第4話 肝試し

 肝試し当日の、夜八時。

 電気をつけた本堂に、町内の子供とその保護者が集合しています。

 私と桃ちゃんは本堂から自宅へ続く、暗い廊下にいました。閉められていた戸を無理やり私が開けて、その握りこぶしくらいの隙間から孝一を探します。

 お父さんの説明している声が聞こえました。

「これから、くじでふたり組みになってもらいます。ルートは西側の雑木林を抜けて、墓地を一周。終着点の近くには、お地蔵様が並んでるので、そこにあるお札をとって、戻って来てください」

 一組が出発して、五分経ったらもう一組が出発。残っている子は、本堂で怪談を聞きながら待機だそうです。

 私はヒロと宮子を見つけました。二人とも廊下側に座っているので、その表情がよく見えます。

 ヒロがこの世の終わりのような絶望を湛えているのに対し、宮子はわくわくして友達と話していました。兄妹なのにこの差はいったい。

「孝一だ!」

 私ははっとして、桃ちゃんの指す方を見ました。一番後ろに座っている家族連れです。

 孝一はかなり背が高い子でした。ヒロより、頭ひとつ分高いでしょう。スポーツをやっているのか体格も良く、たくましい男の子に見えました。

 一方の妹は、二、三歳のようです。淡いピンクの服を着て、お母さんに抱っこされています。孝一とその友達にあやされて上機嫌に笑っていました。

 ああ、と思わずため息が出ました。

 これはどうしようもないなと思ったのです。

 こんな小さな子に怪我をさせたら、その家族が怒り狂うのは当たり前です。しかも怪我をさせたのは一年前、相手は赤ん坊だったはず。

 しかも、お母さんはとても神経質そうな女性でした。蚊がいるのか不機嫌な顔で、手で鼻先を払っています。

 私は思わず桃ちゃんに非難のまなざしを向けましたが、すぐにやめました。

 一目で分かるほど、桃ちゃんはしょげ返っていたのです。

 私は視線を和らげ、聞きました。

「これから、どうするの」

「どうするって……」

 しょんぼりしたまま、桃ちゃんは寝そべり、ぬいぐるみに顔をうずめました。

「……とりあえず、会うよ。会うもん」

 自分に言い聞かせるような言い方です。しかし、桃ちゃんは立ち上がろうとしませんでした。

 そうしているうちに、ペア決めが始まりました。

 宮子は下級生の女の子と組むようになったようです。よろしくと挨拶しているのが見えました。

「ヒロくん、何番?」

「誰と組むの?」

 六年生の女の子ふたり組が、きゃあきゃあ言いながらたずねました。

 自分の友達とペアを確認しあっていたヒロは振り向くと、言葉少なに言いました。

「岡崎さんと。最後」

 語尾が震え、顔全体がこわばっています。よりによって最後とは、くじ運のない子ですね。大丈夫でしょうか?

 桃ちゃんがあっと声を上げました。孝一がヒロに話しかけたからです。

「笹渕さんだよね、最後。ペアだからよろしく」

 にっと笑いかける孝一は、ぜんぜん肝試しを怖がっていないようです。対して、八割魂の抜けた表情で応じるヒロ。

「うん。よろしく」

 女の子たちはちょっと残念そうにしています。ヒロと孝一の友達たちは、期待と恐れの混じった様子で話し込んでいました。

 そんな中で桃ちゃんは、激しくぬいぐるみの耳を噛んでいます。

 ありがちなパターンになってしまったな、と思っていると、保護者たちが境内へ出て行くのが見えました。

 お父さんが声を張り上げています。

「大人には、迷子が出ないように交代で見張りをしてもらいます。脅かし役の人は一切いません。勝手に出るだろうから必要ないんだよね」

 にやにやしながらわざと、最後の“出る”をと強調してお父さんは言いました。とたんに察しのいい子供たちはしんとなりました。

「あれ、お母さんがまだいるよ」

 孝一の妹がむずかっており、それをあやしているためお母さんは出遅れたようです。

 友達と話していた孝一がそれに気がついて、お母さんに話しかけました。

「オレ、美緒みてるよ」

 孝一は妹の美緒には笑いかけたのに、お母さんに対してはぶっきらぼうに笑いを引っ込めます。

 彼の視線にもどことなく棘が混じっているような気がして、私は首を傾げました。反抗期でしょうか?

「……本当? 大丈夫?」

 お母さんは不安そうでしたが、孝一はむっとしながらも真剣な表情で、うなずきました。

「大丈夫。前みたいなことには絶対ならない」

 前みたいなこと?

 私が疑問に思ったとき、ひゅうっと、息を呑む音が聞こえました。

 振り向くと桃ちゃんが、目を見開いてぬいぐるみの首を絞めています。

 私はびっくりして尋ねました。

「何? どうしたの」

 答えず、桃ちゃんはうなり声を上げています。

 まだちょっと不安そうなお母さんが、美緒とバックを孝一に預けるのが見えました。

「前も、こうだったのに」

 いらつき、恨みがましい目で桃ちゃんは孝一をにらんでいます。

「前も、お母さんに頼まれて孝一と一緒に美緒をみてたの。そのときに美緒に怪我させちゃったんだ」

 私はワンテンポ遅れて、返事をしました。

「相手は赤ちゃんでしょう。我慢できなかったの」

「急に引っ張られてびっくりしちゃったから」

 そのまま勢いで、美緒の腕を思い切り引っかいてしまったのだと言いました。

 鼻息荒く、桃ちゃんはそうだよね、と吐き捨てました。

「前みたいなことには絶対にならないよね。私がいないんだもん!」



 まずいことになったと私はあせっていました。

 桃ちゃんの毛は完璧に逆立っており、怒りに燃えた目だけがぎらぎら光っています。

「結局あたしがいなければよかったと思ってるんだ。こんな女の子捨てて正解だったと思ってるんだ! 最低……絶対祟ってやる!」

 今にも孝一に飛び掛っていきそうになる桃ちゃんを押さえ、私は叫びました。

「そんなこと言ってないでしょう! こんなに人がいっぱいいるところに飛び出すのはやめなさい!」

 ううう、となおも桃ちゃんのうなり声は止まりません。

「だって、そうとしか考えられないもん! 他に何があるっていうのよ?!」

「桃ちゃんのこととは限らないでしょう? 一年会ってないんだから!」

 ちょっと桃ちゃんがひるみました。

「でっ、でも……あたしのことだっていう方が、可能性が高いでしょ?!」

 確かにそれはそうなのですが、本当に祟られたら困ります。

 私が口を開こうとした瞬間、暗かった廊下が、さらに暗くなりました。

 無理やり開けた戸を、お父さんが閉めようとしていました。私と桃ちゃんはあわててやめてと懇願しましたが、お父さんは無視。

 あっけなく戸は閉められてしまいました。

 閉まる瞬間、こちらを向く子供たちの好奇心旺盛な顔が見えました。どうやらうるさくしすぎたようです。戸越しに向こうのざわめきだけが伝わってきます。

 腹を立てた桃ちゃんはぬいぐるみを振り回しました。首の縫い目が悲鳴を上げているのを見て、思わず私は尋ねます。

「大事なものじゃなかったの、それ」

「孝一からもらったものだからいいの!」

 そう言いながら桃ちゃんは、落ちた中綿の一部を踏みつけます。

 八つ当たりの相手にされたぬいぐるみの行く末を思い、私は目をつぶりました。



 結局私たちは廊下の窓から、肝試しを見守っておりました。

 出発する子はたいがい緊張しているかはしゃいでいるかのどちらかです。しかし、帰って来るこの反応はさまざまでした。

 怖がって泣いている子、楽しんできた子、不満そうな子、強がっている子。

 宮子とペアの子は、まずまず楽しんで帰ってきたようです。

 なぜかペアの子は、しきりに“綺麗ですごかった”と言っています。何がすごかったのでしょうか?

 宮子も笑って応じていましたが、なんとなくその笑みはこわばって見えました。実は宮子もちょっと怖かったのかもしれませんね。

 桃ちゃんはまたぬいぐるみを噛んで子供たちをにらんでおり、私がいくら早まるなと話しかけても生返事をするばかりでした。

 やがて、孝一のお母さんが最後のペアを呼びました。彼女は見送りと出迎えの係りのようです。

 境内にヒロと、美緒とバックを抱えた孝一が出てきます。

 ぴくりと、桃ちゃんが反応しました。

 お母さんに美緒とバックを返し、懐中電灯をいじっている孝一。ちょっとわくわくしているようです。

 ヒロは対照的に黙ってスニーカーの靴紐を結んでいます。何かあったらすぐ逃げられるように準備しているのでしょう。

 私が笑っていると、突然目の前の網戸が開きました。

 硬直して、私は桃ちゃんを見ました。いつの間にそんな技術を身につけたのでしょう。

 桃ちゃんはぬいぐるみを廊下に投げ出して、窓のふちに足をかけていました。

「何……してるの」

 かすれた自分の声に、凛とした桃ちゃんの声が重なりました。

「孝一のとこ行く。ついて来ないで」

 そしてそのまま止める間もなく、桃ちゃんは夜の中へ滑り出て行ってしまったのです。




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