朽ちた街 その2

 微かな鳥のさえずりが聞こえた。


 網膜の裏側を透かす紛れもない陽光を感じた。


 私の胸の間で蠢く温かみを感じた。


 それは何事の無い朝の訪れだ。私は寒さの中で生き残り今日も命があることを実感する。もしも凍死したのなら今頃はこんなみすぼらしいボロ布と落葉の寝床になどいないだろう。

 さてさて起きねばならない。寒さに気を使いすぎて今更の空腹に襲われている。なんでもいいから食事で体温と脳細胞を活性化せねば……。


 昨夜は最悪だった。

 睡眠時間が短くて吐気がする。

 水も無いので雪を食べるも逆効果で手先の震えが止まらない。

 珈琲豆を噛みしめて飢えを誤魔化すのも限界が近づいていた。

 全ては箱が悪い。箱、呪うべし……。


 その時、一時の怒りで理性を取り戻し私は寝ぼけまなこに疑問を浮かべた。

 突如として私は数秒前の台詞と感触を反覆して思い出す。



 ―――――ん? 温かみ?


 確かにふわふわとした柔らかな肌ざわりとほんのりと熱気を感じる。

 恐る恐る寝袋の中を覗き込むとそこには紅く輝く二つの眼が……。


 ……。


『「ぎゃぁぁぁっぁぁぁぁぁぁああああああああ!!!!!」』


 私の悲鳴に呼応するように赤目は叫び出す。

 錯乱した私はジタバタと暴れまわり赤目は支離滅裂な声を漏らす。

 活発な芋虫の如く寝袋で跳ねまわる私に対し箱が悲しげな眼で見ていた。


[朝から元気だね……。寒すぎて頭が凍ってしまったんだね。可哀そうに……。]

「人をからかってないで助けなさい! 私の寝袋に何か潜り込んでるの!」


[(ヾノ・∀・`)ムリムリ! だって今縛られてるもん。]


 転げまわりながらも赤目を掴もうと腕を伸ばすが、なにぶん寝袋が狭く動き回るも相手を捉えることすら出来ない。なら私が寝袋から脱出すればよいのだ。

 立ち上がり留具のチャックに指を掛けて引き下ろす。外気の寒さに感づいた赤目は必死に私の胸元から腹部へ這いつくばる。

 接触面が柔らかな羽毛でくすぐられるような刺激で撫で下され思わず足がもつれる。その時だ。勢い余って私は切株の陥没した窪みに足を取られ盛大に転ぶこととなった。


『「ぎゃぁぁぁっぁぁぁぁぁぁああああああああ!!!!!」』


 その場には再度二つの悲鳴が木霊しその後の静寂が訪れる。


 ―――数分後


『我に罪など無いのだ! あの寒さは死活問題であり、決して目的では無いのだ! だから、だから! 食べないでくれなのだぁぁぁああ!!』


 手足を縄に縛られ悶えるウサギは必至の抗議を訴えかける。私としては知ったことでは無いのだが、その姿は見れば見るほど完璧だった。まるで市販の玩具屋に置かれた人形と見間違えるほどだ。

 毛並みは白く絹糸の柔らかな感触と光沢を連想させ。潤んだ瞳は赤く、水に濡れた金時豆ビーンズに見えた。そして寒さの中で育ったとは思えないほど“ふくよか”な体系は多少の愛らしさを感じられる。

 話の下りからお気付きだろうが、このウサギが先程の赤目不届き者なのだ。


「貴方の言い分は以上かしら?」

[おーい。そろそろ火が着きそうだよ~]


 縛り上げたウサギから聴取を取りながら私は昨夜の火起こしに再挑戦していた。しかし着火用の石は箱が食べたのにどう火を確保するか? そこは安心して欲しい。別の方法を私は編み出した。


「意外に早かったわね。もしかして貴方、火起こしの才能あるんじゃない?」

[かもね。ただ咥えて待つだけで火が着くなんて楽な仕事だよ。]


 箱が咥えていたのは鑑定用のルーペだ。ガラス製のやや倍率のある何の変哲も無い代物だが、今回は観賞ではなくその角度は朝日の光を取り入れ、集めて置いた落葉へ注がれていた。

 木炭の隙間に敷き詰めた落葉から少量の煙が上がり、早朝の無味な空気に焦げた匂いを漂わせる。普段は運搬用の品物の小傷などを確認するための道具でも火を付けれたことに内心で安堵する。箱は意外と驚いたのか尋ねた。


[それにしてもよく光を集めて火を付けるなんて思いついたね。]

「前に立ち寄った砂漠で太陽と鏡でフライパンを温めて肉を焼いていた人がいたでしょ? 日光は暖かい。なら集めたら熱くなると思ったの。」


[君は知識はそこそこなのに感はズバ抜けてるよね。]

「怒る体力も無いから誉め言葉として受け取っておくわ。」


 私の観照には関心はなく話を聞き流して「でも凄いね」と拍子抜けに箱が呟いた。

 枯葉に湧く火種がやがて丸めた紙を飲み込み炎へと姿を変える。勢いに任せ炭を包み込む熱は私の手足に沁み込んだ寒さを和らげてくれる気がした。


[あれ? 火柱が弱まってない? 失敗しちゃった?]

「ここから重要だそうよ。炭に赤みが見えたら空気を送るわよ。」


『あのぉ……。縄を解いて下さい、なのだ。こうして話せるのも何かの縁、お互い理解しあえば最悪の結末は回避できると思うのだ。』


 命乞いを続けるウサギに私は何の感情も浮かばない。

 炭の機嫌も良い様でこんな凍てつく朝にも逞しい炎を灯らせてくれた。なんとも言えない達成感と高揚感に浸りながら私は次の作業に移ることにする。


「それじゃ。このウサギは美味しく頂きましょうか。」

[久方ぶりの新鮮なお肉だね。前回まともに食べれたのは一月前だったかな?]


 箱の生唾を呑む音が響く。箱に舌や喉が存在するかも怪しいが空腹で何をしでかすか分からないので、昨夜みたく勝手に喰べたられる前にさっさと小動物を捌いてしまいたい。


『あわわぁ。死にたくないのである! 食べられたくないのであるぅ!』


[そういえば、この子どこから来たんだろうね?]

「今更そんなことどうでもいいわ。食べてしまえば皆一緒よ。」


 今は冷静な考察など後回しでリュックに手を突込み中を弄る。あれやこれやと気になる物は片っ端から詰め込んで必要な物を見付けづらい状況に陥っている。やっと掴みだした物は折り畳み式のナイフだ。


[捌けるの?]

「そんなの、初めてなんだから分からないわよ。」


 刃先に少量の赤錆が浮いている。しかし切味は問題ないので研いではいない。

 持ち手は握りやすいよう木製のグリップが付いている。重さは女の私でも振えるほど軽いが戦闘や護身のためではない。あくまでも調理道具として使っているだけだ。


「でも、首を落して血抜き、内臓を取って皮を剥ぐ。そんなもんでしょ?」

[なんだ知ってるじゃないか。まっ僕は丸飲みでも行けるけどね。]


 刃物ナイフをウサギの首元に近付け白い毛並みを押し分けると鉄のナイフが地肌に触れた。無機物ナイフを通して伝わるウサギの心音が生々しいく私の手の平に伝わってくる。一呼吸から指先に力を込めて引き裂く刹那のことだ。


「何をなさってるのですか?」


 まるで完璧な時機タイミングを見計らったのか、声がした。

 性別も分からない幼子の声が無垢な疑問を問いかける。

 私は恐る恐る振り向いた……。

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