一章 4

 カズマはいつもの帰りの電車の中で、音楽を聴いていた。ポップスだった。

 最近になって、カズマは、音楽というのは不思議なものだと感じるようになった。

 初めて聴く曲は、ほぼ間違いなく聴く人間にとって真新しく新鮮なものだ。詩の一部、フレーズが最初から馴染み深いものであったりしても、曲の詩全体を、聴き始めた時にそのまま言い当てることはできない。必ず自分の予測から曲の詩はずれていく。自分が作ったものではないから当然である。

 にもかかわらず、繰り返し聴いているうちに、その詩を、まるで自分のものであるかのように感じることになる。自分で自分の詩を紡ぐかのように、そこに快楽を伴って、詩と曲が進行していく。これは曲に載らない詩でもきっと同じだろう。

 また、こういうこともある。厳密には、元の詩とは異なっているのだが、もっと自分が好むフレーズを自分で見つけて、それで曲に載せる詩を頭の中で書き換えてしまうのだ。

 聴いていて涙が溢れてくることもある曲が、カズマのプレイヤーの中には結構あった。詩の意味に沿って、その内容に思いを馳せているのではない。詩はトリガーでありフィルターであった。詩を引き金として、詩を通して、自分の過去を振り返っているのだ。自分の過去の思い、過去の映像、過去の音、過去の臭い、過去の積み重ね。今となっては失われたものと、今になっても変わらず残っているもの。

 電車の中は、通勤や通学のために乗っている者が大半で、その多くは疲れて眠っていたり、本やスマートフォンに夢中であったりするから、すぐ傍の人間が大粒の涙を零していたりしても、気づかれるようなことはないから安心できた。

 カズマの涙は、他人には説明できなかった。涙は苦痛に伴うもので、涙を流すこと自体も苦痛であるのが通常であるが、カズマは泣く時に苦痛以外のものも感じていた。

 とても脆くて、存在さえ不確かで、放っておいたらすぐに消失してしまいそうな、けれど、一度触れると眩しい太陽のように光を放ち自己主張してくる、自分の中にある何か。自分以外の誰もそれに気づけないし、それを見つけられないし、それを思い遣れない。

 それは、自分で自分を「見つけて上げられた」という安堵の涙だった。あるいは「まだ残っていてくれた」という感激の涙でもあった。

 電車はカズマが降りる駅に着いた。カズマの気分はもう落ち着いていた。

 家路を歩きながら、カズマは改めて思った。余ったピースとしてのカズマの人生は、起伏の無い凪のような遊覧飛行と、涙でぐしゃぐしゃになりながら行う飛行機のメンテナンスで成り立っている、と。

 実はカズマはこの循環が嫌いじゃなかった。これ以外に自分の生き方は無いと確信していた。ただ、その繰り返しが、回を増す毎に核心がより鮮明になっていくけれど、その実は自分の中で全く同じものであるとするならば、もう終わりが来ても良いんじゃないか、と素直に感じたのだ。同じであるから。同じでなければならないから。

 同じ航路で飛行機に乗り続け、飛び立った時より幾分劣化した飛行機を同じようにメンテナンスし続けるカズマは、元来の、自然に循環する自然からはかけ離れていた。いくつもの航路がカズマにはあると言えるのに、カズマはたった一つの航路に拘った。自由に空を飛び回ること、誰もが欲するその自由と引き換えに、自分の大切なものをすべて見渡せるポジションと、自分の大切なものを忘れずに自分の中に保持し続ける力をカズマは得ているのだ。

 その生き方もまた選択の積み重ねであると考えることは、この時のカズマには困難だった。

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パズルの余ったピース達 Yo羽ichi @Clancyy81

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