三
しかしダンスが終ると、次は私達の番なのだった。私達は立ち上り、ぞろぞろと集合場所へと向った。まだ喋り続けている者も多かったが、弛緩していた空気が徐々に拭い去られていくのを、私は敏感に感じていた。ダンスを終えた女子達は、運動場の隅へと退場していくところであった。その中にいた先程の、栗鼠のような前歯の少女が振り返り、「頑張れよ!」と野球部の生徒に向けて手を振ってみせた。「ああ」と野球部の生徒は笑って答え、上空の太陽を仰いだ。
私達は組体操の隊形に整列した。私は先程の背の高低の話を思い出し、自分の頭は離れたところから見れば、隊列の中で一つだけ飛び出して見えるに相違ない、ということを再び考えた。不恰好な自身の姿を私は想像し、少しでも目立たぬよう、首をすくめて無駄なあがきまでするのだった。
私達の隊列の背後には、女子生徒達が木蔭に集まっており、ダンスから解放された喋り声や笑い声が、賑やかに聞えてくるのだった。私は不安に駆られながら、振り返ってその姿を見た。
彼女達は咲き誇る花々のようだった。白い体操服が、木洩れ日を浴びて
この不公平性は何だろう、と改めて私は思った。ダンスと組体操とでは、余りにも難易度が異なり過ぎていはしないか。男女に体力の差があることは周知の事実ではあり、私は男という性を持っていることで、一定の体力の存在を認められ、組体操への参加を義務付けられているのである。しかし私の肉体は虚弱である。
ダンスならまだいい、組体操に比べれば肉体的苦痛など殆どないのだから、と私は思った。しかしこの浅黒い男達の中に立ち、一人そんな思考を巡らせている自分をふと意識したとき、私は強烈な羞恥に再び襲われるのであった。私は男らしくもなく女でもない、一体私は何なのだろう、と私は激しい自己嫌悪を以て考えた。
男らしさ女らしさというものを、素直に受け入れて生きていける人々が私には羨ましくてならなかった。しかし世間には性別の枠というものに嵌り切らぬ者も大勢いるのだ。私は「男なのだから」「それでも男か」という台詞を吐く者に出くわす度、自分はこの人間の期待しているような「男」ではないし、なることも出来ないのだと、暗い思いを心の底に感じるのだった。……
笛が鳴った。全くの上の空でいた私は、やや遅れてその意味するところを思い出し、慌てて走り出した。不自然ではない、目立たない程度の遅れの筈であった。しかし、走り出した私は忽ち躓き、地面に倒れた。
しまった、と思ったときには遅かった。私の後ろを走っていた者も、突然の私の転倒に対処し切れず、突き出された私の脚に躓いて、半ば私の体に覆い被さるように倒れ掛かってきた。私は激しい衝撃を感じ、同時に押し潰されるような衝撃を受けた。瞬間、内臓が圧迫されるのを感じ、うめき声が口から漏れた。圧し掛かってきた相手は素早く立ち上り、その後から私も急いで立ち上ったが、相手は走り出しざまに私を振り返り、憎悪に満ちた一瞥を私に向けた。その眼に荒々しい怒りの
私達は慌てて隊列の中に入り込み、各々の位置についた。私は朝礼台の上に立つ教師を見上げる勇気が出なかった。遅れが出たにしても精々数秒のところであろうが、私の転倒は大いに目立ったに違いなかった。最初からこのような失敗をしたことが、私に大きな不安と焦燥をもたらしていた。
しかし意外にも、以降の演技は滞りなく順調に進行した。二人での技、大人数での技も、どれも成功した。ピラミッドでさえも、今回はそれほどの擦り傷も作らず終えることが出来た。私は密かに、観客である大勢の女子生徒の前で、醜態を晒さずに済みそうであることを喜んだ。
残るは『塔』のみで、これも大人数の技だったが、私一人に掛かる負担は『金字塔』ほどではなかったから、『金字塔』を終えた私は半ば安心して、この最後の演技に取り掛かった。
この三段のタワーは紛うことなく組体操の締めくくりの見せ場であり、私にとっては、最も一体感を感じることの出来る演技であった。それはこの演技の一つに費やされる人数の多さ、その壮観――尤も私は土台であるのだからその姿を見ることは出来なかったけれども――からであったろう。
笛の合図と共に、一段目を作る、私を含めた六人は輪になってしゃがみ、肩を組んだ。私達は隣の者の背へとしっかりと腕を廻していた。
二段目の三人は、「乗るよ」「大丈夫?」等と言い合いながら、慎重に私達の上に乗ってきた。私は体操服を通して、肩に裸足の少年の足を感じ、その重みを感じていた。次いで一番上に立つ生徒が、私達と同じく輪になってしゃがんだ二段目の上に乗ってきた。頂点に立つのは『
彼が頂点へと登り切った気配があり、「いいよ!」と二段目から声が掛かった。私達は「せえの」と一斉に合図を掛けながら立ち上った。四人の重量は中々のものであるが、演技の間支えている分には、ひどく負担になるほどではなかった。すぐに二段目も、「せえの」の掛け声と共に、ゆっくりと立ち上った。
残るは頂点の一人のみだった。私に見えるのは地面と輪になった生徒達の脛、隣に立つ者の浅黒い頰だけであった。
笛の合図が掛かった。一斉にそれぞれのタワーの頂点の者が立ち上る気配がした。女子達が嘆声を洩らすのが聞え、拍手が湧き起った。
その時、不意にタワーの上部がぐらりと揺らぎ、傾いだ。一段目の私達は誰も足を動かしたりなどはしていなかったが、恐らく二段目か三段目のどこかで、何かの拍子に平衡が失われたに違いない。
「あ、あ、危ない!」と二段目の誰かが叫ぶのと同時に、頂点に立っていた彼は、地面へと落下してきた。私が視界に捉えたのは、落ちてきた黒い影が、向い合う者の背後の地面に叩きつけられる場面だけであったが、それでも何が起ったのかは、恐らくこのタワーを形作っている全員が、瞬時に理解していたことと思われた。
殆ど間を置かずに女子達の悲鳴が上り、教師が駆け寄ってくる気配がした。私達は激しく動揺していたが、ひとまずそのままの姿勢を保ち、笛の合図と共に、上の段から順にしゃがみ、タワーを解体した。私達は普段にも増して慎重に、その作業を行った。
解放された私達は、墜落した彼の周りに急いで集まった。意識はある様子で、足を押さえて歯を食いしばっていたが、命に別状はない様子だった。既に女性の体育教師がやってきて、あれこれと彼に尋ねていた。
「大丈夫? どこ打ったの? おかしい感じはない?」
「脚と……背中を打ちました……う……」彼は呻いた。
「背中を?」女性教師は彼の背を撫でさすった。「大丈夫かな……頭は?」
「頭は打ってないです」
「良かった、頭は大事だからね……。歩ける?」
「はい」
彼は立ち上り、女性教師に抱えられるようにして、保健室へと歩いていった。私達は無言でその後ろ姿を見送っていたが、男の方の体育教師に怒声を浴びせられぬ内にと、程々にその場を立ち去って、既に並んでいる生徒達の方へと駆けて行った。
私は駆けながら、朝礼台の上に立っている体育教師の姿を見た。この教師もタワーの崩れる光景を確かに目撃していた筈であったが、既にこちらを見てはいなかった。変らぬ威厳を以て呼子笛を
整列した私は、組体操というものはあのような事故が起り得ることを前提として行われるものなのだ、ということを改めて考えていた。落下して怪我をする恐怖に打ち克ち、彼がタワーの頂上に立つ姿に観客は感動するのであるから、つまり落下する危険を常に
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