四
しろつめ草の花が、芝生の緑の中に、点々と雪のように散っていた。多くの家族連れが、その広い芝生の上で子どもを遊ばせており、あちらこちらで凧があがり、自転車や三輪車が走りまわっていた。
わたしと美穂は、日のあたる公園のベンチに腰かけていた。図書館近くの大きな中央公園だった。大通りを走る車の音も、ここへはやわらかく聞えてきた。公園入口の石畳につくられた噴水が、かがやく水をふきあげているのを、美しいとわたしは思った。
わたしはかたわらに坐っている美穂の横顔を見やった。彼女は最近の自分の生活や、中学校でのできごとなどを、あかるい口調でわたしに語っていた。テニス部に入って日々奮闘していること、おもしろい友だちがいていつも笑わせてもらっていることなどを、生き生きと話した。言葉だけでなく、その声も活潑なそのしぐさも、彼女の、暗い影などさしていない生活をものがたっていた。話に身ぶりをまじえるたびに、彼女の肩までのばした髪が、日光に茶色くきらめいた。わたしは関心をもって話を聞きつつも、やはり強い羨望の思いをいだかずにはいられなかった。わたしが語る段になったら、何をどう話せばいいのだろう。わたしの中学校生活に、こんなにあかるく話すことができることなど、なにひとつとしてない……。
小学生のときの彼女は、これほどかがやいていただろうか、とわたしは思った。小学校のころは、わたしも美穂も同じような学校生活をおくっていたはずだ。数人のおとなしい気の合う友だちとともに、活潑とはいえないまでも、ごくふつうに過ごし、たのしく学校にかよっていた。いつからこんな落差ができてしまったのだろう。明暗はどこでわかれたのだろう。……いや、かつて彼女とわたしがほぼ同列だったと考えることも、やはりわたしの思いあがりだろうか……。
「なんだか、元気ないね。最近なにかあったの?」
美穂はテニス部の陽気な友人の話をしているところだったが、突然それを中断して、わたしの顔をのぞきこんだ。わたしははっとして顔を上げ、美穂を見かえした。
「いや、なんでもないよ……わたし、変に見えた?」
「ううん、たぶんわたしの思い違い」美穂は笑って首をふった。それから場の雰囲気をとりつくろうように、
「恵美は最近どう? Y中の子たちにはほとんど会ってないんだよね、電話する用事も特にないし。……そうだ、佳織にも会ってないな」
佳織……! 耳にした瞬間、その言葉は電流のようにわたしをつらぬいた。わたしは動揺をさとられまいと、体をかたくしてうつむいた。それはわたしにとって、半ば禁忌に近いものとなっている名前だった。しかし美穂は、そんなことを知るよしもなかった。
「ねえ」笑顔をうかべて彼女はふりむいた。「佳織とは最近どうしてるの? いっしょにあそんだりする?」
わたしはなんと答えればいいのかわからなかった。うまくごまかして、その質問には答えずに逃げとおしたかった。しかしいずれにしろ、もう隠すことはできないのだと、どこかでわたしは知っていた。わたしは言った。
「佳織はね……、もうわたしの友だちじゃないんだ」
美穂はひどく衝撃をうけた表情をした。
「本当に? どうして、けんかでもしたの? いつから?」
「なんと言えばいいのかな」わたしはさびしく笑った。もうすべて話すしかないと、すでに観念していた。「中学校に入ってから、わたしはクラスになじめなかったんだ。友だちもほとんどできなかった……まわりの子たちはほかの小学校からの子たちとも、仲よしのグループをすぐにつくっていたのにね。佳織も同じ学級だったけれど、あの人はすぐにひとつのグループに入ったから、話すこともほとんどなかった」
美穂は信じられないといった顔をして言った。
「でも……、恵美と佳織、あんなに仲がよかったのに。新しい友だちができたとたん、もう気にもかけてくれなくなってしまったの? 自分のことで精いっぱいだったのかな……」
「わたしにもわからない。きっとわたしは、佳織にとって、もうつきあうだけの意味のある存在じゃなくなったんだ。小学校のころから、そんなものだったのかもしれないな」話しながら、心臓がはげしく波うっているのを感じた。「仲よくしてくれていたのも、見せかけだけだったのかもね」
美穂はしばらく沈黙していた。「……そのあとは?」
「いつもひとりでいるだけなら、まだよかったのかもしれないけれど、そのうち女子の何人かに目をつけられるようになってしまって」
わたしはどうして、こんなことを美穂に話しているのだろう。だれにも言わないつもりでいたのに。気持がたかぶっていた。しいてわたしはあかるい声で、ちょっとした体験談をおもしろ半分にしゃべるかのような口調で話そうとした……さきほどの美穂のように。
「クラスの中心にいる女子のグループがね、わたしがなにかをするたびに、くすくす笑いあうようになってね。なにかをささやきあいながら笑っているからふしぎに思っていたけれど、そのうち面とむかって、からかったりばかにしてくるようになって……」
「佳織もその中に?」
「そういうことをする人たちがふえてからは、佳織もくわわるようになったな。ほかの人たちの言葉も、だんだんとひどくなって、今じゃ教室に入っただけでののしられるくらい。学校にくるな、くさい、帰れってね」わたしはほほえんでみせたが、美穂は笑わなかった。
「二年になってからも状況は変らなかった。だからわたし、ここしばらくは学校に行ってないんだ。なんだかもう、いやになってしまって。なさけないよね。わたしは心が弱いんだ」
今、自分の最も弱く見せたくない部分を、彼女に見せているとわたしは感じた。美穂にならなにもかも打ちあけられる気がした。しかし思えば、彼女もかつての親友にすぎないのかもしれなかった。わたしたちは二年間の時間の壁にへだてられていた。もはやあまりにも何もかもが変ってしまったことを、わたしは感じずにはいられなかった。
「佳織はうまく世間をわたっていける資質があるんだと思う。過去のしがらみもなにもかも、つぎつぎに切りすてて……。だって今では佳織、わたしのすわってる椅子をけるくらいのことなら、平気でするもの」
わたしは顔をあげて美穂を見た。美穂はこわばった表情で遠くをながめやり、なにかを一心に考えているようすだった。彼女の中で、あるものが音をたててくずれていくのがわかった。それはきっと、もろくも美しい、彼女にとって大切ななにかだった。わたしは今さらに罪悪感をおぼえ、胸のしめつけられる心地がした。
「……もう、仲直りはできないのね。みんな変ってしまったのね。三人でたのしく遊んだのも、もう二度とかえらない思い出になってしまったのね」
ふりむいた美穂の目には涙がうかんでいた。彼女の背後には、芝生をかけまわって遊ぶ子どもたちの姿があり、家族連れの姿があった。彼女の髪には茶色の光がおどっていた。日ざしがあたたかくわたしたちを照らす中で、美穂の涙、その目だけが青く暗かった。
わたしはうなずいた。美穂は手をのばし、ひざの上に置かれていたわたしの手を、何も言わずにしずかににぎった。
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