翌週には学年全体で行われる練習があった。初めに女子のダンスの練習があり、その後に私達が組体操をすることになっていた。二学級分の男子のみであった先週とは大違いであった。六学級全ての生徒達が体操服を着て運動場に集まっており、既に靴と靴下を運動場の隅に脱ぎ捨てた私達は、手持無沙汰に辺りをうろついていた。空はこの日も、青く晴れ渡っていた。

 私は周りの生徒達を見廻して、瘦せたみすぼらしい自身の体軀たいくを改めて恥じた。背ばかりが高いために、組体操をする男子の中でも、特に私は目立つかもしれなかったが、それは決して恰好のいいものではないだろう、と私は考えた。そして傍らに丁度立っていた、野球部の少年の腕を見た。それはよく日に灼け、筋肉を付けて、その内に抱いた確かな膂力りょりょくを示していた。

 それに較べて私の腕は細く、そして白かった。あまつさえ喘息持ちでさえあった私は、自身の肉体の虚弱を常々憎んでいた。この身体でさえ私には体育祭、そして組体操への参加を義務付けられているのだった。

 部活の練習で怪我をし、松葉杖を抱えて木蔭に腰を下ろしている男子生徒がいて、その姿にさえ私は一瞬羨望を感じた。

 女子生徒の一人がやって来て、野球部の生徒と喋っていた。二本の前歯が栗鼠りすのように目立つ、小柄な少女だった。彼女は聞きようによっては粗暴とも思えるような口調で、野球部の生徒をからかうのだった。

「あんた、組体操じゃいつも上の役割でしょう。身体が小さいから」

「ああ、そうだよ」野球部の生徒は溜息をついてみせた。

「やっぱりね、ちびだからね。あんた、怖がってるでしょう」

「怖くなんかねえよ。ちびはお前も一緒だろ」

「あんたよりは高いよ。しかもダンスで、背の高低は関係ないしね」

そこでふと、女子生徒は私を振り返り、

「背、高いね。ちょっとこいつの横に並んでみてよ」と言った。

 私は一度もその女子生徒と話したことはなかったので、突然話しかけられたことに驚いたが、促されるまま、野球部の生徒の横に並んだ。野球部の生徒は小柄で、並んでみると、私と彼の背の差は、二〇センチ程あった。女子生徒は一歩後ろに下がって両者を見比べると、さも可笑しくて堪らないといった風に笑い出した。野球部の生徒は首をすくめてみせ、私に向って、

「なあ、良かったら五センチぐらい分けてくれよ」と言った。

 私は笑った。

「背が高いというのも、良いこととは限らないよ。運動に活かせればいいけれど、それも出来ないしな。変に目立つのも困りものだし」

 それを聞くと、女子生徒はふくれ面をしてみせた。

「いいじゃん、高いなら。私にも五センチ分けてよ」

 私は曖昧に笑ったが、彼らにはきっと分るまい、と思わずにはいられなかった。彼らは私よりも遙かに充実した、若い力に満ちた身体を持っていた。それに彼らは背が高くなりたいのであって、何も私になりたい訳ではないのだ。彼らの肉体に更に背を追加すれば、それは素晴らしいものになるだろう。しかし私達の内の誰も、若い力や背の高さを程良く交換する術を、持ち合わせてなどいないのだった。


 女子に集合の合図が掛かり、女子生徒は身を翻して集合場所へと駆けて行った。私達もぞろぞろと移動を開始し、ダンスの行われる場所からやや離れたところに、組体操の隊形になって腰を下ろした。暫くはただ無責任に女子達の踊りを見ていればよいので、教師が傍らに立っている中でも、皆は寛いだ態度を見せた。私のすぐ横には先程の野球部の生徒がいて、隣に坐っている生徒と喋っていた。

 笛の合図と共に、女子達は一斉に駆け出した。彼女らの発達した身体は、その薄い体操服によって強調され、普段とは全く異なるもののような姿を見せていた。駆ける彼女らの豊かな身体の動き、その胸や腰の揺動を私は見たが、或る種の羞恥から、何気ない風に目を逸らせた。例え私が凝視していたとしても、見咎める者などいなかったろうが。

 一方、野球部の生徒は首を伸ばして遠慮なくその様子を眺め、「よく揺れてるねえ」と卑猥な笑みを湛えて言った。隣の生徒はちらと女子達を振り返り、「お前、何言ってんだよ」と苦笑しつつ言った。それを聞くと野球部の生徒は、しめた、というように一層の笑みを浮べた。

「え? 俺は女子達の震動で地面が揺れている、ということを言っただけだぜ。君は一体何のことを言っているんだい」

 相手は一瞬呆気にとられた表情を見せ、それから笑いながら、野球部の生徒の脚を軽く叩いた。

 二ヶ所に設置された大きな音響装置から音楽が流れ出し、女子生徒のダンスが始まった。私の聞いたこともないような海外の音楽だった。それに合せて女子生徒達は踊り始めた。感嘆するほど上手いという訳ではなかったが、これだけの数の生徒が一斉に踊る光景は、中々の壮観であった。

 私の学級の生徒達はここからは見えなかった。しかし私はふと、同級生の内の、殆ど喋っているところを見ることのない、極めておとなしい数人の女子生徒のことを思い浮べた。彼女らもいわば強制的にこのダンスに参加させられ、定められた動きに従って、この中で腕を広げ、腰を振って、踊らされているに相違なかった。考えてみれば、ダンスなぞやりたくないと思いつつ、今ここで踊っている女子生徒も必ずいる筈であった。 そういったことを考えつつ眺めていると、この軽快な音楽に乗った集団ダンスにも、私は一抹の残酷さを感じた。

 一体どれほどの生徒達が、このダンスに参加することを望んでいるのだろうか、と私は考えた。私の他にも、組体操に加わらねばならぬことを嘆く者は何人もいたが、女子のダンスとて、恐らくは同じことなのだった。目立ちたくない、隅で注目されずに過ごしたい、と望む者は多くても、この学校という空間の中では、そうすることも許されないのだ。

 その時にふと私の目を惹いたのは、最前列で踊っている一人の女子生徒の姿だった。彼女のダンスの動きは、ひどく生き生きとしていた。こうして見ると、周りの他の女子生徒は、あくまでも教師の指導に従い、集団の一部としてダンスという義務を遂行しているといった風であったのだが、彼女はまるで自発的にダンスを始め、この集団全体を率いてでもいるかのように、張り切った、力強い動きを見せていたのである。

 私は彼女の踊りに見入った。腕を上げる動作一つとっても、しなやかで力強く、静止している最中にも一瞬間前になされた動きの余韻を残して、流れるように次の動作へと移っていくのであった。とても素人のダンスには見えず、恐らくダンスの経験があるものと思われた。最早周囲にいる他の女子達と、同じダンスを踊っているとは思えなかった。そしてそのダンスを、美しいと私は思った。

 集団のダンスであるのだから、そういった役割を引き受けている訳でもない一人のみが目立つことは、本来ならば好ましくないことかもしれなかった。しかし恐らくダンスを習い、その蓄積された技術を一心に花開かせている、目立つことを恐れぬその女子生徒の心意気は、確かにそれ自体が美しかった。

 彼女のダンスは私のみならず、多くの男子達の注目を集めていた。野球部の生徒も首を伸ばしてその動きを凝視していたが、笑みを浮べつつも、「すげえな」と一言だけ洩らした。隣の生徒は「動きがキレッキレだな」と頷いた。

 やがて音楽は最後の絶頂に達し、そして終りを迎えた。私達は彫像のようにポーズをとる女子生徒達に拍手を送ったが、その内の何割かはあの女子一人に向けられたものかも知れなかった。「ブラボー!」と男子の一人が叫び、笑い声が起った。

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