兄上を何気なくパシリにしようとしていることにも寛大に目をつぶってやろう。

 その代わり、俺は氷美菜に向かって堂々と右手を差し出した。

 氷美菜はゲームの画面から視線を上げて、意味がわからないという風に首を傾げる。だから俺は、こんな当たり前のことをわざわざ言葉にして要求する羽目になった。


「いや、金」

「……あとで肩もみしてあげる」


 と、妹はグーパーと手を開いたり握ったりする。


「揉まなくていいから代金」

「じゃあ揉む?」

「……たとえ兄相手でも、自分の胸を揉んで見せるのはやめなさい」


 俺は、母なる海のように波打って形を変える、妹の胸から目をそらしつつロボットのように硬い声で言った。

 これがまた、たわわに成長してしまっているからたちが悪いのである。うっかり悪い男に襲われたりしないかお兄ちゃんは心配でたまりません。

 氷美菜は言われた通り手を離すと、揉まれていた胸の前で、揉んでいた手を合わせて俺を拝む。


「出世払いで」


 そう言って上目遣いでじっと見つめてくる氷美菜。

 目を細め、にらんで返す俺。

 対峙することわずかに3秒。


「……わかったよ」


 見事にTKO負けを喫した。

 

「ありがと」


 基本的に無表情な氷美菜がこうしてわずかにでも微笑むのを見ると、別にいいか、と思ってしまう辺り俺は駄目な兄だと思う。

 まあ、ありがたいことに、百何十円のジュースなら毎日買っても赤字にならない程度には小遣いももらっている。小遣いというのが家族のお金だと考えれば妹のために使うのはそれほどおかしいことじゃない。

 俺は自分にそう言い聞かせつつ、ため息とともに家を出るのであった。

 

 

「いや、甘すぎるよなぁ……」

 

 俺は左手のミルクティーを見つめながらため息をついた。

 いや、氷美菜が甘え上手っていうのもあると思うんだけどな。

 庇護欲をそそる表情というか、存在感というか。俺が守ってやらなきゃと、つい思わされてしまう。もちろん譲れない部分はいくら頼まれても譲らないけど。

 しかし、世の中の兄妹っていうのはみんなこういうものなんだろうか。それとも俺が甘すぎたり、氷美菜が特に甘え上手だったりするのか。

 ……いずれにしても、少し羨ましく感じてしまう。

 俺も氷美菜のようにうまく人に頼ったり取り入ったりできる人間だったら、もっと言えば、自分がそんな人間であることを許容できる人間だったら、もっと楽に生きられるのかもしれない。

 

「はあ」


 無意識にため息が漏れていた。

 俺は、ニュートラルに生きるのが正しいと思っている。

 特別誰かに頼ったり、逆に肩入れしたりしない。そうすれば、世の中の人間関係のわずらわしさのほとんどから自由になれる。

 悪くないけどよくもない。嫌われないけど好かれもしない。手は抜かないけど頑張らない。

 けなされれば傷つくし、褒められたら重圧が増す。どっちに倒れてもしんどいんだから、常にそんなニュートラルな状態を保ちつづけるのが正しいに決まっている。

 交友関係もそう。学校での俺にはいじめてくるような敵もいないし、いつもつるんでるような友達もいない。……まあ、懲りずに俺のことを心配してくれる幼なじみもいるんだけど。

 ともかく、文字通り何事もなく学校を終えて家でベッドに寝転がり、本を読んだり音楽を聞いたりする平和で平穏な毎日こそが、これ以上ない幸せなのだと俺は確信している。

 そんな自己中心的で面会謝絶系な俺でさえつい甘やかしたくなってしまうのが妹ってやつで……。

 

「ちくしょうめ」


 俺はなんとなく、「妹」と書かれた瓶のボタンを押してみた。

 どうせ単なるバラエティ番組の企画だしな。押してみたところで何があるわけじゃないし……なんて考えていたそのとき、突然自販機の上でカタカタと音が鳴り始めた。

 見上げてみると、キューピッドのオブジェが、残像で元の形がはっきりわからないほどの高速で回転していた。

 

「な、なんだ?」


 と、その光景の異様さについ身をすくませてしまう。

 ……いや、落ち着け。びっくりさせて反応を見るための仕掛けだ。

 やがてキューピッドがピタッと静止する。直後、キューピッドはつがえていた光る矢を、ものすごい速さで上空に向かって放っていた。

 矢は夜空に吸い込まれていき、そのまま見えなくなる。

 

「えぇ……」


 俺は間抜け面で夜空を見上げて、引き気味にそんな声を漏らした。

 ……わけがわからない。どういう企画なんだ、これは。

 こんな意味不明なものを見せられても困惑する以外にない。番組的にはどんなリアクションを求めてるんだろう……。

 取り出し口に瓶が落ちてきたのは、それから数秒後のことだった。

 俺は瓶を手に取ると、中を街灯に透かしてみる。


「……空っぽ?」


 とりあえず開栓を試みる。しかしコルク様の栓は引いてもひねっても緩む気配すらない。

 開かないようにしてるのは番組的に、選んだ属性や、成就させたい恋愛への執着の強さを見たいからだろうか。

 

「馬鹿馬鹿しい」

 

 さすがにこれ以上付き合う気はない。俺は瓶をポケットに入れて肩をすくめた。多分どこかで番組のスタッフが声をかけてくるだろう。

 俺はそのまま踵を返して帰路についた。

 

「…………」 

 

 そして数分後、結局何事もなく自宅の玄関までたどり着いてしまった俺は、ドアの前で顔をしかめて立ち尽くしていた。

 声をかけられるどころか、人とすれ違うことすらなかった。


「……いや、どうすんだこれ」


 俺はポケットから小瓶を取り出して思わずつぶやいた。

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