第十二幕  静かなる問い



 ディアス・エヴァンスは、村からほんの少しはずれた場所にいた。

 のどかな村を一望できるおかはまったく手入れがされていていない。背後では草木が自由気儘きままに生いしげっており、樹海を連想させるほど鬱蒼うっそうとしている。

 しかしここは、村のどこよりもすずやかな風が吹くのだ。

 聖印せいいん騎士団の団長になった男と、学生時代に果実酒をみ交わした場所でもある。心が温かくなるようななつかしさにひたりながら、ディアスはじっと村を眺めた。

 しばらくしてから、ディアスは前を向いたまま問う。

「それで、調査の結果はどうだった?」

 後方にある茂みから、かすかに葉擦はずれの音が耳に届いた。


 一つの樹木に視線を投げると、そこから全身黒一色の装いをした者が現れる。

「ご報告いたします、ディアス様」

 黒鉄くろてつ騎士団がかかえる暗部の女が、頭巾ずきん目深まぶかに被ったまま地に片膝かたひざをつけた。

 粗方あらかたの報告を終えたのち、暗部の女はやや低めの声音で謝罪してくる。

「申し訳ございません。いまだ吸血鬼の存在は確認できておりません」

「まあ、僕が派遣はけんされるぐらいだから、いるのは確実なんだろ?」

「おそらく……としか申しあげられません」

 ディアスはまた前を向き、小さく嘆息たんそくする。

尻尾しっぽつかませない、か……何人かの村人は、すでに〝変えられて〟いるかもな」


「どうやら、それもございません。村人達に異変いへんが〝何一つ〟見られないのです」

 ディアスはいぶかしさを込めた眼差しを、暗部の彼女に送った。

 吸血鬼の等級は混血種こんけつしゅであれば二級下等、純血種じゅんけつしゅともなれば一級中等となる。元が人であったとしても、人にがいをなし、人外の存在と認識されれば妖魔ようまと呼ばれる。

 怪物を妖魔と呼ぶ意味合いは確かに強いが、あくまでも妖魔とは総称にすぎない。

 吸血鬼はおのれの欲求にとても忠実ちゅうじつであり、また快楽かいらくひどく忠実でもあるのだ。そんな妖魔がひそんでいる場所に、何もないなどとは考えられない。

「今回の発端ほったんは、例の報告からだったな?」

「はい。村に立ち寄ったカルメルという名の冒険者からの報告です」


「その冒険者は?」

消息しょうそく不明です。吸血鬼に食われたか、あるいは〝変えられた〟か……」

 ディアスは溜め息をついた。いずれにしても、このましいものではない。

「まあ、報告から気になる点……いや、たぶんが吸血鬼だろうな」

「気になる点……?」

「この村をあまりよく知らない者には気がつきづらい、ほんのかすかな違和感だな。それをわかっているからこそ、ヴァーミル団長は僕を派遣はけんしたのだろう」

 ディアスは暗部の女に、やさしく微笑んだ。

「ご苦労様。おそらく吸血鬼と戦闘になるが、加勢はしなくてもいいぞ」


「し、しかし!」

 食い下がる暗部の女に、ディアスは冷静に告げる。

「あちらの味方を増やされると困る。だから暗部には村人の警護けいごくしてほしい。それに今回、こちら側には最強の味方がいるからな」

「十二守護精霊の一体から寵愛ちょうあいさずかった、くだんの男ですか?」

「ああ、そうだ。これまで生きてきた二十一年間で――彼が一番の驚きだな。間近で彼の力を垣間かいまて、ずかしながらも心の高揚こうようが抑えきれなかったぐらいだ」

「私も映像ではありますが、ディアス様達の闘いを拝見はいけんしておりました」

「いつかもっとそばで見てみるといい。きっと君も僕と同じ感覚を味わうぞ」


 ディアスは村のほうを向いてから続ける。

「彼は……まだ、ただの原石げんせきなんだ。それなのにあれほどの輝きを放っているから、よくない大人達の目につき、下手へたに加工され、きっと道具にされてしまうだろう」

「ディアス様……」

「いつの日か義理ぎりの弟になるかもしれないからな。だから僕は彼をもっと知りたい。どのように考え、行動し、結論を導き出すのか――今回の件は、とてもいい機会だ。いろいろ知った上で、それから彼をまもるべき方法を模索しなければならない」

 暗部の女はやや沈黙したあと、さり気ない声で質問をぶつけてくる。

「そういえば、エレアノール様とは仲直りしたのですか?」


「ん、人聞きが悪いな。別に喧嘩けんかなんかしていないぞ」

 暗部の女が、たっぷりと間を置いてから告げてきた。

「はっきりと申しあげますが……エレアノール様は兄姉けいしうらんでいると思われます。はたから見ても、きびしく接している点があまりにも多く、あと言葉選びも極悪ごくあくです」

「ははっ……これは手厳てきびしいな。すべては、妹を想うがあまりなんだが」

 暗部の女は首を左右へ振った。

「エレアノール様と接しているお二人を、遠目から拝見はいけんしたことが幾度いくどかあります。最初は敵か何かと、勘違いなされているのではないかと目を疑いました。もし私が、ディアス様やマリアベル様の妹であれば、即刻そっこくえんを切って家を出ております」


 容赦ようしゃない部下の指摘してきに、ディアスは苦笑するしかない。

「でも、少し安心しました。くだんの彼と接しているときのエレアノール様は、本当に心から楽しそうで……あんな顔をしているエレアノール様、初めて見ました」

 ディアスが指を紅髪べにがみに通して頭をいた直後、鐘の重低音が響き渡っていく。

「さ、さて……もうそろそろ約束の時間だ。もし僕がやられるような状態になれば、君は騎士団に戻って報告してくれ。決して手出ししてはいけない。いいね?」

「了解しました。どうか、お気をつけて」

 瞬時に姿を消した暗部の彼女を見送り、ディアスはまた村に視線をえる。

 村はただただ、平穏へいおんな雰囲気をたもっていた。



        ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★



 集合場所となっていた酒場へ戻ってくると、すでにディルが待っていた。

「ディル、悪い! 俺、遅れちまったか?」

「いや、僕もさっき着いたところだ」

 ディルの雰囲気から、気を使って言っているわけではなさそうであった。

 悠真は心の底から安堵する。

「よかった。ちょっと時間の感覚がなくなって、遅刻ちこくしたんじゃないかと思った」

「ふっ、この村の空気が気に入ったみたいだな」

「なんつぅか……時間が凄くゆっくり流れてる感覚なんだよな。ここ」

 ディルは小さく笑い、ゆっくりとうなずいた。


「僕も初めて来たときは、そんな気分だったな。だから気持ちはよくわかる」

 同じ感覚を受けていたディルに、悠真は笑みでこたえた。

 ふと、もし銀髪の彼女が隣にいたらと夢想むそうする。おそらく彼女ならば小首をかしげて微笑み、こうした初めての体験と感覚を、同じときの中で共有してくれたのだろう。

(本当ならこういう旅や初めての何かって、シャルとしてたんだよな……)

 脅威きょういが消えるまでは、何をどう思おうともどうしようもない。わかってはいても、やり切れない思いが悠真の胸につのった。先の見えない不安が心を曇らせていく。

「どうした、悠真」

 あせったところで、願ったところで――悠真は首を横に振った。


「なんでもない。それより、酒場に入ろう。かなり腹が減っちまった」

「ああ、たぶんもの凄いご馳走ちそうを用意してくれているぞ」

「そりゃ楽しみだな」

 悠真とディルは酒場の扉を開き、鈴の音色に歓迎かんげいされながら中へと進んだ。

 ディルが予想した通り、机の上には野草やそう料理から肉料理まで豪華ごうかな料理がたくさん用意されていた。だが、さすがに二人分にしてはあまりにも多い。

 確実に食べ切れないと思われる量であった。

 大将と女将が、奥から姿を見せる。

「おお、戻ってきたか。ささ、座れ座れ」


 席を勧めてくる大将の指示にしたがい、悠真とディルは席に座る。

 真向かいに、大将と女将も腰を下ろした。

「まあ、急だったからこれぐらいしか用意できねぇが、堪能たんのうしてくれや」

「本当に美味おいしそうです。いただきます」

 悠真が礼儀れいぎをもってこたえると、大将は豪快ごうかいな声を飛ばした。

悠坊ゆうぼう! 遠慮えんりょなんかせず、たらふく食えよ!」

 用意された料理は、どれもこれも本当に美味しい。肉類は香辛料を使われたものが多く、食欲を促進そくしんさせる。野草は揚げ物から炒め物と、いろいろな味を楽しめた。

「相変わらず、大将と女将さんの料理は美味しいな。それになつかしい味だ」


「まあ、王都の料理にゃあ負けちまうだろうがな」

 れ笑いしながら大将が告げると、隣にいる女将が目つきをするどくした。

「何を言ってんだい! 王都の料理より美味しいに決まっているじゃないか」

「おっと、女将につのが生えてらぁ」

 笑い飛ばす大将の脇で、女将が不機嫌ふきげんそうににらみ続けている。

 大将達のやり取りを眺めながら、悠真は黙々もくもくと食事を進めていく。

 しばらくして、悠真は腹に限界を感じ始めた。どう考えても並べられた料理の量が多すぎるのだ。まだ全体の十分の一程度しか量が減っていない。

 ディルを横目に見ると、まだまだ食べられそうな雰囲気をかもしている。


(マジかぁ……って、それもそうか)

 貧乏びんぼうらしが長い悠真は、物をたくさん食べるといった習慣がそもそもなかった。基本的には一食分で満足まんぞくするように、腹が完全にできあがっている。

 昔、何かでた知識がよみがえった。

 普段から大食おおぐらいの人が小食の生活を続けた場合、いつしか以前と同じだけの量は食べられなくなる。そうなる理由は、満腹の水準を脳が変えるからなのだそうだ。

 今現在、悠真の胃袋はすでにその水準を大幅に超えているに違いない。

「どうした、悠真。まさかもう腹がいっぱいなのか?」

 ディルの問いに、悠真はかろうじて苦笑でこたえる。


 大将が腕を組み、からからと笑った。

「なんでぇなんでぇ! 若いんだから、もっともっと食え」

「う、あ、は、はい……いただきます」

 正直、これ以上の食べ物を口に入れたら逆流してしまう可能性が高い。

 そうならなさそうな料理を、悠真は必死に目で探した。

「そういえば、大将と女将さん――」

 ディルのさわやかな声に、大将と女将が首をかしげた。

「今朝、酒場に来た花の髪飾りをした彼女……あの人が吸血鬼じゃないのか?」

「えっ……?」


 悠真は呆気あっけに取られ、間の抜けた声をらした。

 ディルに視線を移すと、表情は爽やかなまま大将達を見つめている。

「大将達は、どうして吸血鬼なんかをかくまっているんだ?」

 大将と女将が、ディルの問いに表情を硬くしている。

 とてつもなく重い沈黙が、豪勢ごうせいな料理が並んだ店内に満ちた。



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