密室問答 出題編②

 私の愛車であるローズピンクの軽トラックに乗り込み、危なっかしいエンジン音を上げながら先行している瀧川さんの古めかしい高級車を追いかける。助手席に座る半間は、耳に当てていたスマホの通話を切ると持ち主である私に返してきた。彼が自分のスマホを使わないのは、利用料未払いで止められているから。情けないったらありゃしない。


「僕の情報をうっかり漏らしたのは、九木くきさんだったそうだ」


 九木さんとは、某有名プロレスラーと酷似している特徴的な顎がトレードマークの、地域に根付いた工務店『九木組』の社長さん。私や半間との交流は深く、度々私を現場に呼び仕事を与えてくれるありがたい人だ。


「あの瀧川という老人、ドケチで有名らしい」


「ドケチ? お金持ちっぽく見えるけど」


「確かに複数の賃貸マンションを所有しており、家賃としてある程度の収入は得ているそうだ。その一方でギャンブルに目がないらしく、懐が裕福とは言えないのだとか」


 言われてみると、そんな感じがしないでもない。自分を大きく見せるためだけに身に着けているような服や装飾品に、メーカーこそ高級車として有名だが、実際に売ると大した金額にはなりそうもない古い車。お金持ちと言えばそう見えなくもないが、どことなく嘘っぽいというか、説得力に欠ける雰囲気を漂わせている。


「なかなか曲者の爺さんのようだぞ。経営する賃貸住宅の改修を頼んでは、何かとクレームをつけて工事費を安くしようとしてくるらしい」


「えぇ……」


 その情報と今回の『最高の密室を造れ』という無理難題を照らし合わせると、嫌な予感しか湧いてこない。しかし、どうやら目的のアパートである『コーポ瀧川』にもう到着してしまったようだ。


 建物の北側に位置する駐車場に車を停めて、二階建てのアパートを見上げる。色褪せた看板に、亀裂の入っている灰色の外壁。真っ二つに折れた樋は、巻き付いた蔦によりかろうじて繋ぎ止められている。


 住人には悪いけれど、ザ・ボロアパートと言うような風貌だ。築年数の相当古い借家に母親と暮らしている私が言えた義理ではないのだろうけれど。


「さあ、こっちだ」


 瀧川さんに案内されて、私たちは早速階段を上り二階へと移動する。細く伸びる通路の北面には、等間隔に並んだ窓が僅かばかりの明かりを取り込んでいた。


「あ、こんにちは」


 行く手に年端もいかない男の子と母親と思しき女性の姿が見えたので、住人だと確信して私は挨拶をする。母親の片手には、塗料の入った缶が提げられていた。刷毛を持つ男の子が、壁に白いペンキをべちゃべちゃと塗りつけている。


「おい、何をやっている!」


 叱咤したのは、大家である瀧川さん。母親は特徴的な細目を見開いて「ああ、す、すいません!」と慌てた様子で息子の手を引く。彼女は退いた拍子にペンキを少量零してしまい、「ごめんなさい」と繰り返しながら雑巾で床を拭いていた。


 そんな母子へ、瀧川さんは軽蔑するかのような冷たい視線を落とす。


「ところで、お前さんたちは誰だ? 儂は子連れの業者に壁の塗り替えなんぞ頼んだ覚えはないぞ」


「あ、えっと、私は業者ではありません。二〇七号室の木田摩耶きたまやです。こっちは息子の航太こうたです。ほら航太、大家さんにご挨拶して」


 母親が優しく促すも、航太君は泣きそうな目で怖いお爺さんの丸いサングラスを見つめるだけに留まっている。瀧川さんは住人のことを覚えていなかったことに対して謝るどころか「誰の許可を得て塗り替えなんてしている。私は金を払わんからな!」と凄んだ。どうやら半間が電話で確認した通り、相当ドケチな人のようだ。


「お、お金なんて滅相もない。大分塗装も剥げてきていたので、住人でお金を出し合って自分たちで塗り直そうということになりまして……」


 申し訳なさそうに説明する彼女の仕事っぷりを見ると、素人の粗さはやはり目立つ。息子である航太君にも塗らせていたようなので、当然と言えば当然だけど。


 とはいえ、まだペンキの塗られていない古い状態の壁と比べれば、どちらが綺麗かは一目瞭然。瀧川さんも自分がお金も労力もかけずにアパートが綺麗になるなら悪くないと踏んだのだろう。「次からは報告するように」と釘を刺すと、親子の脇を抜けて歩みを再開した。


「まったく。維持費ばかり高くつくボロアパートめ」


「ならいっそのこと、解体して売りに出してはどうですか?」


 思わず漏れた私の嫌味を含む本音に、瀧川さんはキッと睨みを利かせる。


「無駄にデカいから、解体費も馬鹿にならんだろうが。そこまでして売れなかったら、どう責任を取ってくれる!」


「ご、ごめんなさい……」


 一応は謝ったが、内心では怒りの感情が渦巻いており、愛想笑いが引き攣る。木田さんの顔を覚えていなかったという現状を見る限り、大家のくせにこのアパートへは滅多に顔を出していないようだ。


「居住者は現在どのくらいいるのだ?」と、半間から質問が飛ぶ。瀧川さんは怒るような口調で答えた。


「二階は先ほど出会った親子だけ。一階も二、三人程度だったかな。本当に、金にならんアパートだよ」


「一階の住人が入っている部屋番号はわかるか?」


「そんなもの、いちいち覚えていられるか!」


 不機嫌な大家さんが愚痴っている間に、通路の突き当たりまで到着した。窓のない色褪せた壁から視線を左に九十度移すと、二〇九と書かれたプレートが壁につけられた部屋の正面が視界に入る。古いのである程度は覚悟していたが、二〇九号室の状態は私が想像していたよりもずっと悪かった。


 まず第一に、玄関ドアが壊れている。取り外されたそれは通路の壁に立てかけられており、出入口はドアに変わって段ボールとガムテープで封鎖されていた。それを剥ぎ取って中へと踏み込むと、右手にキッチン、左手に風呂トイレ兼用のユニットバス。そして奥には八畳間と押入という、図面通りの1Kの間取り。和室とベランダを区切る掃出し窓のクレセント錠は、錆による劣化のせいか畳の上にポツンと落っこちていた。


「ここを密室にしろと?」


「その通り。ただし、条件がある」


 老人は杖に体重を預けながら、要求を重ね始めた。


「まず第一に、破壊による突破を前提とする密室は禁止とする。たとえどんなに強固に造った部屋であれど、重機や爆薬まで話を飛躍させればいくらでも侵入は可能となってしまう。水掛け論は避けられまい」


 まあ、それはその通りかもしれない。


「ふむ」と、半間が顎を擦りながら横槍を入れる。


「密室なんてものは、別段珍しいものではないだろう。家を戸締りすれば、他人は出入りできない密室となる。我々は常日頃から密室を生み出し、密室に身を投じながら暮らしているのだ。宇宙的に見れば、全ての生物は地球という密室に囚われているとも言える」


 飛躍しすぎて恥ずかしいことを言っている気もするが、一理あるとは思える。対して、瀧川さんが反論した。


「確かに、戸締りを行うだけで密室は生み出せる。しかし、儂が半間君に望んでいるのは『最高の密室』だ。密室トリックの解法が『ピッキングしました』では不満だろう? 故に今回は、防犯設備に頼るのも禁止させてもらう。当然カードキーや電子キー、指紋認証や顔認証などといった最新の防犯システムの導入も不可。これが第二の条件だ」


 メーカーが作った防犯設備を取りつけて「最高の密室を造ったぞ!」と豪語されても芸がないというのはごもっとも。わざわざ半間に依頼する理由もなくなってしまう。


「そして、次が最後の条件」


 瀧川さんは、ここからが本番だと言うように口角を上げる。


「儂は常々思っておった。密室とはあくまで部屋であるべきだと。部屋である以上、住人は出入りに苦労せず、問題なく生活できる状態でなければならない」


「場合によっては、部屋以外が密室と化すパターンもあるだろう」


 被害者以外出入り不能の場所で事件が起きれば、基本的にそれは密室事件と呼ばれるので、半間の言い分は的を射ている。しかし瀧川さんは「水を差すな」と一蹴して、自分の語りを再開した。


「少なくとも、儂が依頼したこの二〇九号室は人が暮らす部屋だ。第三の条件は、住人が不便なく出入りでき、安心して生活できる部屋とすること。これらを全て満たすものが、儂の理想とする最高の密室だ」


 話を纏めると……いや、纏まらない。彼の提示した条件は無茶苦茶だ。


 一つ目は『破壊行為による突破の禁止』。二つ目は『鍵などの防犯設備に頼ることの禁止』。そして、三つ目は『住人は不便なく出入りでき、安心して生活できる部屋であること』。


 三つ目の『安心して生活できること』という条件を満たすためには、壊れている玄関ドアと鍵の外れた窓の修理は必須。それを直させた後、いつものようにクレームをつけて安くさせる魂胆なのだろう。今になっては、自称ミステリー愛好家という肩書きすら疑わしい。


 本来三つ目の条件を満たした上で密室を生み出すためには、二つ目の条件である防犯設備が必要不可欠。それを禁止されてしまっては、打つ手がないように思える。


 だからこそ、最高の密室。半間が求められているのは、無謀な問いに対する答え探し。今回の案件、名付けるならば密室問答といったところか。


 半間を働かせたいのは山々だけど、マイナスになる仕事をわざわざ受ける必要もない。私が彼にその意思を伝えようとしたところ、瀧川さんは思考を読み取ったかのようにサングラスの向こうの目尻に皺を寄せて笑う。


「無論、受ける受けないはそちらの自由。もっとも、お前さんのところはこういった仕事を断らないと評判だからこそ食い繋いでいけていると聞いておるがな。断ったことが業者に知れ渡ったら、果たしてどうなることやら」


 長髪の半間が挑発されている。なんて馬鹿なことを考えている場合じゃない。子どもではないのだからサラリと涼しい顔で流せばいいものを、半間は下唇を噛んで目に見えた苛立ちを示していた。


 その表情を前に、手応えを感じたのだろう。瀧川さんは「やる気になったらここに連絡をくれ」と半間に名刺を手渡すと、段ボールによる戸締りを私たちに押しつけて悠々と去っていった。

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