第3話 思い出
晩御飯がすんでお腹が落ち着いた頃。
私と桃ちゃんは窓辺のカーテンの陰でくつろいでおりました。ここは暗くて涼しくて、居心地がいいのです。
ぼんやりしていると、兄弟の秘密めいたささやき声が聞こえてきました。何か動きがある予感。
私はひょっこり、カーテンから目だけ出して状況をうかがいます。桃ちゃんもすぐまねっこをしました。
ちょうど作務衣姿でうちわを使いながらくつろいでいるお父さんに、兄妹が話しかけているのが見えました。
「お父さん、ちょっといい?」
「どした。テレビのチャンネルのことか?」
お父さんは少しだけ眉をひそめています。
そういえばさっきまで、ヒロとお父さんはチャンネル争いをしていたのでした。結局じゃんけんでお父さんが勝ち、今は野球を見ています。
変えていいの?! と食い付きそうになったヒロの足を踏んで、宮子は首を横に振ります。
これから頼みごとをするので、お父さんにはより機嫌のよい状態でいてもらいたいのでしょう。なんというか、計算高い子です。
ぎりっと歯を食いしばって、ヒロは踏まれていない方の足で、宮子の足を踏み返しました。
「おいおい、ケンカなら外でやってくれよ」
「いいの、ケンカじゃないから」
「そうそう、そのまま聞いて」
お互いぎりぎりと歯を鳴らしながら足を踏みあい、無理やり笑う子供たちを見て、お父さんはあきれてしまったようです。
「気になるから座れ。あ、お互いちょっと離れて座れ。で、なんだって?」
一応話をちゃんと聞いてくれる気になったのか、お父さんはテレビの音を小さくしました。
宮子がDS新ソフトのため、真剣な目をして話し始めます。
「あたしね、この時期肝試しとか不謹慎だと思うの」
おや、さすがに寺が呪われている案はやめたようです。
隣ではヒロがうんうんと、殊勝な顔でうなずいています。
「ほら、一年前に火事があって、あたしよりいっこ年下の女の子が亡くなったじゃない? うちのお寺でお経読んだりもしたしさ」
「ああ、うちの町内の子だったんだよなぁ……」
可哀想だよな、とお父さんは目を伏せました。
桃ちゃんが来た日のことだ、と私は思いました。
桃ちゃんは寂しそうに、きゅっとぬいぐるみを抱きしめています。
ふと、鼻を鳴らしたような音が聞こえました。
見ると、お父さんがちょっと困った顔をしています。
「でも肝試しは、その子の友達のリクエストだしなぁ。不謹慎か、どうか」
「ええぇっ?!」
宮子より先に、ヒロが素っ頓狂な声をあげました。な、なんでと立ち上がりかける息子を落ち着かせるため、お父さんはヒロをうちわで扇ぎます。
「まあ落ち着け。亡くなった友達と、やりたかったことのひとつなんだろう。さっき電話があってさ、親御さんにも頼まれたから、もう寺使っていいって言っちまったよ」
「えー……」
「そんな~」
あらら、それでは肝試しは決定事項になってしまうのですね。
がっくりする兄妹に、私も同調したい気分でした。しかし桃ちゃんはんふふと勝利の笑みを浮かべています。ああ、どうしよう。
兄妹の反応を見て、お父さんは苦笑しました。
「お前たちだって、お母さんとしたかったこといっぱいあっただろ? それときっと似たような気持ちだ。自分の家が騒がしくなるくらい、我慢してくれないか?」
桃ちゃんの笑みが消えました。
う~ん、と兄妹は口ごもって、ちらりとあるものを見ています。
それは棚の上に飾ってある、微笑んだお母さんの写真でした。
沈黙がおりました。
ヒロは下を向いて、気持ちを押し込めるように手を揉み絞っており、宮子は眉を下げ、親指の爪を噛んでいます。
二人の顔は今まで見てきたどんな表情より、複雑で難解でした。
しかし、やがてヒロが言いました。
「そうだね。その子達がそうしたいなら、そうした方がいいよね」
難解だったヒロの表情は、今は泣き笑いのような顔に落ち着いていました。
それを見てか、宮子も半泣きの表情になっています。
「……うん……」
と、口から指を下ろし、しおれた様子でうなずきました。
とたんにしんみりしてしまった家族の様子を見て、私は胸が痛みました。
桃ちゃんもそう思ったのか、ぬいぐるみごと私に寄り添って、小さく息をつきます。
ヒロは小さく鼻をすすると、立ち上がりました。
「風呂入るね」
いってらっしゃい、と宮子が言い、彼女自身も立ち上がります。
「あたしも、宿題やる。お父さん、ごめんね」
表情こそ沈んでいましたが、二人の声はいつもどおりで、微塵も震えるところがありませんでした。
兄弟が部屋から去ったあと、お父さんは宮子と同じように、不意に私たちと目を合わせました。
私はそのまま目をそらせません。カーテンから這い出ると、寝そべってしまったお父さんの枕元に座りました。桃ちゃんも後に続き、私の背後に座ったのが分かりました。
「また盗み聞きしてたな」
笑いを含んだやさしい声に、私は答えられずにうつむきます。
「ヒロもなぁ、もうちょっと怖いの平気になればいいのにな。昔脅かしすぎたか」
妹と共謀して肝試しをなくそうという試みを、お父さんはお見通しだったようです。
兄妹が幼いとき、お母さんとお父さんがそろって怖い話をしていたのを思い出しました。
お父さんの話があまりにも怖いので、お母さんにしがみついて泣き出すヒロ。
半分寝ている宮子を抱えながら、笑ってヒロを受け止めるお母さん。
お父さんはもう私たちの方を向いていませんでした。天井にうつろな視線をやり、目を閉じてからさびしい笑みを漏らしました。
「……佐和子が生きていればなぁ……」
私は何かを言おうとして口を開き――無理やり言葉を飲み込みました。
意味の通じる言葉をまだ私は持っておらず、言ったところで何の慰めにもならないことが分かっていたからです。
桃ちゃんが、悲しげな表情をしてお父さんの顔を覗き込みました。
亡くなった妻の名を呼び、かすかにまどろむ彼の額に頬を寄せ、私は考えていました。
こうするだけで、思いやる気持ちが伝わればいいのに、と。
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