第3話 ファミレスにて
部屋を出たのは夜の五時半。俺たちは夕食をとるために国道沿いのファミレスにきていた。
部屋の中ではモー娘。ファンであることがバレずにすんだ。まるで完全犯罪をくわだてたような気分。だが、油断はするな。会話のふしぶし、しぐさ、などからモーヲタであることが発覚する可能性がある。
たとえば、有線でふいにモー娘。の曲がかかった時の俺の微妙な顔の変化を読み取られてしまったりな。プロなら見抜いてくるはずだ……。
プロって……なんのプロやねん?
「ドリンクバーやけどかんぱーい!」
マオミが声をあげ、俺とトモヨがグラスをカチンと鳴らせる。
ジンジャー・エールをひとくち入れ、俺は思う。明るく、少しビッチ風なマオミ。控え目ながらも今時のお洒落な子トモヨ。いい子たちじゃないか……。
本来の目的を思い出すんだ。それはこの子たちと三角関係を築き上げることなんだ。そしてモー娘。の歌のような青春を実践するのだと。
運ばれてきたステーキをナイフで切っていると
「なぁ〜、小日向くんって今、彼女おるんやったっけ〜?」とマオミの質問が飛ぶ。
数年前の自分ならこの時点で、彼女がいるかいないかに興味があるということは俺のことが好きに違いない……と動揺していたが、俺はもう三十近い大人。
「ん、おらんよ。なんで〜?」
と冷静に対処する。
「前につきあっていた人とは別れてからどれくらい経つの?」とトモヨ。
少なく見積もっても七年以上は誰ともつきあっていない。が、素直に言うとキモがられてしまう。ある意味、純白に近い状況なのに、なぜキモがられなければならないのか? 異性を傷つけていないはずなのに、なぜ人として欠陥があるように思われないとだめなんだ?
だが、俺は世の中のルールに迎合する。
「あれはたしか、去年の秋やから……もう半年くらいになるかな……」
存在もしなかった彼女に思いをはせ、俺は遠い目をしてみる。
「前の彼女とは、なにが理由で別れたん?」とトモヨ。
「え?」
思わずステーキを切る手がとまる。
「いや、言いたくなかったらいいよ」
俺はなぜ、恋人と別れてしまったのだろうか? 思い出せない。どうして思い出せないのか?
それはそもそも恋人が存在しなかったわけで……。
嘘は嘘を呼び、さらに嘘を要求される。木が林になり、林が森になっていくようにどんどんとふくれあがる。
彼女と別れた理由、それは……。
「……音楽性の違いってやつかな」俺はつぶやく。
「あはは、なにそれ〜! ミュージシャンちゃうねんからさぁ〜、なにその表現〜!」
箸が転んでもおかしい年頃という言葉を体現するかのように、過剰にウケるマオミ。俺はポッと顔を赤らめる。彼女と別れた理由だなんて、ささいなことで喧嘩したとか、遠距離恋愛は辛かっただとか、浮気されただとか、なんぼでもあるじゃないか。音楽性の違いだなんて意味がわか……。
「あ、そっか。小日向くんは同じバンドの子とつきあってたんやね〜」とトモヨが勝手に納得している。俺はうまく風にのろうとし、うんうんとうなづく。
「さっきのノートの歌詞。あれを歌ってた子やったんやね〜。あのノート捨てれへんってことはまだ忘れられへんねやね?」
トモヨがつぶらな瞳で見つめる。
「あ、あぁ……過去の古傷だから、あまり触れないでくれ」
俺はうまく前につきあっていた彼女の話題を退場させた。
「俺の話はええからさ。二人は彼氏おるんやったっけ?」
おそらく彼女たちには彼氏などいない。でなければ土曜の夜にこうして俺と遊んでいるわけがない。
「うん、おるよ〜」
こともなげにマオミは言った。
俺は激しく動揺した。そのショックをたとえるなら「人を殺したことはあるの?」と質問して「うん、少ないけど何回かあるよ」とさらりと返されたショックと同レベルだった。俺はなぜか彼女たちに彼氏はいないと決めてかかっていたのだ。自分に都合良く。
「っていうかさ〜、小日向くんの部屋でそうゆう話してたや〜ん。も〜、ぜんぜん人の話を聞いてへんやんなぁ〜」
マオミがあきれ気味に笑う。
俺は記憶をさかのぼる。三人は部屋で談笑している。が、内容はまるで覚えていない。ただ、十代の女と仲良く時を共有しているイケてる自分を噛みしめながら、適当に相づちを打っていた気がする。
それに強力な自己防衛フィルターが、彼氏がいるという都合の悪い情報をシャットダウンしていたのかもしれない。
「あ〜、そやったっけ〜。トモヨちゃんも彼氏おるん〜?」
「彼氏? え……あ……うん、いちおういるよ〜」とトモヨ。
今度はさほど衝撃はなかった。はっきりと「大好きな彼氏がいます。別れることは考えられません」と断言されたわけではなく、いちおういるよと優柔不断な返事。これは、俺にも、つけいるスキがある!
ちなみにマオミよりもトモヨのほうがタイプだ。顔も、性格も。
「え〜、なにそれ? いちおうって言い方気になるな〜。あんまりうまくいってないの? 遠距離でなかなか会えへんとか?」
トモヨはうつむき、顔を赤らめている。
「ちょお聞いたって〜や。この子な〜」マオミがしゃしゃりでる。「トモヨはなぁ、彼氏のこと好きやねんけど、彼氏のほうがトモヨのことをただのセフレとしか思ってへんのちゃうかなって悩んではんねん」
セフレ……聞き慣れない言葉だが意味はわかっている。セフレ……それはセックスフレンドの略。セックスをしたりする友達の事。一般的に恋愛感情はない。
「セフレって……どうしてまた?」
「つきあいたての頃はなぁ、遊園地やボウリング、水族館や動物園とかデートっぽいデートをたくさんしてたんやけど、最近はデートっぽいデートもなくって、ラブホテルばっかりなんやって。だんだん会話っぽい会話もなくなってきて、会ったらすぐエッチなんやて。どう思う〜? 男って優しいの最初だけやんなぁ? 一回エッチさせたらそれ以外のこと、めんどくさがりよるもんなぁ〜」とマオミ。
胸が苦しい。自分のことを言われてるようで苦しい……のではもちろんなく、俺が家で悶々としているあいだに、性欲を乱費している男がいることだ。
「トモヨちゃんは、そんなつきあい方でええの? そもそもその男のこと好きなん?」
俺なら、けっして体だけを求めないぜ?
「う〜ん、最近は好きか嫌いかもよくわからんようになってきてん。だけど……」
トモヨの言葉がつまる。だけど……だけどなに?
「トモヨの彼って、アレのほうがすごくいいんやって〜。やだ〜」
マオミがけたけた笑い、トモヨがマオミの背中を思いっきりぶっ叩く。
死ね! 俺以外の人間、みんな死ね!
俺はアレのほうなど七年は経験していないわけで、つまり、セックスの免許証など更新されてないわけで、つまり、トモヨを満足させることはきっと無理なわけで。
それからは望んでもいないのに、彼女たちの男性遍歴の話になった。
俺などは異性と関係を持ったことなんて二、三人しかないというのに(プロもふくむ)彼女たちは俺より十年以上も若いというのに両手近い人数とつきあったり別れたりしている。最近の若い者はそういうものなのか? セックス以外にやることはなかったのか?
じゃあ俺はセックスもしないでなにをしていた?
それは、モー娘。の歌詞を写経したり、メンバーたちの似顔絵を描いてみたり、振り付けをマスターしたり、仲間も作らず一人でコンサートに行ったりとそんなことばかりだ。セックスをやめて俺の生き方を真似しろと胸をはって言えることではない!
「星を見ながらなぁ、彼が言うてくれてんや〜ん。確かに星は綺麗やけど、あんな数光年前の光よりも、今こうしてこの瞬間にお前が隣にいてくれるほうが価値があるって。あたし、それ聞いたとき、もう、ジュンジュンきてさ〜」
マオミが真顔で言い、トモヨもそれにたいし自分のエピソードを披露する。この子たちはベタなシチュエーションでベタなセリフに弱い。なんて俗悪な! だが、恥ずかしげもなく臭いセリフが言える男の方がセックスできるんだろう……。
ドラマや映画から借りてきたようなセリフであっさりとつきあう。まるで恋愛ごっこだ。でもそこから先はなぞるようなシナリオもないから、セックスばかりになってしまって、飽きて、また別れて、それをくり返す。
俺の住む世界とはあまりにも遠すぎる。うらやましいのか、動物的だと見下しているのかはわからないが、ただ確実に、セックスしていることだけは羨ましかった。
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