……学校でつかう教科書のページには、制服を着た生徒たちのイラストがえがかれていて、彼らは笑顔で解説の文章や写真などをさし示し、吹き出しには説明の言葉が書かれていたりするのだけれど、わたしは常々それを見て、彼らにはどのような人生があるのだろうかと思わずにはいられなかった。笑顔をうかべて勉強にはげむ姿をわたしたちに見せている彼らは、きっと毎日規則ただしく生活し、勉強をおこたらず、健全な交友関係を築いているのだろう。そして将来はだれかと結婚し、子どもをつくり、健康に年老い、やがてベッドのうえででも、やすらかに死ぬのだろう。そして教科書のページ上の彼らの世界も、わたしたちの住む世界と、同じものとされているはずだ。それは時々、「わたしたちの税金」「わたしたちの社会」などと彼らの言葉に書かれていることからもあきらかで、わたしたちは彼らを、自分たちと同じ日本の中学生であると考えるべきなのだろう。

 それにもかかわらずわたしは、彼らの世界とわたしたちの世界に、あるへだたりのあることを感じずにはいられなかった。それはいったいなんだろうと、わたしはしばしば考えた。……そうだ、彼らの世界はあまりに平和にすぎるのだった。たしかに彼らの世界にも、いじめはあり暴力はあり事故死はあり殺人はある。しかし少なくとも教科書上に示されている世界は、現実世界のそれから、あらゆる不可解な、処理しきれない要素を捨象して、平板な教育的教訓だけをそこから抽出していた。そこからわたしたちが、決して彼らにはなり得ない矛盾が生じるのだ。わたしたちは決して彼らではない。そう考えれば、彼らをまね、彼らのような模範的な生活をおくったところで、はたして……。

 気づくのがおそすぎたのだろうか、とわたしは思う。幾人かの生徒はわたしのことを『まじめちゃん』だとののしったけれど、それは本当であったかもしれない。わたしとまわりの生徒たちとの世界には、いつのまにか目には見えないずれが生じてしまった。それは二つの世界を峻別できなかったわたしが、教科書上の世界にも、わたしたちの世界にも完全には属せない、さびしい局外者であったからだろうか。まわりの生徒たちは教科書上の世界になど見向きもせず、彼らの人生を生きた。それに対してわたしはどうだろう。わたしはどこにいるのだろう。教室からついに居場所をうしなったように、わたしは自分の人生すらも、生きてきたわけではなかったような思いを、ぬぐい去ることができなかった。

 ……わたしはつづいて、今まで読んできた数々の物語を思いだした。わたしは幼いころから本を読むことが好きで、小学校低学年のころから休み時間には図書室に入りびたり、ほとんど他の生徒たちには読まれていない、埃にまみれた児童文学の本を読みあさっていた。それらはどれも道徳的教訓を多分にふくんでいて、わたしの『まじめちゃん』気質を形成することに大きな役割をはたしたことはあきらかだったのだけれど、しかしわたしはそこに、様々な世界を見たのだった。黄ばんだページの中の世界を駆けめぐる、当時のわたしと同じ小学生たちは、時に貧しさにあえぎ、いじめに遭い、親から虐待されていて、そして結末にも救済が約束されているとは限らなかった。そのまま変らない現実がつづくことが絶望的に示されているものもあり、迫害の末の死によって、幕がひかれる物語もあった。

 それらがわたしに与えた衝撃はいかばかりであったろう。中学に入ってからの読書経験でも、残酷で救いのない小説を読む機会は多かったけれど、あのときほど、物語の世界がわたしの心をうちのめしたことはなかった。

 成長とは多くの世界を知ることなのかもしれない、とわたしは考えた。しかし自分の住む世界での立場を確立しなければ、結局はどの世界にも属せない、局外者となってしまうのではないだろうか。わたしがそうだった。わたしはあまりにも、同学年の……あの生徒たちの世界を知らなかった。そこでどう行動すべきかも知らなかった。中学に入学したばかりのころ、すでにできあがっていた、ある女子たちの集団に一時期接近したものの、ほとんどそこで交されていた話を理解できず、入っていけなかったことが、それを端的に示していた。わたしはおそれをなして、たちまちそこをはなれたが、きっと彼女らも、あの肌がひりひりと焼けるような教室の空気の中で、敏感にそのことを察知していたのだろう。そして……。

 ……小学校高学年のころに読んだもので、特に印象にのこっている一冊があった。題名はわすれてしまったが、作者はほかにも多くの児童書を書いている有名な作家で、それはおぼえていたから、きっと図書館にいけばすぐ見つかるだろうと思われた。

 主人公はアキコという名で、当時のわたしとほとんど変らないか同い年の、小学五年生だった。アキコはわたしとは正反対の、その名のとおりあかるく活潑な少女だったのだが、あるできごとをきっかけに同級生たちから排斥され、嫌がらせをうけるようになる。段々といじめは激しさをまし、アキコは無視され、仲間はずれにされ、持ち物をかくされ、ことあるごとにからかわれ笑われる。友だちだと思っていた同級生も、巻きこまれることをおそれて離れていき、やがては喜々としていじめに加わるようになる。それでもアキコは懸命に耐えつづけるのだった。……

 その後、物語はどうなったのだろう。わたしは思いだすことができなかった。数十人の敵にかこまれた教室で、周囲の仕打ちにひたすら忍耐をかさねるアキコの、あの胸を打つ描写ばかりが、わたしの脳裡に焼きついていた。彼女はいったい、あのあとどうなったのだろう。結末にあるのは救済かもしれないし、絶望かも、諦めかもしれなかった。しかしどれにせよ、今のわたしにこそあの物語は必要なのかもしれない、とふとわたしは思った。

 わたしはアキコほど強くはなかった、とわたしは思った。アキコはどんな仕打ちを受けようとも、「わたしは負けない」と自分に言いきかせ、左右から大勢の生徒たちにからかわれながらも、しゃんと顔を上げて廊下をあるく、そんな主人公だった。

しかしアキコのその姿を、理想像として受け入れることは危険でもあっただろう。あの物語は人生の教科書としてはならない性質のものだったはずだ。なぜならわたしはアキコではなく、アキコの住む世界にいるのでもなかったのだから。わたしは弱く、心は今にもたおれそうに、あやうくかしいでいた。それがこの世界にいるわたしの現実だった。

 わたしは物語の題名を思いだそうと、もう一度こころみた。表紙にかかれた絵の印象はぼんやりとのこっているのだが、そこに書かれていたはずの題名は、どうしてもうかんでこなかった。……明日? 未来? 希望……そうだ、希望という言葉が入っていた気がした。希望の……希望を……。

 どうしても思い出すことはできなかった。やがてわたしは思い出そうとする努力をやめて、窓のそとを見やった。日はかたむきかけ、夕陽の光線があかりのついていないこの部屋にもさしこんでいた。わたしは次いで、床の上にころがっている学校の鞄、その周囲に散乱している教科書たちを見た。部屋の荒廃はまさに、わたしの心をそのままあらわしているといってよかった。その教科書の一つは裏表紙を上に向けて、書かれた名前をうすぐらい部屋の中にうかびあがらせていた。

「二年 坂口恵美」……わたしはどこにいるのだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る