第2話 部屋とモー娘。と写経。

 ポスターはすべて剥がした。モー娘。関連のCDもすべてピックアップした。卓上カレンダー、灰皿、マグカップ、壁掛け時計、無駄に出てくるグッズの数々。いったい俺は彼女たちにいくらの金を費やしたのだろうか? そのことに誇りを感じるとともに、ちょっぴり恥ずかしい。


 整理整頓していたら、いつのまにやら午後二時五十分。待ち合わせの十分前になっていた。俺は部屋の中を「壁よし!」「床よし!」「天井よし!」「棚よし!」などと指差し呼称をし、危険がないか確認してから部屋を出る。そして車の中に入って初めて気づく。部屋以外のプライベートスペースがあったことを……。

 助手席、後部座席にも散乱するハロープロジェクト関連のCD。モー娘だけでなく、小中学生で構成されてるBerryz工房のCDまである。冗談ではない。俺は見られたら困るCDをすべて郵便ポストにつっこみ、車を急発進させる。


 JR宇治駅に着くと、すでに二人はいた。オリーブ色のスプリングコートに薄紫色のミニスカート、網タイツにミュールという少しビッチな印象のマオミちゃん。たいして黄色のコートにスキニージーンズを履いたトモヨちゃん。二人とも高校を出たばかりで、まだ二十歳には届いていない。

 二人を車に案内し、後部座席に乗せる。モワッと車内に女の香りが広がり、鼻孔をくすぐる。これは一種の麻薬だ。相手のことをなにも知らなくても好きになりそうになるわ……。


 それにしても、でかしたな、俺。積み重ねた経験などなにもない二十六才の俺。時給九百円の俺。こんな自分が十代の女二人を車に乗せている。父親にはこんな経験があっただろうか?

 先祖たちも喜んでいるに違いない。わが一族からこんな英傑が出ようとはと。

「なんか音楽かけて〜や〜」

 マオミちゃんの要求にこたえ、姉が車に忘れていったゴスペラーズのCDをかける。どうせ若い娘はこんなのが好きだろう。彼女たちはうっとりしている。ありがとう姉貴、そして俺の誕生までバトンをまわしつづけた御先祖さまたち。今日は我が生涯、最良の日。おかげさまでどちらかの娘と結ばれ、次の世代へとバトンをつなぐことができるかもしれないよ。御先祖様たち、聞こえてる?

 駅から俺の家までわずか五分ほど。にもかかわらず、俺は少し遠回りをし、十五分ほどゆっくり走った。


「なんか男の部屋ってもっと散らかってると思ったけど、意外と小ざっぱりとしてるね〜」とマオミが柏手をたたく。「トモヨはあれやんなぁ? 几帳面な男が好きやってんなぁ?」

「やめてって、そんなんちゃうって〜」

 と言いつつも、トモヨの顔が赤い。それを見て俺はほんのりと勃起する。

「まぁ、二人ともちょっとくつろいでてよ。お茶でも持ってくるわ」

 階段を降り、台所で最高級宇治茶を三人分、用意する。部屋の中はおそらく大丈夫だろう。モー娘。関連だけではなく、ゾンビフィギュア、恋愛シミュレーションゲームなど女性が嫌悪を示すものはすべて隣の部屋へと移動させたのだ。

「ごめん、ちょっとドア開けれへんから開けて〜」両手でお盆を持つ俺。ドアが開く。そこで俺は思わずお茶をこぼしそうになる。なんとトモヨが俺のノートをめくっていたのだ。

 机の上に置いたままのノート。片付けるのを忘れていたそのノートにはモーニング娘。の曲の歌詞が書き込まれていたのだ。


 当時、俺は写経と称して、モー娘。の歌詞をノートに写していた。写経の目的はただひとつ、普通の女の子から国民的アイドルへと飛躍をとげた彼女たちの『努力』の精神を身につけたかったのだ。

 筆ペンによって丁寧に書き込まれたモーニング娘。の歌詞……。

 もう駄目だ。早くも駄目だ。自分でも気持ちが悪いと思うもん。嫌われる。御先祖様、もうしわけありま……。

「へぇ〜、すごいね〜、小日向くんって曲書いてんだ〜」

 へ?

「これって歌詞でしょ? 部屋にギターも置いてあるし……」トモヨが微笑む。

 事態は好転した。

 彼女が開いたページはファン以外知らないようなアルバムの曲を写経したページだった。もし、これが運悪くハッピーサマーウエディングなどシングル曲の写経を見られていれば、すべて終わっていた。

「ちょ、ちょっと、勝手に見んなや〜」

 キモかわいく笑いつつ、ノートを奪い取る。悪い芽は早めにつみとるべし。

「小日向くんってバンドやってるの?」

 マオミが壁に立てかけてあった白いギターを手にとり、無造作に鳴らす。高校時代、勢いで買ってしまったエレキギターだ。十万円以上もしたギブソンのフライングV。座って引きにくいV字型のギター。実はほとんど弾けやしない。

「あ、あぁ……昔ちょっとな。女の子がボーカルのバンドやっててんけどね。今でも時々、当時のノートを開いてしまうんだよ。作曲だけやなく、作詞までもやらされてたからね。ま、つまらん過去だよ……」

 俺はノートを背中に隠す。

「そんなことないよ。夢を追いかけてたって素敵やと思う」とトモヨ。

「多才なんだね〜。うちら、なんにもないもんな〜」とマオミ。

 かくして事態を乗り越えることができた。

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