朽ちた街 その1

本来その街に行く目的は無かった。

沈んだ夕陽を惜しみながら無性に腹立たしさが沸き上がる。

私の憤怒を感じ取ったのか“ソレ”は語り出す。


[なんでそんな依頼を受けたんだい?]


赤子のような高音は問いかける。鬱陶しいほど嬉しそうにだ。

周囲に人の姿は無く、されど私は靴の泥を払いながら短調に答えた。


急遽きゅうな配達の依頼を受けたまでは良かったの。前払いでそれなりの額、届け先も次の目的地と方角は同じだし、いいかな? なんて思っちゃったの。」


「キャキャキャッ。欲に眩んだ君が悪いよ。キャキャキャキャァ」

「私だってこんな悪路を歩かされるとか考えて無かったわよ!」


姿を現さないそいつは更に気分が良さそうに高らかな笑いを漏らす。

日が沈む前には目的の街に到着して、今頃は臨時収入で宿屋を借りる予定だった。

思いっきり贅沢に湯浴みして数日分の汚れを落そうと思っていたのに、浮ついた数時間前の私を殴りたい……。

そんな気持ちでは足取りは重くなるばかりだ。

立ち止って後悔を吐き捨てても春の雪解け道から抜け出せる筈もなく。歩き疲れて、たまたま見つけた切株イスに腰を落ち着かせる。

静寂の中で頭を抱えた。


「まさか貰った地図の道全てが落石、土砂崩れ、挙句に崩落でほとんど通行止めとかシャレにならんわよ。今の道だってもう最悪……。」


どうしたものかと見上げた空には星が煌めいている。夜の曇りない星空に当分は雨の気配も感じられない。諦め半分の野宿を余儀なく告げられた気分だ。


「お金だけ頂いて、この荷物捨ててもいいかしら?」


悪の囁きが口から漏れ出た。考えても見れば先払いした依頼人が悪いのだ。

私に頼んだのが運の尽きだとご都合に開き直る。


[また君はそうやって諦めて。受けた仕事は果たすのは義務じゃないの?]


そんな義務はない。そう言いかけて止めた。

私は運び屋でも無ければ、こんな仕事に熱意がある訳でも無い。

でも“人”として私は果たさなければならない気がしたのだ。


「分かってるわよ! 今日はゴツイ切株の上で野宿で我慢してやる。でもね、次は絶対にフカフカのベッドで清々しく寝るの! そのために、この依頼は後腐れ無くやり切ってやるわよ!」


[キャキャキャッ。その調子その調子。]


やけくそに誓った私を嘲笑うように“ソレ”は愉快に笑った。

切株のハードベッドは私が横になっても余裕があるほど広い。

私は背負ったリュックを乱暴に投げる。


「いてッ! もっと慎重に置いてよ!」


切株の上を数回跳ねたリュックから小さな箱が零れ落ちる。

“ソレ”の声は箱の中から強く響いていた。


「黙りなさい。私だって疲れてるの。それとも泥の上で寝たいかしら?」


全体が動物性の革で継ぎ合わされた箱だ。

茶色く分厚い牛革に似た質感と片手で掴めるほどの大きさである。

箱の蓋が浮き上がり細い隙間から闇が見えた。夜の森に溶け込めるほどの暗闇、手を伸ばせば吸い込まれるような果ての無い闇黒がそこには存在した。

閉じた瞳が開くように箱の隙間に2つの淡い輝きが灯る。それは宝石の翠玉色エメラルド黄水晶シトリンの光の如くキラキラとこちらを伺い、月も無い夜闇に鉱石の輝きを放っている。


「ホント、僕は君と契約してツクヅク運がないよ……。もっとお金持ちで裕福な所と組んでいればこんな事には成らなかったろうな~。」


箱はコロコロと転がり器用に切株の淵を周る。

あの正方形の中身がどんな状態で収まっているかは不明だが“ソレ”の中身に外傷は無いのだろう。回りながらも喋りは軽快に続いていた。

別に本心からの台詞では無いと知っている。だが敢えて私は答えたいと思う。


「だったら今すぐ私との契約を切る?」

[それはゴメンだよ。こんな山道で次の契約者が見つかる保証がないからね~。]


「それなら尚更のこと置いていこうかしら。うるさい声は消えるし食費も浮く。人様にも迷惑は掛からない。うん、なかなか最高ね。」

[そこまで言うなら僕は君を食べちゃうよ~?]


お互いに長い付き合いなのでこれぐらいの会話は日常茶飯事いつものことだ。

他愛無い雑談と同時進行で私はリュックからボロボロの寝袋を取り出す。


「それだけだと寒くないのかい?」

「そりゃ寒いわよ。せめて暖は取りたいわね。」


夜が深まるにつれ、気温も落ちて行く。

着込めば防げるなんて甘い段階レベルを超えた寒さに自然と身震いする。

このままでは凍死で永眠せざるを得ないと感じた私は再度リュックに手を入れ、とある物を取り出した。すかさず箱が興味気に尋ねる。


「なんだいそれ?」


取り出したのは小さな布袋、中身の詰まった硬い感触が指に伝わる。

指が汚れるのが嫌で私は軍手を嵌めてから中身を取り出した。


「これは木炭よ。別に大したものじゃないわ。」


譲り受けたきこりの話では木を特殊な方法で燃やすと出来る燃料とだけ聞いている。外見は黒く一見は燃えカスにも見て取れるが、この木炭を火にくべれば長く暖を取れるそうだ。

多少強度はあるが端の方は脆く、触ると微量の屑が手に付着いてしまう。

私は知る限りの情報を語りながら木炭を切株に並べて行く。


「なんだか嬉しそうだね。まるで子供みたいだ。」

「そうね。確かにこれには期待してるかも。前々から試す機会を待ってたもの。」


箱は知らないだろうけど、この木炭はそこそこの対価を支払っている。

金銭的な取引は難しいため私の三日分の乾し肉と交換してもらった。

即ち食欲よりも物欲に負けるほど私は寒さが苦手なのだ。


「さて、こんな感じかしら?」


濡れた地面で火を起こすのは難しい。

その場しのぎではあったが、適度な湿り気はあるが強度のある枝を集め敷いただけの簡易な土台の完成だ。さてここからが本題なのだが……。


「聞いた通りなら焚火と同じ要領のはず。火種からの手順は変らないから……。」


円形に黒い柱が並べその中央に予め空洞を作っておく。

空いた空間を埋めるように発火材を敷き詰めれば準備は万全である。

最初は少量の紙だけだったが、不安があったので比較的水気の無い落葉を追加した。


[何だか焦げた菓子パンみたいだ。]


その例えは私の空腹に直角に突き刺さる。

火があれば暖を取る以外に雪を溶かして真水でき殺菌も出来る。あとは食材の調理で温かいご飯が食べれるといいこと尽くめ、考えただけで空腹は加速してしまう。

いかんいかん意識が飛ぶところだった。


「あとは火打石でと、あれ?」

「あ……。これかい?」


そこには美味しそうに火打石を食べる箱の姿が……。


「なぜだぁぁっぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああ!!!!」

「お腹が空いてて、つい!」


「つい! じゃない! どうすんだよ火起こせないでしょがぁぁあ!」

「まぁ怒らない。僕も何か食べないと生きてけないからね!」

「だからって火打石それ初端しょっぱなから食べるかしら!?」


その後、無駄な小競り合いの末に消沈した私は寒さと空腹を押し殺して寝袋に潜る。

箱は当分空かないように紐で巻いて放置した。

唯一救いと言えば、発火材に用意していた落葉だ。

思いのほか量が多く寝袋の上からかぶれば多少は寒さも紛れるかもしれない。


その僅かな期待はいとも容易く寒さに屈し、私が寝付けたのは朝方近くだった……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る