密室問答 出題編③

 二人きりになる二〇九号室。瀧川さんが杖を突きながら階段を下りる音が聞こえなくなるのを待ってから、私は口を開いた。


「まさか、受ける気じゃないよね?」


「ふん。勝機の見えない賭けに乗るほど、僕は馬鹿ではない」


 ムキになるかと思いきや、意外にも半間は冷静だった。安堵する一方で、この男が考える最高の密室というものを見てみたかったと思っている自分もいる。しかしそれは、損をしてまで見たいものじゃない。


 受けないことが決まった以上、もうこの部屋に留まる必要もないだろう。さっさと段ボールとガムテープで元通りに封鎖してお暇しようと振り返ったところで、思わぬ来訪者と鉢合わせになる。


 玄関先に立っていたのは、小さな男の子。先ほど通路で出会った木田さんの息子の航太君だ。


「航太! どこに行ったの?」


 直後に、息子を探す母親の声が通路を介して聞こえてくる。私が「こっちですよ」と玄関から出て手招きすると、木田さんは申し訳なさそうな顔を携えながら小走りで駆け寄ってきた。


     ◇


「大したもてなしもできなくて、申し訳ありません」


 成り行きで招待された木田さんの部屋にお邪魔して、お茶をいただくことになった。「いいえ、お構いなく」と遠慮する私の隣で半間が「茶菓子はないのか?」と失礼な要求をしたため、頬を思いきりつねり上げてやる。年中金欠のこの男は、隙あれば食べ物にありつこうとするハイエナのような習性を持ち合わせているのだ。


「すみません。お客さんを招くことも滅多にないので、そういったものは準備していないんです」


 必要ないのに謝罪する木田さんは、半間と目が合うと頬を赤く染めて視線を逸らした。毎日顔を突き合わせていると忘れそうになるのだが、この男は腹立たしいことにイケメンと呼ばれる部類に入る容姿を持っている。彼と顔を合わせて木田さんのような反応を示してしまう女性は少なくない。中身は酷い有様だというのに。


 いっそのこと、ホストにでも転職すれば大金を稼ぐことができるんじゃないだろうか。いや、不愛想で敬語もろくに使えないこの性格では、それも無理かもしれないな。


「ここに住み始めて長いんですか?」と、私は八畳間の和室を見渡しながら木田さんに問う。間取りは先ほどまでいた二〇九号室と全く同じ。おそらくは他の部屋も、全て同じ配置の1Kなのだろう。


「ええ。この子が生まれた時からなので、もう六年くらいになりますね」


 木田さんはウルトラマンのソフビで遊んでいる航太君の頭を撫でながら、優しい口調で応える。この部屋にあるものからは、母子以外の気配を感じ取ることができない。私自身がそうなので、こういうのは何となくわかってしまうのだ。航太君にはおそらく、一緒に暮らす父親がいないのだと。


「でも、そろそろ引っ越した方がいいのかもしれません。この子も来年には小学生になりますし、今の間取りでは流石に手狭になるでしょう」


 確かに、せめてもう一部屋は欲しいところだ。とはいえ、二間のアパートへ引っ越せるのであればとうの昔に実行しているはず。あんな大家でも我慢して暮らしているのは、瀧川さん自身が愚痴っていた通り安い家賃が理由なのだろう。


「ふむ」


 半間は何か思い当たることでも見つけた様子で、顎に手を添える。そして――。


「よし、環奈。あのいけ好かない老人の依頼を引き受けるぞ」


 どういうわけか、突然乗り気ではなかったはずの密室造りの依頼を持ち出してきた。


「はぁ? 何でいきなりそうなるわけ!? 受けないって言ってたじゃん!」


「そんなことは言っていない。勝機の見えない賭けには乗らないと言っただけだ」


 ――つまり、半間には見えているということだろうか。瀧川さんの無理難題を突破できる『最高の密室』の形が。


「木田さん。悪いがキミにも協力してもらうぞ」


 半間が要請すると、彼女は再び頬を赤らめながらあっさりと頷いてしまった。

 こうして、密室問答は解答へと移ることになる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る