一章 2

 カズマの趣味は写真を撮ることだった。人物を撮ることはほとんどなく、草花や風景を始め、色々なものを思い付くままに撮っていた。人物以外なら何でも撮っている、と言った方が分かりやすいかもしれない。

 撮った写真に、短いキャプションを付けて、細々とブログにアップしていた。時々コメントが付いたりすることもあるが、「綺麗ですね」といった単純な賞賛があるだけで、ブログのアクセス数も少ない。カズマ自身、ブログに対する特別な反応を期待しているわけではなかった。

 カズマが写真を撮り始めたのは、余ったピースとしての人生が始まってからだった。それまでは、わざわざ何かをカメラで撮る必要性なんて全く感じなかった。写真を撮って、止め処なく流れていく時間を切り取って、それを後で見返して、自分の人生に対して思いを巡らせる。毎日が自分にひしひしと迫り来るものだった頃のことを思い出そうと、あるいは取り戻そうとしていた。

 それらはほとんど実現していなかったけれど、写真として現実を切り取る時、切り取った写真を眺める時、現実の重みや大切さや儚さが、カズマにはほんのりと感じられた。そして、そんなふうに意識的に、日々の瞬間瞬間を大切には扱わなかった以前の方が、カズマからすれば生きていたと呼ぶに相応しいという皮肉に頭を抱えた。

 きちんと目を見開くならば、現実はこれほどまでかと思うほどに、変化に満ちている。雲の出方は刻一刻と変わっているし、鳥達の飛び方も鳴き声もそのタイミングも毎日違う。激しい雨にすべての音が掻き消されることもあれば、一点の曇りも無い快晴が心を気持ち良くさせてくれることもある。草木は季節に応じて様変わりする。そういったものを見ながら日々を過ごしていると、あたかも自分は、自分で完成させた飛行機で世界を旅しているかのようだ。実際、地球は自転も公転もしているし、同じ瞬間は二度と訪れないわけだから、これは比喩ではないと言える。

 カズマは、もう飛行機に乗っていた。飛行機を完成させてしまったから、あとは飛ぶだけになっていた。

 飛ぶことを夢見て、一生懸命飛行機作りに勤しんできて、いざ完成したからと実際に乗って飛んでみると、思ったよりも飛ぶことは楽しくなかった。むしろ、飛行機を作っていた頃の方がずっとずっと楽しかった、ということなのである。

 また飛行機を作り直せば良いじゃないか、と思われるかもしれないが、そんなに単純な問題ではなかった。

 カズマの問題は、その飛行機にあるわけではない。カズマはカズマの飛行機をとても気に入っていた。だから、もし飛行機を作り直すことになるならば、今のものと全く同じものを作るだろう。

 カズマの問題は、その環境にあるわけではない。では、一体どこに問題があるのだろう?パイロットであるカズマ自身にそれはあるのか?

 カズマは、今日撮った月の写真を眺めていた。自然は、変化に満ちているようで、その実は循環だ。自然の一部である人間の生も循環だろうか?この循環は、どうしてこんなに中途半端なのだろう?

 飛行機ができれば、行きたいところならどこへでも行けると思っていた。

 でも、違った。どこへでもは行けない。どこへでも、は行けなかった。

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