【特別読切】皆藤黒助『真実は間取り図の中に 半間建築社の欠陥ファイル』

皆藤黒助/KADOKAWA文芸

密室問答 出題編①

「最高の密室というものを造ってみせてほしい」


 珍妙な依頼を携えて事務所を訪ねてきたのは、瀧川たきがわと名乗る小柄なお爺さんだった。血色は悪く頬もこけているけれど、私は見栄っ張りですと主張するかのように着込んでいる高級ブランドのスーツや金縁の丸いサングラス、持ち手に鷹の装飾が施された趣味の悪い杖などが、小物なのか大物なのか判断しかねる独特な雰囲気を醸し出している。


 瀧川さんが大股開きで座る来客用のソファーにお茶を届けて踵を返した際、窓の外を一瞥する。私が勤めているこの『半間建築社』が入っている雑居ビルの二階から見下ろす先には、彼のものと思われる黒塗りの高級車が路脇に停められていた。一見立派な車だが、相当古いように見える。売るとすれば、プレミアカーでもない限り二束三文にしかならないだろう。


「最高の密室? わけのわからないことを言うな」


 たっぷりと間を開けた後に、うちの事務所の主である建築士・半間樹はんまいつきはすこぶる面倒くさそうに言葉を返した。無駄に高い身長と、うなじの辺りで一括りにされた黒く長い髪。そして、ムカつくことに整っていると認める他ない容姿が特徴的な私の上司である。


環奈かんな。僕にも茶を頼む」


「自分でやれ」


 繰り返そう。彼は私・三宮みつみや環奈の上司である。


 目上の者に対してやや口が悪いのではと顔を顰める人もいるかもしれないけれど、この程度で済ませているのは寧ろ人間ができていると思ってもらいたい。何せこの男は、ろくに働こうとしない駄目人間なのだから。


 半間はデザインの仕事をやりたいと常日頃から口にしているが、肝心のセンスが皆無を通り越してマイナスに割り込んでいる。もちろんデザイン以外にも建築士の仕事はごまんとあるのだが、安いプライドが邪魔をして受け付けず、ついにはそういった仕事も回されなくなってしまった。今では、新米大工の私を様々な現場に派遣して得た収入で何とか食い繋いでいる始末。見るに堪えないアラサー半ニートヒモ男なのである。


 そんな彼にも、まだ唯一依頼の来る仕事が残されていた。


 施主が要求する無理難題。起こるはずのない不可思議なトラブル。そういった手をつけたくてもつけようがない困った仕事のことを、この辺りの建築業者は密かに『欠陥案件』と呼んで忌み嫌っている。遂行すればお金になるが、そもそも着手するのが難しい。早い話が、貧乏クジ。それを引かされるのが、この半間樹というわけだ。


 なぜなら、半間は欠陥案件を断らないから。それを断ればいよいよ会社は存続できなくなり、看板を下ろす羽目になる。幸いにも彼は人とは違う方向に思考を働かせることが得意なようで、これまでにも様々な欠陥案件を竣工へと導いている。その噂はすっかり業者間に広まり、欠陥案件が出た際には半間建築社へという暗黙のルールがこの界隈では定着しつつあった。


 瀧川さんが要求している『最高の密室を造れ』というものは、どう捉えても欠陥案件に該当する。半間にとって数少ない、貴重なお仕事の依頼のようだ。


 自分で入れたお茶を片手に持つ半間が戻ってきたところで、老人は杖で一度床をトンと突き、茶化すような口調で話し始める。


「儂はこう見えて筋金入りのミステリー愛好家でな。中でも密室トリックには目がない。知り合いの建築業者から面白い建築士がいると聞いて、是非とも依頼をしてみたくなった」


「それで、最高の密室を造れと? くだらんことに金を使うくらいなら、僕に美味いものでも奢ってほしいものだな」


 半間が遥かに年上でお客様でもある相手にも敬語を使わないのはいつものこと。このまま瀧川さんの機嫌を損ねてしまっては、半間を働かせる貴重な機会を失うことになる。私が雇い主の口の中に金槌を突っ込んで黙らせようか悩んでいると、瀧川さんは無理にでも話を進めようと懐から折りたたまれた紙を取り出し、広げてローテーブルの上に置いた。見たところ、間取り図のようだ。


「これは?」と私は問う。


「コーポ瀧川と言って、儂が所有するアパートの一つだ。かなり年期の入ったボロアパートで、大した収入にはならんがね」


 どこか冷めたような言い草で説明する彼の声に耳を傾けながら、私は図面に目を落とす。二階建てで、形状は東西に細長い長方形。出入口と階段は東側に一ヵ所のみで、階段の方から順に一階は一〇一から一〇九、二階は二〇一から二〇九という数字の割り振られた部屋が並んでいる。


 部屋は全て南に面しており、各部屋へアクセスする通路は北側を東西へ真っ直ぐ突き抜ける形で通っている。古いアパートと聞くと通路がベランダのように外へと解放されているタイプを思い浮かべてしまうが、コーポ瀧川は通路部分もしっかりと外壁に覆われていた。


 なので、一階でも二階でも末尾が九の部屋番号の住人は出入りの度に長い通路を端から端まで歩かなければならない。西側にも階段があればいいのにと思うけれど、建築に関する様々な制限が緩かった昔のアパートに文句を言っても仕方がない。


 部屋数は上下階共に九部屋ずつの計十八部屋で、各部屋の間取りはキッチンと風呂・トイレを除けば八畳の和室一間のみの1K。


 瀧川さんは枯れ枝のような細い指を伸ばすと、二階の一番西側にあたる二〇九号室を指し示した。


「密室にしてほしいのは、この部屋だ。ここからそう遠くはない。今から見に行かないか?」


 シシシと笑う老人からは、正直胡散臭さのようなものを感じる。断るのは簡単だけど、半間を働かせるにはいい機会なのも事実。現場を見に行くだけならば、損はないだろう。

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